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113_yahyel「Human」

「翔ちゃん、変わったね。いつのまにか。私が昔変えようとして、変わらなかったのに、自分でもうサナギを脱ぐようにして、変わってたんだね」
幸子、またお前、そんなこと言って。俺たちの間は何も変わらないよ。
「そんなことない、もう二人の間はもう変わってしまっているのよ、翔ちゃんもそう望んだし、私もそう。だからこれでよかった」
待ってくれ、何がいいって言うんだよ、変わらないものはないってのはしょうがない。変わって欲しいって願ったのは確かに自分だ。だけど、変わってほしくないものは変わらないでいてほしい、っていうのは自分勝手なのか。俺だけなのか、変わらないでいて欲しかったのは。お前は変わりたかったのか、なあ幸子。

「それは、翔ちゃんの中で、胸に手をあてて考えてみて、ね、たまには私のことも思い出してみてね。本当にたまに思い出した時でいい、それでいいから」
幸子、どこかに行っちゃうのかよ。
「私のこと、思い出したら、また私のことを探し出してくれるかな、ねえ、翔ちゃんの得意なかくれんぼで私のこと、探し出して。翔ちゃんが鬼で、私は隠れるから、見つけ出してね。翔ちゃん、勘がいいんだし、ねえ、わかった?」
だから、行かないでくれよ、なあ、幸子。待ってくれって、見つけ出せないよ、全然、俺、勘も鋭くないし、かくれんぼもここじゃできないよ、なあ、待ってくれ。僕は自分の目の前に手を掲げて、うっすらと消えていく幸子の影を掴もうとした。

夢から覚めて目を開けた。俺は勢いよく、ベッドから体を起こす。喉がカラカラだ。はあ、また、あの夢かよ。寝汗でベトついた体が鬱陶しいこと、この上ない。ベッドの横の時計を見ると、時間は2時。明日は毎月のいつもの出張で、朝から6時に品川駅直行だっていうのに、一番起きたくない時間に起きてしまった。

暑い。すぐにでも部屋にクーラーを入れて、冷風を浴びたかったが、いつもテーブルにおいてあるはずのリモコンが見つからない。あれ、おかしいな。そういう思考と同時に、俺は自分の手にいつもと違う違和感を覚えていた。

なんとなく俺の手がニョキッと延長しているような感覚がある。うまく言葉で言い表せないが、手で掴む範囲のものだけじゃなくて、暑さとか寒さを手で感じられる部分が拡張しているような気がする。そして、その不思議な手の感覚だけで、リモコンらしきものが、テーブルの下にあることを直感的に察知した。なぜそれがわかるのかがわからない。自分の両手がピクピクと細かく痙攣している。

「?」不思議だ。
なぜ、リモコンがテーブルの下にあることが、目で見るんじゃなくて、手の感覚だけでわかるんだ?それはなんとなく、自分の両手が目に見えないセンサーのように働いて、この手で実際に掴める先にあるものを検知しているようだ。

なんとなく自分の両手が疼いている。冬の寒い時にかじかんだ手を暖かいストーブにあてたときのような、じんわりとする感覚を覚えた。起き上がって、テーブルの下を覗き込むと、事実、やはりクーラーのリモコンが転がっていた。昨日、酔っ払って帰ってきた時に、落として蹴ってしまったのだろうか。それはいい。なんで、それが俺の「手」の感覚だけでわかったんだ。

僕は暗闇の中で両手をじっと眺めてみる。外見的には何にも変わったところは見受けられない。ただ、ずっとこの手がやけにジンジンとして、なんとなく得体の知れない湯気のようなものが湧き立ってきそうな気がしているのだ。何かが手から溢れ出ているようだ。更によくよく目を凝らした。それは単純に「見る」というのではなく、微妙に目の焦点をゆるめて、その象全体を眺めるような、なんとなく「視る」や「観る」と言った感覚に近いかもしれない。

するとどうだろう、なんとなく両手が蛍光色の緑のオーラのようなものが、湯気のように滲み出ている。なんなんだろう、これは。俺はずっと自分の両手から目が離せなかった。いったいどうなってしまったんだ。とりあえず冷蔵庫にしまっていた冷えたミネラルウォーターをガブ飲みした。少し落ち着いたあと、明日も朝が早いのでベッドに入り直すのだが、結局、寝ている間もずっと両手はずっとジンジンしていて、その「何か」が溢れ続けていた。

病院に行ったほうがいいのかとも考えた。ただ同時に、病院などで医者に診てもらっても、到底無駄なんではないかとも薄々勘づいている。そうだ、たぶんこれはそういった病気とかの類ではない。

もっと違う感覚的な何か。俺は幸子と一緒に生まれ育った、あの四国の古い実家の家屋を思い出した。深い山々や神社によく伝わるようなまじないや、霊的で土着的な何かが、いまだにあの界隈では蔓延っている。俺にとっては、祖母の存在がその象徴だった。子どもの時の俺はおっちょこちょいで、よく家の中でものを無くしたのだが、祖母はすぐにその無くし物がどこにあるのかを言い当ててくれた。

子供心にそれがすごく不思議でしょうがなかった。
「ばあちゃんの手はな、お前の無くし物をよう見つけられるんや」
今は亡き、祖母の言葉を思い出す。なんでも、俺の無くし物を見つけ出してくれた、ばあちゃん。でも結局、幸子は見つけてくれなかったな、散々になって探したのに。俺はじっとりとしたベッドの上で、なんとも言えない喪失感のようなものを覚えた。

まあ今はいいや、別に特段、害があるわけではないようだし。ただ、なんとなくずっと頭の中が興奮しているようで、結局俺は何かが溢れている両手を抱えて、まったく寝付けず朝を迎えてしまった。寝不足の頭を抱えながら、家を出て品川駅の新幹線乗り場へ急ぐ。

「ええっと、切符、切符」
俺は駅の新幹線乗り場の改札の前で、あたふたしている。金曜日に総務の女の子からもらった新幹線のチケットが、カバンから見つからないのだ。新幹線はあと10分で出てしまう。俺は寝不足の頭で焦りながら、どこだどこだとカバンの中身を隈なくあさっていると、昨晩のクーラーのリモコンを察知した時と同じように、両手がじんじんと疼きだした。違う、財布の中だ。

俺はジャケットの内ポケットの中の財布に、新幹線のチケットをしまっていたことを思い出した。そして、財布からチケットを取り出したその時、右手から、目に見えるほど(たぶん見えているのは自分だけなんだろう)の蛍光色の緑のオーラがニュルニュルっと溢れ出ているのを感じる。

まるでキノコの胞子が空中に飛散していく様子を、高感度カメラで捉えた映像を見ているようだ。両手から目を離せない俺は、どこへとなくそのまま意識が遠のいていくような錯覚に陥る。あ、そうだ、新幹線。次の瞬間、はっと気がついた俺はチケットを握りしめて、改札を通り、新幹線のホームまで駆け上がった。つい今しがた、自分が乗る新幹線がホームに入ってきた。ふう、危なかった、なんとか間に合った。

毎月のルーティンとなっている掛川にある繊維工場への出張だ。新幹線のチケット番号を見ると、いつもと同じ席番号だった。(覚えやすいように、総務の子がいつも同じ車両の席番号を予約してくれるのだ)新幹線の車両の中で歩きながら、ぼーっと自分の席を探しているとき、なんとなく右手に神経を集中してみた。

すると、直感で自分の座る席はもっと先に進んで左側の窓際だとわかる。俺の両手は電気を流された時のようにピクピクと痙攣して、昨晩のように目には見えないオーラのようなものを垂れ流し続けている。俺は右手の感覚の赴くままに何も考えずに歩いていって、いつも座っている自分の席を見つけた。

この手はもしかして、自分の探し物を見つけてくれるのに役立つのだろうか?

新幹線内の窓際の自分の席で、朝食代わりの菓子パンを齧りながら、俺は右手を眺めている。不思議だ。急にそんな力が身につくのなんて。なんでだろう、いったい何のきっかけがあったのだろうか。俺は記憶を巡らせる。

昨日の夜は、大学時代の後輩と盛り上がって随分と飲み過ぎた。家に帰るための電車に乗ったのはいいが、寝ている間に降りる駅をだいぶ通り過ぎてしまった。ふと気付いた時には、東京のだいぶ東の方、今まで聞いたことのないような名前の駅で俺は降りざるを得なかった。

酔っ払った頭をうつらうつらと抱えながら、知らない駅のホームで折り返しの電車を待っている。ベンチで深く座り込んでいる俺以外、ホームには誰も見当たらない。まずいことに、いつまで経っても折り返しの電車がやってこない。まいったな、終電も過ぎてしまったのだろうか。でも不思議なことに、ホームの電気は点いたままだ。明日は出張だってのに、仕方ない、駅の外に出て、タクシーでも拾って帰るか。俺は途方に暮れかけたその時に、気づくと車掌らしき男が音もなくすっと俺の目の前に現れた。

「お客さん、戻りたいんですか」
「え、ええ。まあ、はい。ちょっと降りる駅をだいぶ過ぎてしまったようで」
「もうすぐ、来ますよ、折り返し」
「ああ、本当ですか、よかった。もう戻れないかと思いましたよ」
「そんなことはありません、いつでも戻れるはずです。以前と何も変わっていなければ、の話ですが」
「え」
「折り返しの電車に乗るためには、これが必要です。どうぞ、お持ちください」
「あ、はい」
俺は車掌から、「引換券」と書いてある切符のようなものを渡された。それを俺に手渡すと車掌はくるりと踵を返して、ホームの向こうの階段の方向に去っていた。そして俺は「引換券」と記された不思議な切符を手にとった。

引換券?今までこんな種類の切符なんてもらったことないな、そもそもいったい何と引換えるんだろう?そう訝していると、いつの間にか自分の隣に折り返しの電車がホームに停車していた。あれ、おかしいな、いつの間に。電車が来ていれば、さすがに音で気づいたろうに。まあ、いいや、これで家まで戻れる。俺は虚な意識のままで誰もいないその電車に乗り込んで座った。

その後、どうやって家まで辿り着いたのか、不思議なことにまったく記憶がない。

(続く)




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