見出し画像

055_Robert Wyatt「Ruth is Staranger than Richard」

図書館で探していた本は、結局いつまでたっても見つけられていない。大澤君の言っていた本っていうのは、どこにあるんだろう。彼は「確か大学の図書館で読んだ」と言っていた。彼の曖昧な記憶によると、「なんかアルミニウムみたいな名前の本」だという。若干間抜けな感じが拭えないが、これだけを手がかりに2、3時間探し続けているのだが、結局、蔵書検索の端末にも出てこなかったし、司書の人にも聞いてみたがダメだった。

彼が本を面白いなんて言う事は、すごく珍しいことだから、これはぜひ私も読んでみたい、ってことで私は大学の図書館を一人で徘徊している。理想は二人で図書館デートでもして、おすすめの本を紹介しあうとかもできればいいんだけど。それはやっぱりないのかしら。でもどうしても、憧れてしまう。

文学部同士で付き合っている子同士だったら、そういうこともできるんだろうけど。でもそれはそれで、お互いの本の好みやジャンル自体が違う可能性もあって喧嘩することもあるのだろうか。しかし、彼と全く共通点のない私にとっては、それはとても贅沢な悩みのように感じてしまう。

大学で付き合っている大澤君。はじめてできた彼氏。私とは全然タイプが違う。私はこうやって図書館で本を読んだりするのが性に合ってるけど、大澤くんはサッカー部所属で、年がら年中砂まみれのユニフォームでサッカーに明け暮れており、体育会系の仲間とワイワイしているのが好き。たまたまゼミの合宿が一緒だった私と付き合うことになったけど、基本的に共通の趣味というのもないから、デートとかにしても、未だにどこで何をしていいのか迷う。普通に私はカフェ巡りとか美術館に行ったりしたいんだけど、どちらかといえば彼はカラオケとかライブとかに行って、騒ぎたいんだろうなと思う。

それでも、ちゃんと私の行きたいところに合わせてくれている彼は優しい。それによって、どことなく居心地が悪そうになっちゃって、彼自身がリラックスしているように見えないから、申し訳ない気持ちになる。一回、彼に連れられて実業団のサッカーの試合も見に行っては見たものの、結局、彼と同じ結果になった。落ち着いたカフェではどう見ても手持ち無沙汰の彼、スタジアムではぼけっと試合を眺めている私。それぞれお互いのフィールドで無理に連れてこられた結果、縮こまっている姿というのはなんとも滑稽なものだった。

私はサッカーの試合を見ていても、特段興味がわかない。あくまで彼が出る試合だから彼の活躍を見るのであって、特にテレビでやっているサッカーとかにはこれっぽっちも興味が湧かない。球を蹴り合って、相手側のゴールネットに入れれば勝ち。狩で獲物を追うのと同じ。なんて原始的で単純極まりないの。男はまったくもってこれに夢中だけど、結局は子供の時の遊びを大人になってもずっとやっていたいからなのか。女の子は子供の時におままごととかするけど、大人になってからもずっとやっていようなんて娘はまずいないのに。不思議なもの。

そこはもうその人の価値観だからしょうがない。だから共通点が全くなかったと思っていた二人に好きな本がひとつでもあれば、それは二人にとってすごく喜ばしい。私は正直運動も得意ではないし、これから好きなサッカーチームなどはどうしてもできそうにない。(別に本を読まない彼を馬鹿にしているわけではないのだが、)彼がそんな夢中になって読み進んでいた本があったということが、正直私には驚きだ。

私はこうやって、広大なこの学内の図書館の中を徘徊しているのがすごく好きだ。今日の午後は授業が連続して休講になってしまったので、彼がいうその「なんかアルミニウムみたいな名前の本」をゆっくり探索することにした。そして、それを私はすごく楽しんでいる。いろんな時代のいろんな著者の本のタイトルが私の目に入ってきて、たまに手に取っては何ページかパラパラと眺めて。面白いなと思ったら、テーブルに座って読み進めたあと、どうしよう、これ借りてこうかしらなんて迷っていると、気づいたら時間なんてすぐに無くなってしまう。私は図書館の中でそんな本を巡る旅をしている。このまま、いつまでも探していたい、という気持ちになった。

彼自身にも、その本について、何度も確認したのだ。
「ジャンルは、どんな本だったの?アルミニウムについて書いてある本で、そんな夢中になる程、面白いわけないよね」
「名前がアルミニウムみたいっていうだけで、もちろんアルミニウムのことが書いてある本じゃないよ。うん、なんかジャンルとかよくわからないんだけど、とりあえず不思議な内容で主人公が旅するような話だった。小学校の高学年でも読めたからそんな難しくなかったような。正直、内容まであんまり覚えていないんだけど、でもいつまでも夢中で読み進むことができて、読んでいたらいつの間にかすごい時間経ってた。今まで生きてきて本を読んでそんな経験をしたことなかったから、すごくびっくりした覚えがあるよ」

私も本を読んでいて、食事も忘れて夢中に読み進めたら、あたりは気づいたら夜になっていた、という経験がこれまでよくある。サッカーバカというか、サッカーしか興味がないと思われた彼の好奇心を掻き立てた本というのはいったいどういう内容なんだろう。私も俄然興味が湧いてきた。失礼な言い方だが、彼は普段、全然本を読まない(といっても、この大学の経済学部にはきちんとした入学試験をパスして普通に入れたのだから特段頭は悪くない)という彼が読んでもそうなのだから、おそらく私も夢中になれるに違いないのだ。

結局、ずっと探し回っても、本は見つからないので、その日は諦めて帰ることにした。電車で揺られて帰る途中でもずっと「アルミニウム」について考えている。「アルミニウム」なのに、主人公が旅をする?アルミニウムのない世界で、主人公がまだ見ぬ不思議な物質であるアルミニウムを求めて、冒険の旅に出かけるというストーリーなのかしら。それはそれで面白い気がする。妄想をしていくうちに、なんとなく自分でもそんな荒唐無稽な話を書いてみたくなった。

私はバッグからメモ帳を取り出した。こういう小説のネタになりそうなものを書き記して、それで満足しているだけで、今まで実際書き始めたことなどはなかった。だが、私は妙にこの「アルミニウム」の不自然な響きにどうしても惹かれたようで、私は私でこの「アルミニウム」をめぐる旅というものをどうしても描きたくなってくる。こんな衝動ははじめてだった。それはおそらく、大いなる勘違いから生まれた物語になるのだろうけど、それはそれでいいのかもしれない。

家に帰ってきて、ゆっくりお茶を飲んでリラックスしていると、彼からメールが入っていることに気づいた。
「ごめん、あのアルミニウムみたいな本だけど」
おお、思い出したのかな?
「もしかしたら、この前行った、君の部屋の本棚で見たかも。いっぱい本あった中に、あったかもしれない。表紙が変わっているから、その時は気づかなかったけど」
え、まさか、私がその本持っていたっていうの?そんなことってある?
私は立ち上がって、壁一面を埋め尽くしている家の本棚を上から下まで舐めるように探した。アルミニウム、アルミニウム…、そんな名前の本なんて私もってないはずだけど…。もしかしたら、彼の勘違いかしら。いや、でもあるって言っていたし。えーっと。

「アルケミスト」
ふいに、この本の背表紙の文字がパッと私の目に閃光にように入ってきた。パウロ・コリーリョのアルケミスト、アルケミスト、アルミニウム…。そうか、わかった。これだ、大澤くんの言っていた本。アルミニウムとアルケミスト、なんて似て非なる響き。

しかし、何時間も図書館を徘徊した結果、探していた本がまさか自分の家にあったなんて。
あれ、でも、そういえばそんな物語って、私もどこかで読んだことがあるかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?