023_Baden Powell「O Universo Musical de Baden Powell」

ぶどうをひと掴み口に運ぶ。プチッとした食感とともに、ほど良い酸味を含んだ甘い果汁が口の中に広がっていく。よし、今年もちょうどいい頃合いだ。もう4つになる娘の珠美が、本当に物欲しそうな目を私に向けた。

「珠美も食べるか?美味しいぞ、お父さんのぶどうは。」

「うん!」

山を分け入ったところにある、この小さな農園での、朝のひとときは僕にとっての至上の時間だ。ここでぶどう農園を開いて4年。次第に、形になってきたのではないかと思う。これまで何度も手をかけて、必死になって自分が創り出してきたぶどう。毎朝の1日のはじまりは、軽トラを走らせて、まずこの農園でぶどうの様子を見ることから始まる。誰に言われた訳ではないが、そうせざるを得ない。

はじめて自分のブドウを食べたとき、地域の直売所に卸して売れた時などは本当に言葉にできない感慨があった。(直売所の商品の値札に「斉藤さんのブドウ」と書かれたのが、なんかこそばゆかった)なんとか、ここまでやってきてよかったなと思った。

ただ農業から得られる収益など、都内でプログラマとして勤務していた時と比べても、ほんのスズメの涙ほどしかない。本当に農業というのは厳しい仕事であり、生やさしいものではないことを痛感した。まだまだ兼業ではないと、とても生活はやってはいけないが、自給自足もしつつ、自分的には将来このブドウ栽培一本で食べていけるようになりたいものだと願っている。

ただ、娘もいるし、再来月には二人も生まれる。今後の子供の将来を踏まえた収入を考えると、まだまだプログラマとの二足の草鞋の生活は続くだろうな。幸い自分の業種で必要とされるスキルは都会だろうが田舎だろうが、どんな場所でも働けるのが強みだ。会社をやめ、フリーランスとして独立するのを機に、地方で何か農業もやりたいと思いたち、珠美が生まれたタイミングでUターンという形で、実家とは少しばかり離れたこの土地に家族で越してきた。

自分の両親2人にこのことを話した時は、そんなに反対されなかった。「それで食っていけるのか?」ただ、それだけを心配しているだけだった。自分はプログラマのスキルがあるから、農業で食えなくてもなんとかなることを伝えても、当初はあまりそれを理解していなかったようだ。

「自分の時は、親には、自営業とか農業なんかじゃなくて、絶対に会社勤めになれ、って言われたもんや。」農家の三男坊だった親父は、中学卒業後、自動車工場の作業員を養成する学校に通いつつ働きながら、以後、自動的にその会社に就職。45年間、ひとつの会社で勤め上げた。

高度経済成長期の時代、日本が多くの労働力を欲していた。働き手の大量生産。まさに親父がそうだったように、多くの人間がまるで巨大なベルトコンベアーに載せられるように、システマティックに金型にはめられた人生を歩むことを奨励されていたのだ。そこからはみ出すと、エラーや不良品扱い。不確定要素は極力排除されていたというわけだ。

30歳になる前には、お見合いでもして、結婚して、家庭を持ち、車を買って、家を建てる。そして、仕事はきっちり定年まで勤め上げて、定年後は家で夫婦でゆったりとした老後を迎える。自分は34歳だが、今の日本で、こんなロールモデルを念頭にして、人生設計を立てている人間なぞ、もはやいないだろう。もう父親の時とルールが変わってしまったのだ。

自分が就職した当時においても、これからはITだとかプログラミングだとか、散々もてはやされた物だが、この業界でこれまでいろいろな盛者必衰を見てきたものだ。一寸先は闇などと言われているが、4年前に自分が在籍し散々こき使われていたあの会社も、昨年までイケイケだったそうだが、社員が大量離職して今はもう見る影はないという。

プログラマという仕事自体は嫌いではない。ただ、その時の時代背景もあろうが、徹夜や休日出勤などは当たり前、劣悪な労働環境に目も覆わんばかりだった。自分も到底、あの社長について行こうとは思わなかった。後輩からメールが来たとき、「やっぱりな。」と実感した自分がいた。後輩には悪いが、結局のところ、あそこは泥舟だったということだ。

今、ありがたいことに自分がこうやって個人として継続的にプログラマの仕事をクライアントさんからもらえているのも、これまでの人脈とかプロジェクトでの実績とか、本当にたまたまいろんな偶然が重なっての、なんとか絶妙なバランスの下で成り立っているものばかりだ。

自分より一回り下、これから働くことになる世代などは特にこれから大変だろう。ほんの一部の大企業や公務員などは別にして、決して寄りかかるものなどないのだ。どうしても、個人の力だけで生きていかなきゃいけない部分がある。自分はこれからもずっと死ぬまでプログラマとして求められ続ける自信や能力などはない、とどこかで思っている。

だからここで、自分だけのぶどうを作ろうと思った。プログラミングも農業も根っこの部分では一緒だ。どちらも、手間のかかる自分の子どもを育てているようなものだから。

だが自分は果たして、ぶどうを作り続けて、このまま妻と子供たちを食わせていけるのだろうか。そして、この珠美たちが大人になる時代には、この日本ってのは、一体どうなっているんだろう。昔の高度経済成長期の時は皆「日本はこれからどんどん良くなる。」と思っていたそうだ。それに比べて、僕も含めて今の日本人全体が、「日本はこれからこうなるんだ」という、全体の絵姿が描けていないと思う。ニュースやテレビの討論番組は、日本の暗い未来しか報じない。

今日も日差しは次第にジリジリと強さを増していく。今日も暑くなるなあ。僕はネイバーフッドの黒のキャップを深めに被り直して、珠美を抱き抱える。昨日、深夜まで修正していた案件は、涼しめの午前中で作業を切り上げることにして、午後はまた農園に来てブドウの面倒を見よう。頭の中で、今日1日の自分のスケジュールを組み上げた。単純なものだ。

「よし、朝ごはん食べにうちに一旦帰ろうか!お母さん、待ってるしな。」「うん。」珠美がたどたどしい足取りで、軽トラに駆け出す。

「珠美ももうお姉さんだし、ぶどう取れるようにならないとな。」「うん!」

「あと、もうお姉さんだから、朝ご飯で出てくる、家の庭で取れたプチトマトも食べれるよな?」「えー。」

自分はまあ、ここで草を食んででもなんとかして生きていくことができる。いくらでも泥水はすすれる。そうやって生きてこれた。

ただ、これからの子供たちの未来だけがどうしても心配だ。珠美がこのままずっと笑顔でいられるようにしていかなきゃ。そうだ、なんとかしなきゃ。助手席に座らせた娘の頭を撫でながら、ハンドルを握る手に少しばかり力が入った。


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