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【R-18】ヒッチハイカー:第35話『圧倒的な強さ! 雷より生まれ出でし「蠅の王」!!』

 上半身のみとなったヒッチハイカーが右手に握っていた山刀マチェーテに、まばゆ白光びゃっこうを放ち轟音ごうおんを響かせながら特大級のかみなりが直撃して生じたすさまじい爆発で、伸田のびたの前方の大地に巨大なクレーターが穿うがたれていた。
 その直径十数mもあろうかというクレーターの中央部に、黒煙に包まれながら全裸でたたずむ一人の男の姿を見て伸田のびたがつぶやいた。

「あれは… あの全裸ぜんらの男は、ヒッチハイカーなのか…?」

 やがて、吹きすさぶ猛吹雪もうふぶきがクレーターに滞留たいりゅうしていた黒煙を吹き払い、吹き荒れる吹雪越しではあったが徐々に視界がハッキリとしてきた。

 吹雪に煙が吹き払われたクレーターの中心に一人たたずんでんでいたのは、目測だが身長は190cmほどだろうか… 身体つきは無駄な贅肉ぜいにくなど一切いっさい無い筋骨たくましい若者で、肩幅が広く胸板の厚くて脚の長い、ギリシャ彫刻で表現される神々の様にバランス的に非の打ち所の無い美しい肉体をした男だった。
 そして何よりも驚いたのは、その完璧ともいえる肉体をした男は全身から淡い光を放っている事だった。
 しかし、ノビタを包む青白い光が見る者を心地ここち良くさせ、気持ちをあたためてくれる柔らかい光であるのに反して、その男が全身から放つ光は決してまぶしい訳では無いのだが見る者を不快にし、目をそむけたくなる様な不気味でボウッとした紫色の淡い輝きなのだった。

 伸田のびたは、この全身から紫色の淡い光を放つ全裸の男がヒッチハイカーであるならば、以前の昆虫を醜悪にした様な姿をした怪物の時よりもはるかに強力な存在となっているのを感じた。それは、伸田のびた自身が言葉に上手うまく表現出来なかったが、彼の本能的な何かが感じ取った脅威であるとしか言えなかった。

「もし…ヤツがヒッチハイカーだったとしたら、姿はシンプルな人間体に戻った訳だけど、なぜだか今までのどの怪物形態の時より途轍とてつもなくヤバい感じがする…」
 伸田のびたは自分の全身がおこりのようにガタガタと震え出すのを止められなかった。それは、彼の周辺に吹き荒れる吹雪による寒さのせいだけでは無かった。

「その通りだ。今度のヤツはヤバいぜ… 俺の白虎としての五感にかけてちかうが、あれは間違い無くヒッチハイカーの再生した姿だ。どうやら、野郎は魔族として覚醒かくせいしやがったみたいだな。つまり、今のヤツは完全な魔界の存在に変わっちまったってこった。見た目は人間の姿をしていやがるが人間じゃねえ。
 もうお前さん一人じゃ手にえないだろうな。まあ、俺としちゃあ不本意ふほんいなんだが…手を貸す事にしたぜ、相棒。」

 伸田のびたは驚いて、突然自分の近くで声がした方を見た。すると、自分のすぐ左隣ひだりどなりの位置に、いつの間にか静かに四本足で立つ白虎の姿があった。
 たった今、恐怖でガタガタと震えていた伸田のびたは、これ以上の助っ人として頼もしい存在は考えられない白虎と再び合流出来た事を、驚喜せんばかりに喜んだ。彼にとっては、暗闇の中に一条の光を見い出したほどの安心感をもたらしてくれたのだった。

 逆に言えば、それほどクレーターから現れたヒッチハイカーと思われる一人の男の存在が、伸田のびたを限りない不安におとしいれさせていたのだと言えた。男から100m近くも離れた場所にいる伸田のびたにまで、もの凄いプレッシャーが感じられるのだった。その男から発散される威圧感は、今までに戦ったヒッチハイカーのどの形態時よりも強いものだったのだ。
 伸田のびたは神獣の白虎がそばにいてくれるだけで、それまで無意識の内に生じていた身体の震えが止まり、ようやく人心地が付けた思いだった。

「白虎さん、ヒッチハイカーが覚醒したっていうのは…?」

「ああ… ヤツはもう巨大化したり、コケおどしの怪物形態を取る必要が無くなったって事だ。いろいろと姿を変えやがったが、あのシンプルな人間形態の姿がヤツの最終進化の形なんだろう。
 今度のヤツは手ごわいぜ。間違いなく今までみたいにはいかねえな。」

 これまでにないほどの真剣な口調に、思わず伸田のびたは自分の左側にたたずむ白虎を見下ろした。巨大な猛獣の虎とはいえ、立った状態では人間である伸田のびたの方が目線は上となるのだ。
 伸田のびた自身が新しいヒッチハイカーの姿にはプレッシャーを感じていたが、百戦錬磨で不死身の神獣白虎でさえ、あなどりがたい威圧感を敵に感じ取っている様子に、思わず伸田のびたはゴクリとツバを飲み込んでいた。
 改めて伸田のびたは前方のヒッチハイカーを見つめた。ヒッチハイカーはすでに雷で穿うかたれたクレーターから外の地面へと出ていた。そして、ゆっくりとした歩みではあったが、そのまま伸田のびたと白虎のいる方へと真っぐに近づいて来る様子だった。

「僕は確かに見たんです。 あいつ…まるで怪物の身体部分から逃れようとするかの様に、あの山刀マチェーテで滅多切りにして自分の人間形態部分を切り離したんです。それに左腕だって僕の攻撃を受けた後、消滅から逃れるために切り離していた…
 なのに今のヤツは、どこにも欠損部分の無い完全な人間体に戻っている… こんなバカな事って!」
 伸田のびたは自分で話すうちに次第に興奮して来たのか、最後の方は自棄やけになってき捨てるような口調となっていた。

「ああ、俺も見てたよ。だが、今のヤツは幽霊でも幻でもえぜ。信じたくなくても、現実から目をそらすな。」
 白虎がヒッチハイカーに目を向けたまま、伸田のびたに対して落ち着いた声で言った。

「それに…もう一つ俺が気になっているのは、ヤツが右手に握っている山刀マチェーテだ。あの特大級の稲妻いなずまが直撃を受けたのに、溶けるどころか原形を留めたままだ。
 あれは、ただの金属じゃねえ… 信じられん事だが、俺の知る限りであれ●●該当がいとうする金属があるとすりゃあ…お前さんの持ってる剣の素材『ヒヒイロカネ』と、後は一つだけしか考えられねえ…」
 ここでいったん白虎は言葉を切った。自分でも信じたくない話を語るのを躊躇ためらっている様子だった。

「そ、その金属っていうのは…?」
 伸田のびたは白虎に話を続ける様に求めた。

「伝説の超金属『オリハルコン』だ。別名『オレイカルコス』とも呼ばれている。
 海中に没したとされている伝説の大陸アトランティスに存在したと言われる幻の金属だ。」

「え? あの…伝説の金属…『オリハルコン』…?」
 白虎が語ったのは驚くべき話だったが、伸田のびたも『オリハルコン』の名前は聞いた事があった。

「ああ、間違いない。日本古来の超金属『ヒヒイロカネ』に比肩ひけんる金属と言ったら、このには『オリハルコン』しか存在しねえ。
 だが、『オリハルコン』は伝説の金属なんかじゃない。この世に実在した金属だ。
 お前さんは知らんだろうが、ついさっきも俺はオリハルコンで作られた武器で武装した二人組のとんでもねえ殺し屋どもとやり合ったばかりだ。
 ただ、何でヒッチハイカーのヤツがそんな伝説の金属製の刃物を持っていたかってのは謎だがな。」

 話を聞いていた伸田のびたは、不思議がっている白虎以上に訳が分からず、彼の理解の範疇はんちゅうはるかにえていた。伝説の金属まで登場してくるなんて、余計よけいにヒッチハイカーの謎が深まっただけだった。その謎だらけの張本人が稲妻の直撃による爆発の中から五体満足な姿に復活をげ、確かな足取りで自分達に向かって近付きつつあるのだ。
 つい先ほどまで、青白き光の玉となってヒッチハイカー相手に圧倒的な力の差を見せつけていた伸田のびただったが、今の彼には精神的な余裕など微塵みじんも存在しなかった。

「あんなヤツに、この僕が勝てるのか…? こっちの『ヒヒイロカネの剣』に匹敵ひってきするという、ヤツの『オリハルコン』製の山刀マチェーテ… それに、ベレッタに残っている必殺の『式神弾』は一発だけ。
 僕に残されたヤツより有利な点と言ったら…空を飛べる事…だけか?」

 白虎の話を聞いた伸田のびたは、ヒッチハイカーとの戦いで有利だった時に自分の中でみなぎっていた自信が急激にしぼんでいくような気がした。いや、消え失せてしまったという方が正しいだろう。

「いや、残念だが…それだって、もう有利とは言えないようだぜ。あれを見ろよ。」
 指を指し示す訳にはいかない白虎が、そう言ってヒッチハイカーに向けて自分の鼻面はなづらを数回振って見せた。
 白虎にうながされるまま、伸田のびたはヒッチハイカーの姿に目をらした。

「何だ、あれ…? ヒッチハイカーの身体から紫色の煙が出始めた…」

 伸田のびたが驚愕したのも無理は無かった。こちらに向かって歩いて来るヒッチハイカーの身体が紫色にボウっと光っているのは先に述べたが、その彼の淡く光る全身から濃い紫色のけむりきりの様な気体が身体から立ちのぼり始めたのだ。
 煙がただ空気中をただよっているだけならば、周辺に吹き荒れる吹雪ふぶきでたちどころに吹き飛ばされてしまうはずだが、この紫色をした煙はヒッチハイカーの身体のまわりを取り囲んだまま彼の身体から離れようとはせず、風によって吹き払われる事も無いのだった。
 この明らかに物理法則を無視したとしか言いようのない現象は、一体どういう事なのだろうか?

「あれはハエだ。」
「え? ハエ…?」

 白虎に言われてみても伸田のびたには何の事か全く分からなかったが、数十m離れた地点を歩くヒッチハイカーのまわりの様子が、常人である自分とは比べ物にならない鋭い五感を持つ神獣白虎には手に取るように分かるのだろう。伸田のびたの目には『ウインドライダーシステム』のヘルメットに付属するゴーグルを通して見ても、ただヒッチハイカーの周りを紫色の煙が吹雪に払われる事なく奇妙に取り巻いている様にしか見えなかった。だが、その自然現象に反した光景自体がおかしいのだ。

 様子をている伸田のびたと白虎の前方で歩き続けるヒッチハイカーは、次第しだいに二人の方へと近づいて来た。すると、吹き荒れる風の音に混じって『ブウーン…』という虫の羽音はおとの様な音が伸田のびたの耳にも聞こえて来た。

 さらに近付きつつあるヒッチハイカーの周囲を取り巻く紫色の気体状に見えたモノの正体は、やかましいほどの羽音を立てながら飛び回る無数の紫色をしたハエの大群だったのだ。数十万匹…いや、多すぎて伸田のびたには数の見当もつかないほどのハエのれだった。
 それほどのハエの大群がヒッチハイカーを包み込むかのように彼の周囲を飛んでいる光景に、伸田のびたは吐き気をもよおすほどの不快感をおぼえずにはいられなかった。

「ううっ! あの紫色の煙みたいに見えるのが全部ハエ!? あのハエの大群はヒッチハイカーにたかってるのか? それとも、ヤツが出現させたんでしょうか?」
 伸田のびたが白虎の方に身をかがめる様にして問いかけた。

「もちろん、後者だろうな。あれは、雷で復活した新生ヒッチハイカーの能力の一つなんじゃないか?」
 つぶやくような声で白虎が伸田のびたに答えた。

「いくらちっぽけなハエだって、あれだけの大群に一度に襲いかかられたら…」
 伸田のびたは考えるだけでもおぞましい光景を頭に思い描いてしまい、ゾッとして全身に鳥肌とりはだが立つのを感じた。

「ああ… たとえ、お前さんが空を飛んでヒッチハイカーに攻撃を加えようとしたって、あのハエどもが全力で阻止そししようとするだろうな。
 ヒッチハイカーの野郎… さながら『はえの王』ってところだな。」

 白虎の言葉を聞いた伸田のびたの全身に戦慄せんりつが走った。

「『蠅の王』…? ベルゼブブ… ヤツが…?」

「何だ、そのベルゼブ…なんとかってのは?」
 めずらしく白虎が伸田のびたの顔を見上げながら、問いただす様な口調で聞いた。

「『ベルゼブブ』です。『蠅の王』と呼ばれているんです。たしか、キリスト教における悪魔の一人だったと思います。僕もくわしくは知りませんけど、旧約聖書に登場するんじゃ無かったかな…」
 敬愛する白虎の真剣な問いかけに伸田のびたは、しどろもどろになりながらも、うろ覚えの雑学を披露ひろうした。

「ヒッチハイカーが悪魔… 蠅の王のベルゼブブ… ふっ、まさかな…
 たしかにヤツはこれまで蜘蛛くもやトンボ、サソリ等の昆虫こんちゅうタイプの姿に変身して来た。だから、今度はハエの大群を操ってるだけだと、そう思いたいが… なんだか、この俺だって逃げ出したくなってきやがったぜ。」

 かすかだったが、白虎の声におびえに似た響きを感じ取った伸田のびたは驚愕した。風俗探偵千寿 理せんじゅ おさむが変身した天下無敵の神獣白虎が恐れを感じるなどという事は、伸田のびたにとっては考えたくも無い事態だと言うしかなかった。

「ブウウウーン!」

 吹き荒れる吹雪の音をも圧するほどの、ハエの大群によるうなるる様な羽ばたきの音が次第に大きくなって来た。全身から紫色の光をかすかに発した全裸のヒッチハイカーが、すでに伸田のびた達から30mほどの距離まで迫って来たのだった。

「クソッ! もう、どうにでもなれだ。ノビタ、覚悟を決めろ!
 まずは様子見に、オレが突っ込む! お前は油断せずに、そこで見てろ!」

 そう叫ぶやいなや、白虎はヒッチハイカーに向かって走り出していた。

「グワオオオオオーッ!」

「ブワアアアアアーッ!」

 大地をるがす白虎の雄叫おたけびをかき消すほどに猛烈な羽音を響かせ、数え切れないハエの大群が一斉に白虎に襲いかかった。
 白い白虎の身体に、無数の紫色をしたハエ達がむらがっていく。それは、まるで意志を持った紫色の竜巻の様だった。

「ぐっ! ノビタあっ! 気を付けろ! このハエどもは肉食だ! むさぼり食われるぞ! ぐわあああーっ!」

 ハエの追撃をかわそうとジグザグに走り回っていた白虎だったが、伸田のびたに警告の叫びを発したのを最後に姿が見えなくなった。ハエの大群に完全に包み込まれてしまったのだ。全身を無数のハエ達におおわれ、紫色の塊と化しても動き回っていた白虎だったが、次第に動きが弱まっていった。

「白虎さん!」

 それは、あっという間の出来事だった。自分の目の前で起こった出来事を前にして伸田のびたに出来るのは、ただ呆然ぼうぜんと見守るだけだった。
 白虎の姿は紫色のハエの大群に完全に飲み込まれ、そこには降り積もった雪の上に紫色のザワザワとうごめく盛り上がった小山しか見えなくなっていた。

「なっ! びゃ…白虎さんが、ハエの群れに飲み込まれた!」
 伸田のびたが真っさおな顔で叫んだ。

「ノビタ…」

 ショックを受けていた伸田のびたは、自分の名を呼ぶ声の方を見た。残念だが、その声の主は白虎では無く、いつの間にか十数mの距離にまで近づいていたヒッチハイカーだった。

「ノビタ… シズちゃんはオレがもらう。お前は邪魔だ…死ね」

 それまでの伸田のびた意識は白虎とハエの大群の方に向いていたため気付かなかったが、いつの間にか全裸だったヒッチハイカーの下半身全体を、ちょうどズボンを穿いているかの様に紫色の煙がおおっているではないか。このため、上半身は筋骨たくましいギリシャ彫刻の様な裸体をさらしたままだったが、臍から下の下半身全体が紫色の羽毛の様にフワフワとした体毛におおわれている様に見えた。
 この現象が意識的になされたのだとすれば、それは曲がりなりにも、ヒッチハイカー自身に人間だった時の羞恥心しゅうちしんとでも言うべき意識が残っている事のあらわれだと言えるのだろうか?
 それよりも今、伸田のびたが自分の目を疑ったのは、ヒッチハイカーの背中に紫色の煙が集まっている事だった。それは見る間に、背中の左右それぞれの肩甲骨けんこうこつあたりから生えた2枚の翼を形成するかの様にまとまり始めたのだった。いや、もはや煙はヒッチハイカーの背中に生えた2枚の翼そのものとしか言いようのない形状と化し、紫色をした左右それぞれの翼がゆっくりとだが力強く大きく羽ばたき始めた。
「バサッ、バサッ」
 すると、雪の降り積もった大地をみしめていたヒッチハイカーの両足が、ふわりと空中に浮かび上がった。
 その紫色をした巨大な2枚の翼は、以前ヒッチハイカーが飛行した際に背中に生やしていた4枚のトンボの様な昆虫こんちゅうはねとは違い、わしの様な猛禽類もうきんるいの鳥が持つ翼そのものだった。

「翼… 鳥の様な巨大な紫色の翼… はえの王といっても蠅のようなはねと言う訳では無いって事か…」

 信じられない思いで目の前の光景を見つめる伸田のびたの目の前で、力強く羽ばたいたヒッチハイカーは吹き荒れる吹雪ふぶきをものともせずに徐々に高度を上げていった。そして地上から30mほどの高度にまで達したかと思うと、茫然として地上に立ち尽くし自分を見上げる伸田のびたを上空から見下ろし、彼にねらいを定めると急降下で襲いかかって行った。

「来る!」
 上空を見上げていた伸田のびたは、ヒッチハイカーの急襲を察知した瞬間に『ウインドライダーシステム』に脳波で指令を与え、右後方十数mの位置まで一気に飛び退すさった。
 伸田《のびた》は、ヒッチハイカーの背中に生えた鷲の様に巨大な翼に、以前のトンボに似た怪物形態時の様な昆虫に近い敏捷びんしょうな動きは不可能だと判断し、垂直で降下する蠅の王をかわす目的で水平移動するべく横っ飛びに飛んだのだった。
 しかし、伸田のびたの予測ははずれた。ヒッチハイカーは伸田のびたの素早い動きをはるかに上回る敏捷さで飛んだのだ。地上に向けて急降下していたはずの蠅の王は驚くべき飛行速度のまま信じられない様な軌道を描いて飛び、水平に移動した伸田のびたにピッタリと張り付くかの様に移動してのけたのだった。
 だが、あの巨大な鳥の翼を広げた蠅の王がこの吹き荒れる猛吹雪の中で素早く動けるはずが無い。どうしても風の影響を翼に受けない筈が無いのだ。自然界の本物の鳥達でも、こんな吹雪の中を飛びはしないだろう。
 蠅の王の動きは、まったくもって自然界における物理法則を無視しているとしか考えられなかった。しかし、信じたくなくても現実である以上、伸田のびたとしては無視する訳にはいかなかった。
 次の瞬間、蠅の王と化したヒッチハイカーの彫りの深く端正な顔が、すぐ目の前から自分の顔を覗き込んでいたのだ。そして蠅の王はニヤリと笑った。

「うわあああっ!」

 伸田のびたは恐怖の叫びをあげると、今度は右方向へ十数mの距離を一気に飛んだ。しかし、またしても蠅の王がそこにいたのだった。

「ひいっ! うわああっ!」

 愕然がくぜんとした伸田のびたが、恐怖でパニックにおちいるのも無理は無かった。なぜなら、伸田のびたが瞬時の判断で飛び退いたのにもかかわらず、蠅の王は彼の先回りをしていたのだった。もはや、蠅の王は逃げる伸田のびたを追うのではなく、伸田のびたの行動を正確に予知しているかの様に素早い動きで先回りしているのだった。

「そ、そんな馬鹿な… 僕の動きを予知しているって言うのか? しかも一瞬の内に…?」

 この猛吹雪の吹き荒れる寒い山中で、伸田のびたの全身に悪寒おかんが走り冷や汗が流れた。

「こ、こんなヤツ相手に…勝てっこない…」

 伸田のびたは逃げ回るのを止め、飛行するための『ウインドライダーシステム』の6基のローター回転を停止した。逃げ回ったところで、先読みした蠅の王が先回りしているのなら、むやみに飛び回ったところで無駄だと覚ったのだった。それに飛行を続ける事で『ウインドライダーシステム』のバッテリーを無駄に消費してしまう。

 今、蠅の王は彼の前方10mほどの位置にたたずんんでいた。彼はたくましい腕を胸の前で組み、紫色の翼を折りたたんで人を小馬鹿こばかにしたようなニヤニヤ笑いを浮かべながら伸田のびたを見つめているのだった。
 もはや、伸田のびたに密着するほど近寄るつもりは無いようだった。すでに蠅の王は伸田のびたを追い込み、彼の絶望を見て取ったのだろう、いや、彼の心を読んだのだろうか? 雷の直撃により超常的な能力を身に着けた蠅の王は、すでに人知の及ばない絶対無敵な存在になってしまったというのだろうか? 
 とにかく、蠅の王と化したヒッチハイカーにしてみれば伸田のびたの様な非力な人間など、いつでも殺せると判断したのだろう。
 果たして、もう伸田のびたに打つ手は無いのだろうか…?
 
 
 
     ********
 
 
 
「あれを見なよ、バリー。
 ノビタとか呼ばれてたガキが、紫色の翼を生やした魔界の者に追いめられて一方的になぶられていやがる。面白い見物みものだね。」
 
 伸田のびたと蠅の王が対峙する場所から数十m離れた林内にある、雪が降り積もった巨大な針葉樹のかげに隠れて様子をうかがっていたのは、ライラとバリーの二人組だった。
 彼女達は白虎や鳳 成治おおとり せいじ達と別れた後、伸田のびたの行方を追った二人は雷がヒッチハイカーを直撃する以前から、戦いの様子をのぞいていたのである。
 もちろん、ライラとバリーは途中で登場して来た白虎に関しても目撃していた。二人にとって天敵であり永遠のライバルとも言える白虎が、復活したヒッチハイカーの身体からき出した紫色の煙が変化した蠅の大群によって全身をおおつくくされる光景も見ていたのだ。

「あのノビタとかいう小僧もいい線いってたんだけどねえ… あと一歩のところでヒッチハイカーにとどめを刺せそうだったってのに、無粋ぶすいなカミナリ様のおかげで形勢が一気に逆転しちまった。まったく、ノビタには気の毒なこった。
 あの復活したヒッチハイカーの姿と能力… あれは、間違い無く『蠅の王』だね。ヒッチハイカーの野郎、とんでもないのに化けやがった。ヤツは魔界でも上位の部類だよ。」

 ライラが嬉しそうに横にいるバリーに話しかけた内容が真実ならば、元々は人間だったヒッチハイカーが、彼の摂取せっしゅした薬剤の力によって魔界でも上位の存在であるという魔族に変化した事になる。そんな事が本当に可能なのだろうか?

「チャーリーに命じられたアタシ達の今回の任務は、暗号名『ヒッチハイカー』の身柄の確保で生殺せいさつは問わず…だったのよね。最初は退屈でつまらない任務だと思ってたけど、実際は違ったってわけだ。
 白虎や特務零課とくむぜろか課長の鳳 成治おおとり せいじまで現れたし、標的ターゲットのヒッチハイカーの正体が『蠅の王ベルゼブブ』だったなんて。
 バリー、アタシ達はついてるみたいだね。こうなったら、あのベルゼブブ野郎は何としてでもアタシ達が手に入れるわよ。」

「ブモウ!」

 双子ふたごの妹で相棒でもあるライラが楽しそう話す内容を黙って聞いていた兄のバリーは、単細胞な彼としては難しい話はよく分からなかったのだが、聞いている内に何だか自分もライラ同様に楽しくなってきた。
 妹のライラの言ってる事に従ってさえいれば、いつだって自分は幸せになれる。彼は日頃からそれをモットーに生きているのだった。考えるのは妹のライラで、自分は実行役なのだ。長兄のチャーリーの命令を『殺戮のライラ&バリー』の二人は実行していればいい。そうすれば、++あのお方++の役に立てるのだから…

「とにかく、もう少し蠅の王ベルゼブブとノビタの戦いを観ていよう。あれはあれでショーとして面白いしね。」

 どんな男でもとりこにしてしまう妖艶ようえん凄絶せいぜつ美貌びぼうを誇るライラの顔に、残忍で不気味ぶきみな笑みが浮かんでいた。妹の顔を横目で見た半獣半人の怪物バリーは満足そうに低くうなって答えた。

「ブモー」
 
 
 
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「ここまでか… ヒッチハイカーが本当に『蠅の王ベルゼブブ』になったのだとしたら、ただの人間である僕如ぼくごときが万に一つも勝てるはずなんて無い…
 最後にもう一度だけ、シズちゃんにいたかった… そして彼女のお腹の中にいる、だ見ぬ僕の子供を一度でいいから抱いてみたかった…
 ごめんよ、二人とも…」
 蠅の王と化したヒッチハイカーに見せつけられた圧倒的な力の差に、伸田のびたは絶望するしか無かった。彼は目の前にいない最愛の女性、皆元 静香みなもと しずかと彼女の胎内たいないにいる自分との子供の事をおもった。

 伸田のびたの目から、ポロポロと無念の涙がこぼれ落ちたその時だった。

伸田のびた君、あきらめるのはまだ早いわよ。』

 伸田のびたは自分の耳を疑った。突然、彼の耳に女性の話しかける声が響いたのだ。いや…正確に言うと、その声を発した女性は伸田のびたの近くにいる訳では無い。
 彼のいる地点からはるか遠く離れた東京新宿カブキ町にある『千寿せんじゅ探偵事務所』内にいる風祭 聖子かざまつり せいこが無線を通して語りかけてきた声が、伸田のびたかぶる『ウインドライダーシステム』のヘルメットに仕組まれたヘッドフォンから聞こえて来たのだった。

「聖子さん…?」

 そうなのだ。伸田のびたは忘れていたが、『ウインドライダーシステム』のヘルメットに仕掛けられたカメラとマイクを通して、風祭 聖子かざまつり せいこ聖子は伸田のびたが体験している状況を遠く離れたカブキ町の事務所ビルに居ながらにしてリアルタイムで共有していたのだった。

『相手があんな化け物じゃあ、あなたが絶望したくなる気持ちは理解出来るわ。でも、あなたには愛する人と彼女の胎内に息づいた赤ちゃんがいるんでしょう?
 二人のためにも、絶対にあきらめちゃダメよ。生き残る事を考えなさい。』

 ヘルメットを通して聖子のはげます声が聞こえて来たが、いかんせん対峙たいじしている相手が悪すぎるのだ。伸田のびたは聖子に対して正直に訴えた。

「僕だって、生き抜きたいんです。こんな所で死にたくなんてない。でも、相手はあの白虎びゃっこさんさえ倒してしまったヤツなんですよ。あんなヤツ相手に、人間の僕に勝ち目なんてあるはずが…」
 そう言った伸田のびたの声は恐怖と絶望で震えていた。だが、聖子から返って来たのは同情の響きがめられた優しい答えなどでは無かった。

『泣き言なんて聞きたくないわね。あなた、男でしょ。股間に立派なもの●●をぶら下げてるんじゃないの?
 それに、うちの所長の事なら心配なんてらないから安心して。満月の今日なら、フル装備の原子力空母相手に一人で戦ったって彼は死にやしないんだから、放っておけばいいわ。
 だから今は、あなたが一人でヤツと戦うしかないのよ。』

 聖子の言う事は正論だし理解出来るのだが、白虎の助けを借りられない今、伸田のびたは怖くて仕方が無いのだった。彼は震える声で聖子に問いかけた。
「でも…どうやって戦えばいいんですか…?」

『ごらんの通り、ヒッチハイカーは完全に魔族と化したわ。なら、逆に打つ手が無い訳じゃない。あなたは今日、ここまでヒッチハイカー相手に互角以上に戦って来たのよ。この天才科学者、風祭 聖子かざまつり せいこ聖子の開発したウインドライダーシステムを使ってね。
 忘れたの? あなたはもう使った●●●●●のよ、対魔界の者専用防御システムをね。』

 聖子のほこらしさの混じった声が耳に響いて来たが、それを聞いても伸田のびたには何の事か分からなかった。そこで、彼は昨夜からの自分とヒッチハイカーとの戦いを思い返してみた。

「対魔界の者専用防御システムだって…? ん! そうか! 疑似結界ぎじけっかいシールドか!」
 伸田のびたは怪物ヒッチハイカーに対して有効だった戦法を思い出した。

『ビンゴ! それを使ってヤツから身を守りながら戦いなさい。
 私の持てる科学力のすいを集めて陰陽術おんみょうじゅつの結界をも参考にして作り出した「疑似結界シールド」は、必ず人外じんがいの者達を封じ込められると信じてくれていいわ。
 ヒッチハイカーがどれだけ上位の魔族に変化したとしても、魔界の存在である以上は結界けっかいは有効なはずよ。結界の威力は、神獣白虎と化したうちの所長でさえ封じ込めるくらいなんだから。
 後は、あなたの武器だけど…その点は分かっているわね。』 

 聖子の話を聞いていた伸田のびたの心に、わずかだったが希望の光が見えて来た。僅かではあっても、絶望感に打ちひしがれていたみじめな心境よりもはるかにましだと言えた。彼は自分の両手にそれぞれ握りしめていた物をすがるような目で見つめた。

「僕の武器は… この『ヒヒイロカネのつるぎ』と、たった一発だけ『式神弾しきがみだん』の残ったベレッタ。それと疑似結界シールドか…」

 
「もう、いいのか?」

 突然、聖子ではなく低い男の声が聞こえた。
 顔を上げた伸田のびたは、前方にいる蠅の王がしゃべっていたのが分かった。

「何かブツブツしゃべっていたようだったが、もう無駄に逃げ回るのはめて大人しく死ぬ決心はついたのか?」
 蠅の王の口調には、ヒッチハイカーだった時の様なあざけりやさげすみ等の、人を小馬鹿こばかにしたような響きは無かった。ただ、淡々たんたんとしゃべるだけで感情の込められていない口調に、伸田のびた余計よけい不気味ぶきみさを感じずにはいられなかった。

「ゴクリ…」
 昨夜来の引き続く戦闘で伸田のびたの口内はカラカラにかわき、ほとんど水分など残っていなかったが、少しでも緊張をしずめようと彼は生唾なまつばを飲み込んだ。
 今の伸田のびたには、風に乗る者ウインドライダーとしてヒッチハイカーに対峙たいじした時の様な気持ちの余裕は微塵みじんも無かった。
 脚は言うに及ばず、彼の全身がガタガタとふるえているのは、夜明け前の山中に吹き荒れる吹雪による寒さのせいばかりでは無かった。

 それでも、伸田のびたは愛する者達を再び自分の腕で抱きしめるために、全身の震えを抑え込むようにファイティングポーズを取った。そして、ヘルメットの脳波誘導システムに向けて強く念じた。
「ウインドライダーシステム起動!」

「キュイイィーン!」
 停止させていた6基のローターが吹雪の音に負けないうなりを上げて回転し始めた。

「行くぞ、ベルゼブブ! この伸田 伸也のびた のびや風に乗る者ウインドライダーとして…いや、一人の人間として貴様に決戦をいどむ!」
 そう強く宣言した伸田のびたの身体が吹きすさぶ吹雪の中、雪が降り積もり凍てついた大地からフワリと浮かび上がった。

「来い、小僧!」
 伸田のびたの決死の覚悟を見て取った蠅の王がニヤリと笑って応じた。

 吹雪の吹き荒れる山中に、二人にしか聞く事の出来ない最後の戦いのゴングが鳴った。
 
 
 
 
【次回に続く…】

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