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*8 パラダイム

 私の心配性は時として心配症と表記する方が相応しいまでに病的にその力を発揮する場合がある。良くも悪くも想像力が豊かだと言われながら育ってきた私は幼少期に何の影響か、父親の隣で眠るその寝室の窓から狼が飛び込んで来るのを想像しては怯えていた。世の中何が起こるか分からないとは言え極めて可能性の低い事柄まで針小棒大に扱っていてはきりが無いのであるが、この癖ばかりは未だに抜けないでいる。それだから見ず知らずの人間が私の部屋を訪ねて来るとなると、どんな人が来るのかとあらゆる人物像を思い描いては一人内心波乱々々はらはらとしている。流石にもう狼が現れる可能性を頭に浮かべる事は無いが、万が一刃物を持った男が入って来た場合の戦い方まで一度確認しておけば、後はどんな人間が現れてもどうにでも対処出来るだろうとそういった具合である。

 

 そんな私の杞憂も露知らず、金曜日の十四時、男は予定時刻に忠実に私のアパートの呼び鈴を鳴らした。屋根裏みた様な場所にある私の部屋まで階段を上って来た男は、危険な臭いの一切しない飄々とした青年であった。私は挨拶をして殆ど殺風景な私の部屋に彼を通した。勉強部屋として使っている部屋で事足りている私はリビングダイニングキッチンとして使える空間を持っていながら、その内のキッチンを使うばかりで本来リビングとしての役割を果たすべき空間を伽藍堂に持て余していた。しかしこうしていざ客人が来てみると応接用にでもソファやテーブルくらいあった方が気が利いているなと思う。そんな事を考えながら私は勉強部屋からデスクチェアを転がしてきて精々せいぜい彼にはそこに腰掛けて貰った。

 

 インタビューは早速始まった。以前新聞記者からインタビューを受けた時と殆ど同じような話ばかりをし、彼はそれを細かく頷きながら膝の上で端から素早くノートに書記していた。インタビューはものの三十分程で終わった。インタビューを終えると彼は簡単に挨拶を済ませるなりあっという間に帰って行った。話によると彼の通う大学で年末に雑誌だかの小冊子が発行されるようで、その雑誌の一部の記事で私の事を取り上げたいという事であった。完成原稿をまた送ってくれると言うので楽しみである。

 さて時系列を無視する形で週の後半の出来事を冒頭から連々つらつらと書き綴ってきたが、それより前の水曜日に到頭とうとう最後の試験に当たる口答の追試試験があった。

 追試の通知を受け取った二週間程前から指定の範囲の復習に取り掛かっていた私は、単語カードを作りそれを暗記するまで繰り返し読むという作戦を敢行すべく日々勉強を進めていた。所が試験の近付くにつれ次第に体が重たくなっていくのを感じていた。勉強をしなければならないと頭で思えば思う程、心や体は反対方向へ進もうとした。しかし学生時代の中間試験とは違って、心や体が重たいからと言って結果を諦めて勉強を投げ出す訳にはいかない。そうしてまた単語カードを手に取る。矢張りまた駄目である。深夜労働の疲労か、或いはこれが重圧プレッシャーというものなのだろうと思った。だとすれば私は今年になってこれまで幾度となくこの重圧というものと共にいた筈である。きっとこれまでは上手く付き合って来ていたのであるが、それが突然こうして牙を剥いてきたのは恐らくこの試験に後が無い事の証明だろうと思った。

 しかしだからと言って時間は見る見る過ぎて行った。そこで私は丸暗記と言う幼稚な反復作戦は切り捨て、カードを読み、自分の言葉で説明出来るまで一つ一つ理解する作戦に切り替えた。幸い追試に向けた勉強で内容は殆ど九月の復習であった為に当時よりも理解が進んだ。その作戦で試験範囲の凡そ八割程度を、当日までに網羅する事が出来た。企業の組織構造、融資の種類やマーケティングなんかに関しては全て自分の言葉で説明出来る所まで仕上げた。私が合格に必要な点数が七十三点であったので、範囲の八割を押さえていれば屹度大丈夫だと自分に言い聞かせ、残りの税金や相続権、保険制度など法に関する二割の内容は残り時間の都合で同じように理解を深めるのを諦め単簡に教科書を流し読む程度で済ませた。

 

 冒頭で申した通り根っからの心配症である。極僅かな可能性にさえ恐怖や不安を覚える性質たちである。それだから二割を切り捨てるという選択には勇気が要った。しかし主要範囲とも思える八割を深く理解出来た事がそんな私の背中を押した。当日の私はもう不安を感じるよりも自信を持つ事を、そして試験官を前にしても落ち着いているという事を何よりも意識し、そんな事を呪文の様に仏々ぶつぶつと呟きながら二カ月ぶりに歩く学校までの道程を進んだ。

 学校に着き試験会場となる部屋の前まで行くと、私の一つ前の順番で追試を受けた男が結果を待つ為に廊下に出ていたので少し話をした。その口振りや試験の様子を聞いていると何となく緊張が解れる様な心持がした。少しして彼は試験官に呼ばれ部屋に入って行き直ぐにまた出て来ると「合格した」と言って、それから今日は帰って酒を飲まないといけない、と言って安堵の様子であった。そしてその内私が呼ばれた。

 

 教室に入ると例によって試験官が三人座っていた。ワクチン接種はしているかと聞かれたので、しましたと答え証明書を差し出そうとすると、君を信じるよと言ってそれを受け取らなかった。彼らと一通り挨拶をすると間もなく試験が始まった。

 社会保険の種類を挙げなさい、と言うのが第一問目であった。嫌な予感がしたがそれを皮切りに保険料の負担の割合、ドイツの特徴的な税金の種類、遺産相続に纏わる問題と私が切り捨てた二割部分の問題が立て続けに繰り出され、死に物狂いで頭に叩き込んだ八割の範囲からは融資の問題が僅かに出てそれぎりであった。それでも私は最後まで試験管の発する言葉に兎に角集中し、それからポケットに偶々たまたま入っていた小銭程度の知識でもって何とか食い下がろうと言葉を探した。しかし同時に、心の中では両膝を地面に突き天を仰いでいた。そして棒をふるい星を打つが如きこれまでの勉強を哀れむも、都合よく神様を頼る癖がある私はこうした大一番に見放されて然るべきなのだと再認識した。

 体中に傷を負いながら命辛々試験を終えた私は廊下で結果を待つ間、余りに見当が外れていた事に最早清々しささえ覚え、早速来年もう一度経営学の授業と試験を受ける為の段取りについて考えていた。こうも呆気ないと肩を落としたり涙を飲んだりする気も起きないものである。五分程して試験官に呼ばれ教室の中へ戻った私は、無意識の内にすっかり帰り支度を済ませている事に気付いた。

 

 改めて椅子に腰掛けた私は来年の試験に関する質問をする事を忘れないようにと考えるばかりで試験官の方には然程気を払っていなかった。そんな私に「合格です」という声が正面に座る試験官から掛けられた。私は一度でその言葉を理解する事が出来なかった。するともう一度「点数はぎりぎりですが、合格です」と言われ、今度は正しく理解した私は全身の力がすとんと抜け落ちるのがわかった。そして手足も首も自動的にだらんと椅子に垂れ、口角は無意識に上がった。そんな私の姿を見る試験官達の顔は微笑んでいた。これまでの人生で味わった事のない脱力とプレッシャーからの解放感であった。

 翌日仕事に行きシェフをはじめ同僚其々に合格を報告すると、皆一様に喜んでくれた。そして労いと祝福の言葉を掛けて貰った。シェフの夫人に至っては飛び跳ねる様にすごい、すごいと言ってくれた。また家族や友人からも祝福を受けた。インターネットを通じて何でも知れる時代、私よりも先にマイスター資格を取得している者など五万といる事も私は知っている。そういった視点で見れば私の合格など大した事ではないとさえ思っていた。しかし私の身近でこれほど喜んでくれ褒めてくれる人がいるのであれば、私もここは素直に喜ぶべきである。何はともあれ、少々気は早いがこれで安心して新年を迎えられそうである。果たして私が春先から綴ってきた挑戦は、大々しく冠してきたリアルタイムサクセスストーリーという言葉を裏切らない結果で以て無事に完了した。

 

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。

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