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*11 迎春

 クリスマスのミュンヘンは終始生憎の雨であった。友人いわく、私が到着する少し前から降り出したらしい雨は、そのまま一時いっときの休息も取らずに私の帰路さえも濡らした。帰りの電車に揺られながら、そう言えば私自身雨男の名をほしいままにし得る程の功績を過去に残して来た事を思い出し、その歴史に漏れなくこの年のクリスマスも刻まれるだろうと思った。それで二時間掛けて私の住む小さな町に戻ってくると、道にも建物にも雨の痕跡が見当たらなかったので尽々つくづく私は天に見放されているものと見えてやや蛞蝓なめくじに塩の如き様相で家路に着いた。乾いた道の上で蛞蝓とは皮肉なものである。

 

 ドイツの正月と形容しても誰に咎められる事もないであろうクリスマスを過ぎると、残った日数は惰性でさらさらと過ぎるが如き空気が何処となく漂っている。少なくとも二十六日の祝日の後二日ばかりはクリスマスの記憶を南沿なぞっていると立待たちまち二十九日を迎える。もう幾つ寝ると正月だなどと勘定せずとも明快な日数のみを寝て起きたら直ぐ年が変わるのである。私も例によって仕事中や休憩中にクリスマスはどうだったと聞いて回った。工房内の仲間は皆、肉を食べただのカードゲームをしただのと各々に説明し、それを聞いて私はドイツ人の過ごすクリスマスの情景を想像していた。私の方でも様子を伝えたが、そんな事より君達の所の天気はどうだったんだと尋ねると案の定何処も雨には祟られていない様であった。

 ドイツではその上クリスマスが煌びやかな祝日である代わりに正月は極些細である。三十一日まで働いたら一月一日を祝って二日からまた働くのが普通である。詰まり日本で正月休みと呼ばれる期間が無いので、それも足早な年末年始に拍車を掛けた。

 

 そうは言ってもこうした祝日前のパン屋は忙しい。クリスマスと比べてしまうと劣るがそれでも一日の作業量が大晦日に向かうに連れ増えていく。穏やかだったのはそれこそ祝日明けの二日間くらいなもので、徐々にまた大勝負を前に工房内の緊張感が高まるのを感じた。

 そんな水曜日から私は深夜一時出勤を命じられ、シェフと二人でのブロート ※1 製造に回った。これまでルーカスとブロートを担当した事も、アンドレとブロートを担当した事もあったが、何を隠そうシェフと二人きりでの仕事は初めてであったので工房内に漂う緊張感とは別物の緊張を腹の底に隠したまま作業着に着替え更衣室を出た。それでも作業工程自体は知っている私は、ロッゲンブロート   ※2   の生地を捏ね機から作業台の上に移す作業からいつも通り始めた。私が生地を腕一杯に抱えては機械と作業台の間を行ったり来たりしている間、シェフはブロート以外の製品の為の諸々の下準備を進めていた。日頃から物静かなシェフは静かなまま眉間に皺を寄せている事が屡々しばしばあるのだがきっと脳内に隙間が無いのだろう。私がその立場でも屹度きっと四六時中頭の中を忙しくして知らぬ内に眉間に線を入れているだろうから、私は彼の顔色を伺っては機嫌の善悪よしあしを一々批評する気は普段から起こらなかった。

  しかし私が腹の底にしまった緊張も、果たして彼の機嫌を不図ふと損ねまいかという不安から生まれたものだという事は正直に話しておかねばなるまい。権力という言葉を用いてしまっては余りに見栄えが悪いが、そうした力を持ったような立場のある人間の前に立つと酷く委縮してしまうのが私であった。特に、そうした人間が余りに乱暴に周囲に八つ当たり始めると私は返って負けんとする対抗心があらわになり態度にも表情にも言葉にも出してしまうのであるが、立場のある者が極通常でただただ穏便に動いているだけの場合こそ私は苦手としていた。

 私は生地で作業台の半分を埋めた所で、残る生地は機械の中に一度残し計量と成形に取り掛かった。委縮するとは言え仕事に必要な情報は臆せず得ようとする私であるから、久しぶりのブロート担当で不安な事柄については随時尋ねた。脳内が一杯である上にまだ深夜という影響もあったであろう彼の発する答は大体の場合において力無く限々ぎりぎりで私の耳まで届いた。

 

 暫くすると一通りの下準備を終えた彼が合流した。私が生地を計量し、彼が成形をする配置になった。無意識に、これは私の技術への不安を彼が抱いている事の表れであろうかという余計な疑念が脳内をよぎったが、直ぐにこの店の最大責任者である彼がより責任の掛かる作業をする事が小規模のパン屋において常なのだろうと思い直した。実際以前の稍規模の大きいパン屋では各分担を従業員でまかなっており、作業着に身を包んだシェフを見た事など五年働いて四度くらいなものであった。私は黙々と彼の成形をする手が暇を持て余さないように気持ち急いで計量をした。そんな時でさえ、シェフの荒く深い息遣いを聞いては、むしろ彼が少し息を付けるように計量の速度を落とした方がいいんじゃないかと考えたりもしていたが、即座に仕事と人情を切り離した。

 私達はかと言って全く無言で作業していたわけでもなかった。決して長くは話していないが、時折会話という行為も交える事が出来たので私が抱えていた緊張も多少緩和された。

 

 大晦日の三十一日は、前日の二十三時に出勤をしてまたシェフと共に大量のブロートと対峙した。聞けば矢張りクリスマスの時よりは少ないらしかったが、それでも機械で捏ね始める初動で押し出されたであろう粉が、クリスマス以降雪などもう過去のものである様な風景の寂しさを埋めるが如く機械の周りを白く染めていた。作業はいつも通り進む。彼の呼吸は昨日よりもさらに荒く思えた。


 私は普段の量でさえ満杯になるオーブンにどのような工夫で以て普段以上の量のブロートを押し込むのかが気になっていた。以前のパン屋でオーブンを担当していた私も、やはり当時クリスマスや大晦日にオーブンの使い方を工夫する必要があった。合計十五の手元の窯を駆使して普段焼いている以上のパンを焼くには目も頭も回したが、十五も窯口があればどうにか出来た。最悪パン生地を作る事自体も遅らせてもらう事さえ出来た。所が今のパン屋には四段のデッキオーブンが一台である。生地も朝一に二台の捏ね機一杯に作られたそれだけである。無論規模が違うので正確な比較など出来ないが、しかし工夫の可能性は何通りも無い筈である。そこが見物であった。

 ここではあえて当然という言葉を使う。当然、彼は全てのブロートを焼き切った。詳細を書き綴ろうとすると稚児ややこしく読むに堪え得られない文章となりそうなので自粛するが、同時に進んでいる筈の発酵の加減をそれぞれに調整してそれでオーブンを巧く使って焼いていた。この辺りの状況判断能力も一つ勉強である。それから殆ど一日の間、オーブンは常に満杯の様子であった。

 

 朝の七時半にパンの注文の紙袋が溢れ返っている職場を後にした私は、まだ薄暗い通りに残ったクリスマスの装飾を見上げたりしながら一年の終わりに思いを馳せていた。ドイツでは足早に過ぎる年末年始であるが私はこの時が一年の中で最も好きであった。もっと言えば年越しのまさにその瞬間である。神に手を合わせる事もしない癖にこの時に流れる神聖で、一年の間に起こった様々な出来事や感情を浄化するような空気がとても好きである。実際五年くらい前には、年越しの瞬間にまさしく一年を浄化し新たな一年へ向けて真っさらな地面に立つ自分の情景が、眠っても目を瞑ってもいなかった私の目の前に広がった様な事があった。その時の情景は未だに覚えているぐらい鮮烈であった。

 

 家に帰った私は掃除や洗濯を済ませ、湯船にも浸かり、それから日記帳を開き一年を月毎に振り返っては書き込んでいった。これは毎年の恒例行事である。それから私にとってのその年を表す漢字を定めるのも恒例である。私の二〇二一年を表す漢字には「波」と言う字を選んだ。まさに波の如き激動の一年であった事が理由である。〇時が近付くにつれて爆竹だか花火だかの音が窓の外でちらほらとし始めた。

 新たな一年の始まりである。私の腹の底には緊張に代わって新年の展望と次なる野望とがぐうぐうとひしめき合っていた。

(※1)ブロート [das Brot]:大型のパンの総称。
(※2)ロッゲンブロート[das Roggenbrot]:ライ麦粉を使った大型パン。

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。

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