見出し画像

庵功雄『やさしい日本語 ――多文化共生社会へ』(岩波新書)を読んで

 不勉強にして、〈やさしい日本語〉という考え方を知ったのはつい数年前のことだ。

日本語を母語としない人々とこの社会で共に生きるために用いる、日本語非母語話者にも理解しやすい表記や言い回しへと調整された日本語。

 例えば、文節に分かち書きをしたり、ルビをふったり、抽象的で難解な語句を具体的にわかりやすく言い換えたり(以下はNHKが2012年から開始したサービス「NEWS WEB EASY」)。

 最初この〈やさしい日本語〉という考え方を知ったとき、僕の脳裏に浮かんだのは、(ああ、こうしたシステムがあったら、確かにこの社会で暮らす日本語を母語としない人々は、助かるだろうなぁ…)という思いだった。そして、(今後ますますこの国には日本語非母語話者が増えていくだろうから、そのような人々のためにも、ぜひ広めていかねばならない考え方だなぁ…)と。つまり僕が思ったのは、

日本語非母語話者の"ために"、ホスト側の日本社会が、〈やさしい日本語〉を準備し、使って"あげる"

ということの必要性であったわけだ。
 しかし、本書『やさしい日本語 ――多文化共生社会へ』を読み進めるうちに、そうした当初の考えは、少しずつ、しかし確実に崩れていくことになった。
 本書で筆者が何度も何度も繰り返し訴えるのは、端的に言えば、

〈やさしい日本語〉は、日本語非母語話者のみならず、日本語母語話者、あるいはこの社会に住むすべての人々にとっての"公共の利益"となる、誰にとっても必要なものである

ということである。
 本書は、日本の社会状況やここに暮らす様々な境遇の人々、もちろん日本語学・言語学的な知見などにも言及しながら、"なぜ〈やさしい日本語〉はこの社会に生きるすべての人々にとって大切なものと言えるのか?"という問いへの答え、その根拠を、可能なかぎり具体的に明示していくという構成をとっている。
 例えば、

・日本語を外国語に翻訳する際、医療関係の文章のように非専門家にとって難解な文章は、原文をそのまま訳すよりも〈やさしい日本語〉に直してから翻訳したほうが明瞭な文章になる。

・〈やさしい日本語〉の普及により、日本語非母語話者やその子どもたちがこの社会で学び、あるいは競争する権利が保障されれば、彼らの生活や収入も安定し、結果として治安の安定や社会保障制度等の持続が可能となる。

・〈やさしい日本語〉は、「障がいをもつ人」の社会参画を保障し、彼らが「平等な競争」の場へと上がることを可能とする。

等の点を、極めて明快に、かつ論理的に解説してくれるのだ。
 とりわけ、〈やさしい日本語〉によって自己の母語である日本語を対象化し、"伝わりやすさ"を考えて調整するという思考・作業が、「自分の考えを相手に伝えて、相手を説得する」という必須の「能力・スキル」を鍛えるのに決定的な役割を果たすと主張する以下の言葉は、かなりの説得力を持つだろう。

外国人に伝わるように自分の日本語を調整するという行為は、実は、「自分の言いたいことを相手に聞いてもらい、相手を説得する」という、母語話者(中略)にとって最も重要な言語能力の格好の訓練の場になるのです。つまり、この点で、〈やさしい日本語〉は、日本語母語話者にとって「日本語表現の鏡」としての役割を果たすのです。(p186)

 このように、筆者はとにかく、時に執拗と思えるほどに、〈やさしい日本語〉を導入することの、この社会全体にとっての"メリット"を説く。そして本書を読む者もまた、その一つ一つの説得に、「なるほど!」とうなずくことになるだろう。それほどに、筆者の論証は具体的で、論理性に富むからだ。
 しかしながらおそらく――これは僕の邪推であり下衆の勘繰りに過ぎないが――筆者は、本当のところは、"メリット"云々を超えたところで、〈やさしい日本語〉の普及を願っているのではないか。例えば、「移民」の子どもたちへの権利保障がもし筆者にとって何の"メリット"ももたらさなかったとしても、それでも筆者は、〈やさしい日本語〉の普及や僕たちへの啓蒙を、一点の疑いもためらいもなしに実践し続けていくのではないか。
 何の根拠もないけれども、本書を読み終えたときに、僕の心に浮かんだのは、そうした感想だったということは付記しておきたい。
 ともあれ、庵功雄『やさしい日本語 ――多文化共生社会へ』、より多くの人々に読まれてほしい、そしてこの社会に住む皆で共有したい一冊だ。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?