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*1 習うより慣れろ

 バターの沢山入ったパン生地に漏れなく卵が使用されるのは色や風味への作用の他、卵黄に含まれるレシチン(※1)が犬猿たる水と脂の仲を取り持ってくれるからで、御蔭で水と脂とが互いに手を取り合ってしなやかなパン生地を作り上げてくれるわけである。これが所謂いわゆる乳化という作用であるが、乳化と言うとパスタを最初に思い浮かべる人も少なくないだろう。大蒜にんにくの風味を移したオリーブオイルにパスタの茹で汁を加えて掻き混ぜる内に白く重たい液体になるという事象であるが、こちらは熱による乳化である。

 先週の土曜日から八月に世話になったパン屋での正式な雇用が始まったわけであるが、八月に一度働いているとは云えその時とはまた違った心持で工房を忙しく動く私は、漠然と仕事を頑張るという意思を表明するよりも先に職場の雰囲気や仕事の流れに馴染む事から始めなければならず、そこに心的疲労が発生したのは火を見るより明らかである。新しい労働環境と私の間にレシチンがあれば屹度きっと労を要さず馴染めたに違いないが、そうはいかない私は只熱を持って働くより他に無いのである。


 まずさっきから余所々々よそよそしい呼び方をしているパン屋であるが、ベッカライ・クラインという名前がある。ベッカライとはドイツ語でパン屋の意味であるから、クラインという名のパン屋だと考えて戴ければ十分である。そんなクラインは小さな町に立っている。さてドイツへの旅行を計画しようかと地図を開いても、仮にその場にドイツに精通した者が同席していたとしても、決して見聞きする事の出来ないような小さな町である。そんな町の石畳の続く旧市街でベッカライ・クラインは一際存在感を放ち、オーガニックのパンを売りに日々客足を呼んでいる。私が仕事を終えるのが大凡おおよそ正午くらいなのであるが、ほとんど毎日の様に店舗の外まで人が並んでいる。以前働いていたパン屋は規模の大きいパン屋であった為に工場こうばと店舗が別でなかなかこういった景色を見る事が出来なかった分、こう目の前で行列などを見ると繁盛しているパン屋の一角に微力ながら加わっている事がいささか誇らしげであった。


 私が出勤するのはそんなパン屋がまだ賑わう前の早朝三時頃である。人通りも車通りも殆ど無い十五分程の道程を歩く。街灯もそれほど多くない静かな道には星も月も降ってきそうな程輝いた。特に今週は満月だったようで月の中では兎が餅を突いていた。今や独り歩きしてしまっている「I love youを月が綺麗ですねと訳した」という明治の文豪の小洒落た逸話ばかりをファストフードの如く嬉しがっている者も見受けられるが、月に兎と臼を見出したなにがしの純和風で風流な感性も同じように浪漫ろまんがられるべきである。


 工房に到着し身支度を済ませると挨拶をして仕事に混ざる。工房はシェフ(※2)を含めて三人で回されていた。

 私は直ぐにアンドレ(※3)に付くように促され、バゲットの成形に取り掛かった。これがなかなか上手くいかず、遂にはシェフからアンドレがどうやっているのかしっかり見なさいと注意を受けたのが金曜日の事であった。それまで毎日その作業をしていたのでしばらくは様子を見ていたのだと思われるが一向に私のバゲットが良くならないので痺れを切らしたのだろう。店が変われば製品も変わり、また製法も変わるので私にとっては殆ど初めて触る様な生地であった為になかなか感覚を掴むのに苦戦しているのであるが、仮にも製パンマイスターを取得せんとする者である。来週にはその感覚を掴みたい。


 それから大体プレッツェルの上にチーズやトッピングを乗せたり、ナッツフィリングの入ったクロワッサンやモーンシュネッケ(※4)フォンダン(※5)でコーティングしたりと細々こまごまとした作業が続くのであるが、これらも一通り初めての作業であった。まあ初めて働く職場で行う初めての作業を逐一掻い摘んでは初めてだ、初めてだと言っていてはきりがないのでこの辺でめておくが、以前のパン屋では殆ど分業制でオーブンに付けばパンを焼いてばかりであったりしていたのと違い、このベッカライ・クラインでは少ない人数で工房を回すのに矢張やはり皆が皆、状況によって動ける必要があるのである。それ故に以前の職場では触る機会の殆ど無かったフォンダンであったり折り込み(※6)と言った所を経験として持たない私はなかなか堂々とこなせない自分をかえりみて背筋に汗を感じた。

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 以前の職場での話である。私が勤めてから一年余りが経った頃、一人のマイスターが雇用された。彼は四十も半ばでありながら少年の様な溌溂はつらつと工房中を駆け回り、パンや仕事に対してのこだわりも強くそれでいていつでも底抜けに朗らかな男であった。私は彼が好きであった。バイエルン訛りの強い彼の説明を聞き取るのには苦労したが、それでも私はよく彼にパンや仕事の事を質問していた。所が他の従業員はこぞって彼を毛嫌った。協調性に欠けている所はあったかもしれないがパンに真剣な彼が、また腹いせの如く仕事を押し付けられながらもへらへらと高笑いをしながらそれらを几帳きちんこなす彼が何故嫌われなければならないのか私には理解が出来なかった。私の目には彼が浴びている誹謗中傷は、彼にはかなわないと悟りそれでも己の自尊心を守る為に凶器に錬成された嫉妬心の表れにしか見えなかった。その頃から私は彼を親の仇の様に非難する従業員達を一斉に軽蔑し、マイスターである彼にますます信頼を寄せた。その際に頻繁に使われていたのが「マイスターのくせに」という言葉であった。


 その一件を見て来た私は、ひょっとすると必要以上に製パンマイスターと言う肩書に囚われているのかもしれない。客観的に見れば、新しい職場に入ってまだ最初の一週間にもかかわらず全てを堂々と上手くこなそうと考える方が烏滸おこがましいのであるが、製パンマイスターという肩書が背中に大きく張り出されているのが少々邪魔になっているように感ぜられた。

 そう気付いたきっかけは木曜日、怪我で休んでいたルーカス(※7)が職場に顔を出しに来た時であった。彼は私が授業を受けていた間も時折連絡をくれていたのだが、そんな彼は工房に入って来て一人掃除をしていた私の顔を見るなり「髭を伸ばしているじゃないか」と八月の頃には蓄えられていなかった私の顎鬚あごひげを笑顔で指摘して近付いてくると、試験や仕事の事について色々と話し込んだ。その際に私が、仕事の方はまず彼是あれこれと教わっている所だと言うと、そりゃ初めての職場では誰だってそうだ、と彼が答えた。極有り触れた遣取やりとりである筈なのに、その時ばかりは心を軽くして貰ったように思えた。


 また金曜日の仕事中にはマリア(※8)が、一週間働いてみてお気に入りの作業はあるかという質問を投げてきて、私が答えるよりも先に隣にいたヨハン(※9)が「ファイヤーアーベント〔(独)終業後の時間〕だろ」と言って笑いが起こった。この時私には「違うよ、パウゼ〔(独)休憩時間〕だ」と言ってもう一笑いを起こす選択肢があったと言うのに、事もあろうに私は「まずは作業に慣れる所からなので」と大真面目な回答をして数秒後に後悔をした。それで引き下がれなかった私はその後、二十キロもあろう大量の小麦粉を一通りふるって異物を取り除くという通常業務外の汚れ作業が済んだ後、粉まみれになった姿のまま「お気に入りの仕事が見付かりました」と言って何とか笑いをぎ取れたのだが、そこには私が勝手に感じていた仕事への重圧と別の柔和な空気があり職場の空気に溶け込む為の糸口があるように思われた。


 実際アンドレやヨハンやその他の従業員からは、新入しんいりという扱いは受けてもマイスター試験を受けた者として特別の扱いを受ける事も無いので、私が頭の内ばかりで吃々びくびくとしているだけなのだろう、これは良くない癖である。とは言え製パンマイスターとしての自覚は、特に仕事においては育てていかなければならない部分であるから、来週以降変に周囲を勘繰らずに自分に任せられた仕事を丁寧に熟していく中で、矢張仕事を覚えようとする熱でもって馴染んでいきたい所である。呉々くれぐれも熱の持ち過ぎには注意しながら。製パンマイスターの卵ならレシチンに代わる何かもあって然るべきはずであるから。




(※1)レシチン:卵黄や大豆に含まれる脂質の一種。
(※2)シェフ:ベッカライ・クラインのチーフ。
(※3)アンドレ:ベッカライ・クラインの同僚。パン職人。
(※4)モーンシュネッケ:クロワッサンの様な生地でケシの実のペーストをロールした甘いパン。
(※5)フォンダン:滑らかなクリーム状をした砂糖衣の一種。
(※6)折り込み:パイ生地などに用いられる生地とバターで層を作る作業。
(※7)ルーカス:ベッカライ・クラインの同僚。パン職人。
(※8)マリア:ベッカライ・クラインの若チーフ。女性。
(※9)ヨハン:ベッカライ・クラインの同僚。パン職人見習い生。

※この作品では一部実在しない表現/漢字表記を使用しています。


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