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107_THE RiCECOOKERS「波のゆくさき」

(前回からの続き)

鱒寿司と名乗る女性に星新一の本を譲ってから、3ヶ月ほどが経った。

僕は登録した婚活サイトで知り合った女性のうち、何名かと直接会ったりもした。食品加工工場の製造ラインのように、概ね女性と会うプロセスというものは大体ほぼ決まっている。(すぐに会える!というのがサイトの謳い文句だし、サイト利用者への丁寧な導入の有無というものが、優良サイトの是非を決めるからだ)

まず女性のプロフィールを見る。女性を気に入ったり、自分の中で何か引っかかるものがあれば「いいね」をつける。DMを送る。相手から返信があれば会う日程をアレンジする。会ってみて、次会うかどうか決める。この繰り返し。淡々と文字に起こすと、特段大したことのないように思えるが、直接会うのにこぎつけるだけでも、僕にとっては相当ハードルの高いことだった。

やっとこさ、会ってみたとしても、全然お互いの話がかみ合わなかったり、相手が何を考えているかさっぱりわからなかったり。飲めないお酒も相手に合わせて、飲み過ぎたりもした。まあいろいろあったのだが、一言で言えば、みんなしっくりこなかった。面白いのは、自分がしっくりこない理由というのも、その女性によってまちまちだったことだ。

ある女性には、自分のことよりも、僕の家族のことばかりを聞かれた。(ご自身はご長男ですかとか、ご両親はおいくつですかとか)途中から、一体この人は僕の何を見ているんだろうと思って辟易した。結局、その女性は僕という人間の「形」や「器」を見ていただけなのかもしれないし、それはある意味仕方のないことだった。僕も彼女もお互い様なのだ。

なぜなら、最初に婚活サイト上で、まず真っ先にそれを交換し合っているからだ。私はこういう人間です、という名刺を交換しあった前提で世間話のお付き合いしているのに似ていて、それは単なる営業の売り込みと変わらない。ただ、売り込む商品が自分だというだけだ。だけど、もう名刺を渡された時点で、ほとんど7割くらい買うか買わないか心の中で決まっているようなものだろう。(その確認のために実際に会ってみるという女性と、そうではない女性もいる)

いずれにしても、もう一回会いたいと思えるような女性になどはなかなか巡り会うことはできなかった。その中で、やはりと言っていいのか、星新一が好きな女性などは一人もいなかった。当たり前だ、サザエを取りに網を持って森へ出かけに行くようなことなのだから。

僕はこのシステマチックとも言える女性との触れ合いの中に、いったい何を求めているのか、自分でもよくわからなくなっていた。自分が持つ鍵に合う鍵穴を探してウロウロしているのに、そもそも鍵穴のないタイプの扉ばかりをノックして回って、中にいた女性に「この鍵に合う鍵穴は知らないですか」と質問してまわっていた。

2回目に会おうかと迷いつつ送ったメッセージに対して、その女性からの返信がないことを受信欄で確認すると、僕はなんとも言えないむなしい気持ちになった。僕はいったい何をやっているんだろう。だが、これはやる前からある程度予想していたことではあった。危惧はしていたんだ、こういう気持ちになるんじゃないかって。だから、僕は星新一を手放す時にもいろいろと迷ったんだ。

星新一のような物語を一人で書き上げて、ネット上で誰にも見てもらえなかった時も、自分はいったい何をやっているんだろうという気持ちになることがあった。だが、今のこの自分のむなしさは、それとはまったく異質なもののようにに感じる。おそらく、自分だけで独り遊びをしていてふと気付くうら寂しさに近いむなしさと、自分が空っぽな人間になってしまったと気付いた時の失望にも似たむなしさの違いだった。

俺はソファーに座って、カップラーメンを啜りながら、ぼーっと空になった本棚を見つめている。本棚自体を捨てようかとも思ったが、粗大ゴミを出す手続きが煩雑でめんどくさくて、手をつけられていない。いや、正確に言えば、本棚を捨てられない理由は決してそれだけじゃなかった。この本棚に空いた空白を埋めるべき何かが、自分の中にまだあるのかもしれない。そんな気持ちからか、この本棚と僕の距離は3ヶ月経っても、いまだに縮まってはいない。

3ヶ月前に鱒寿司と名乗る女性に星新一を譲ったときに交わした会話が、ずっと自分の中で引っかかり続けている。自分が譲った本で、彼女が喜んでくれたこと自体はいい。彼女はパートナーと一緒に富山で新しい生活を送っており、そこで僕の譲った星新一の物語をじっくりと読み進めているのだろう。それはとても喜ばしいことだ。

問題は彼女が僕に対して、別れ際に言ったことにある。彼女は自分が書いた物語を、僕に読んでくれないかと頼んだ。なんとなくうやむやになってその場は別れたのだが、それをどうとらえていいのかわからないのだ。結局、あの後、フリマアプリ上で淡々と取引完了の処置をした。鱒寿司のアイコンで、お礼のメッセージが届いていた。
「今日はお話しできて本当に楽しかったです!ありがとうございました。譲っていただいた本は大切に読ませていただきます」
「いえいえ、こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました」
お互いにアプリ上ではやけに他人行儀になり、(それも仕方のないことなのだが)事務的にお互いお礼を述べて、やりとりはそこで終わってしまった。

あの時、他の連絡先でも聞いておくべきだったのだろうか。いや、これから結婚して新しい生活を送るという彼女に対して、僕みたいな男が連絡してこられたら、彼女のパートナーも訝しがるだろうし、彼女にとっては迷惑でしかないだろう。たった一回だけ会って星新一について話した女性。そもそも僕はいったい彼女をどうしたいっていうんだ。彼女は決して僕の手の届かない、文字通り別の世界の住人であり、僕の人生にたまたま迷い込んだ美しい羽根と鱗粉を持つ妖精のような存在に思えた。にっちもさっちも行かない思いを抱えて、この3ヶ月間、僕は煩悶の日々を送り続けていた。

THE RiCECOOKERS/波のゆくさき

ラーメンを食べ終えてから、結局やることもないので、僕はパソコンで婚活サイトの女性のプロフィールをボケっーと眺めていた。女性にアプローチしようなどという情熱というものがもはや湧かない。そもそも僕の中にそういったものがあったのかどうかさえ、今では定かではない。

プロフィールの写真には大体輝くような女性の笑顔が載っている。みんながみんな自分で一番だと思う、いわゆるとっておきの一枚と言うやつだ。プロフ写真は言わば、この世界における一番のシンボルであり、同時に鈍器のような殴打に適した武器だからだ。(実際に会ってみるとだいぶ写真と印象と違うことがあるが、それもこの世界ではよくよくあることで、微笑ましく語られる時と決してそうではない時がある)

婚活用プロフィールの写真に、鱒寿司のアイコンを使っている女性などは見当たらない。当たり前だ、そんなふざけた写真を載せている女性など誰もこの世にいないだろう。だが、反証的に言えば、実際に僕が会った鱒寿司のアイコンの女性はとても美しかった。

婚活アプリ上の女性のプロフィール欄には、その女性が使っている他のSNSなども登録されてある。TwitterやFacebookなどへのリンクがされてあった。なるほど、これで普段のSNS上での、女性の言動などもチェックできると言うわけだ。プロフィールからは見えない相手のことを知るのならば、そちらの方がより本人のことを詳しく知れると言うこともあるのだろう。ある女性はnoteで自分の日記を書いているようで、自分のnoteのページへのリンクが貼られている。

note、noteか。

どこかで聞いたことがある。僕はやっていないけれど、確か小説とかエッセイが投稿できるSNSに似たクリエイター向けのサービスだったんじゃないだろうか。久しくこういうものからは離れていたので(以前、僕が自分で書いた物語を上げていた投稿サイトは既にとっくに廃れてしまって、インターネットの砂漠の中に遺跡となって埋もれていた)、もの珍しく感じる。noteのトップページに移動してみると、サイトの説明文にはこう書いてあった。

「noteはクリエイターが文章や画像、音声、動画を投稿して、ユーザーがそのコンテンツを楽しんで応援できるメディアプラットフォームです。だれもが創作を楽しんで続けられるよう、安心できる雰囲気や、多様性を大切にしています」

フッと自分の中であるものが電気のように流れ出して、カチッという音がしたように、直感が働く。何者かに僕の中のスイッチが押された。そうだ、これって、もしかしたら。

無意識に僕はサイト内の検索欄を探していた。思考する間もなく、僕は「鱒寿司」と言葉を指先も見ずにブラインドでキーボードに打ち込んで、勢いよくenterボタンで検索する。クリエイターが1人ヒットした。フリマアプリで使っていたものと全く同じあの鱒寿司のアイコンのページがそこにはあった。僕はパソコンの前で一人で声にならない声をあげた。

そう、彼女はあの鱒寿司のアイコンと名前でnote上で物語を書いていたのだ。

(続く)



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