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*10 シュワキマセリ

 ドイツで迎える六度目のクリスマスは、前古未曾有ぜんこみぞうの事態に見舞われながらも、しぶとくその伝統的存在感を失わずにいる、などとも分かったような事を書き綴ってから一年が経って七度目のクリスマスを迎えた。前古未曾有の事態の立役者たるウイルスは一年前とはまた異なる種でもって猛威を振るう始末である。御蔭で計画されていた職場のクリスマスパーティーは中止を余儀なくされ、その代わりなんだかWichtelnヴィヒテルンと呼ばれるプレゼント交換が職場の内で執り行われた。英語ではSecret Santaシークレットサンタと呼ばれるようであるが、自分が誰からプレゼントを贈られるかが秘密にされたままで行われる。その逆もまた然りで私もプレゼントを贈る相手に私である事がれてはならない。私はなにがしプラリネ ※1 の詰め合わせを贈り、また某からはマグカップにチョコレート菓子の入ったクリスマスセットの様な物を受け取った。子供でもあるまいしと冷静で大人しい風を装っていた私は、その実胸の内では不覚にもわくわくを味わっていた。

 

 一年前と異なるのはウイルスの種だけではない。私が所属するパン屋も、また住む場所も周囲の人間も自分の肩書も変わった。一年とは短いようで、それでいてこうも色々と起こる。

 ドイツのクリスマス時期にはシュトレンだけでなくプレッツヒェンと呼ばれる様々な種類のクッキーも定番であるが、例えばそのプレッツヒェン、大体の場合においては製菓部門の仕事であるから、特に一年前の職場はそれなりに規模の大きいパン屋であった為にほとんど触る機会の無いどころか、私にとって身近な存在ですら無かった。それがベッカライ・クラインで働く今、同じく触る機会こそ無いが職場の規模が幾らか小振りな分、距離感は随分と縮まった。製パンの私達が生地を丸めるすぐそばで製菓の職人がプレッツヒェンの話をしていたり、実際に作っていたりするからそれだけでも私にとっては新鮮であった。

 

 ところでプレッツヒェンと片仮名で書く分には見間違う事無く直ぐに認識出来るのだが、これが言葉になるといささか困難であるというのが七年来の悩みである。製パンに携わる私はどうしても一度はブレッツェン  ※2  と理解してしまう。もっと言うと小型パンの総称にブロートヒェンという言葉があるのだが、人によってこれをブロッチェンなどと呼んだりするからまた稚児ややこしい。しかしまあ折角だから稚児しいという言葉で安易に一蹴せずに一歩踏み込んでみると、小型パンのBrötchenブロッチェンからBrezenブレッツェンという名前が派生したとも言えそうである。Plätzchenプレッツヒェンに関しては文字を分解するとまた別の母体言葉を引っ張り出さなければならないので派生したとは考え難いが、それでもブレッツェンを模したクッキーもあるわけであるから言葉遊びの一種である可能性も捨てるには勿体ない。まあしかし何れにしても私の勝手な憶測と空想ファンタジーであるから真面目に受け取らないよう注意をして戴きたい。

 

 クリスマスを目前にした今週は案の定せわしい空気が工房内に充満していた。近頃クロワッサンなどの折り込み生地に担当者の如く従事している私は、早朝に出勤するなり生地にバターを折り込んでは冷蔵室に一旦片付け、しばらく後になって折り込んだ四キロほどの生地を引っ張り出して来てはクロワッサンの類の成形を一人黙々と行うのが常となっている。一人で作業をする事自体はむしろ好ましく思う性格である反面、一人での成形は時として永遠を感じてしまうので実際時間や周囲の同僚の作業との比較で目に見えない重圧に苛まれ苦を感じる事さえある。それが今週の火曜日に一つ四キロ程度の折り込み生地が通常の約三倍量に相当する十八もあったので、普段より早い時間に成形に取り掛かったが心底項垂うなだれた。項垂れてはいたものの責任感が私の手を動かした。

 作る量が通常よりも多かったのはクロワッサンの類だけではなかった。私が出勤する頃にはオーブンいっぱいに並んでいたブロート ※3 類も、それからバゲットも大量に作られた。反対にクリスマスが近付くに連れシュトレンは作られなくなる。シュトレン作りに使われる型などの道具が片付けられていく様子もこの時期の風物である。

 

 二十四日まで仕事があった私達よりも一足先に製菓の人員は休みに入った。最終日には念入りに彼女らの作業場を掃除していた。ドイツの二十五日と二十六日のクリスマスの為の祝日は、日本の正月と言ったところである。一年の最も大きな節目と言っても決して過言ではない。私達が良いお年をと互いに挨拶を交わす如くにメリークリスマスが飛び交う。私は仕事を終え着替えを済ませると、その帰り際に掃除をしている製菓の彼女らに向かってメリークリスマスを贈った。日頃の仲の善し悪しや、立場や関係性を問わずメリークリスマスを贈り合う文化がキリシタンでもない私を魅了したのは、私がドイツに移り住んだ七年前までさかのぼる。それくらい私はクリスマスに流れる神聖な空気が好きである。恋人の有無とも予定の有無とも無関係にクリスマスが好きであるから、恋愛関係にある男女の爆発を願う様な穢俗わいぞくに興じる暇は無いのである。

 

 二十四日の深夜に仕事へ行く為にアパートを出ると、アパートの前の駐車場も道路もすっかり凍り付いて気を抜いたらつるつると滑って転んでしまいそうであった。私は足取りこそ慎重であったが、クリスマス前最後の仕事とあって心は軽かった。初めて迎えるベッカライ・クラインでのクリスマス前の日の仕事がどのように進んで行くのかという不安や緊張を持ち、忙しくなるであろう事もばたばたとするであろう事も覚悟の上で、それでいてどこか浮かれていた理由は言わずもがなである。

 

 案の定、仕事の流れは普段と異なり、それに伴って今自分に何が出来るかを普段よりも集中して見極める必要があった。しかし忙しく切迫した空気で充満していると思われた工房の中には、穏やかで温かく、そして私と同じように浮かれた空気も垣間見えた。それはシェフからであり、ルーカスからであり、アンドレからでありヨハンからであった。挙句の果てに、最後の製造作業であるブレッツェンの成形を皆で遣っている最中にシェフが人数分のラドラー ※4 を持って来たので、作業の手を一旦止めて皆で乾杯した。アルコールを含まないラドラーだったので、瓶を脇に置いたまままたプレッツェルの成形に取り掛かったが、それも済んで愈々いよいよ掃除を残すのみとなった時になって、今度はルーカスがビールを持って工房に入って来た。ヨハンは要らないと断っていたので、残りのアンドレと私はルーカスが丁寧にグラスに注いでくれたビールで再び乾杯した。今度はアルコール入りである。

 ヨハンとそれから顔を赤くしながら掃除をする私とが掃除をする脇を出勤したのが早い者から帰って行くので、その都度クリスマスの挨拶を交わした。シェフからはクリスマスの挨拶と共に、君も晴れてマイスターになったから翌年から少し責任のある仕事をやってみるかと聞かれたので、私は喜んでと答えた。

 

 工房で働く同僚とも販売婦らとも挨拶を交わして職場を後にした私は、すっかり氷も溶けて歩きやすくなった道を往路よりも軽やかにアパートへ向かった。疲れていたと思ったが家に着くと疲労感が影を潜めた。昼寝をしてみても一時間で目を覚ました。洗濯機を回し、その間に貰って帰って来たヴィヒテルンのプレゼントの封を開けた。その日の晩には湯船に浸かってステーキを食べた。クリスマスである。

 翌土曜日の午後、久しぶりにミュンヘンへと向かう電車に乗った。祝日のこの日はどこも店は閉まり街は静かである。私は十月の約束通りミュンヘンに住む友人を訪ね食事に出掛けた。真面目で自分自身に誠実であるが故に時として明後日の方向から日常風景を斬る彼の話には、独特なイタリア訛りの口調も相俟って相変わらず大笑いさせられた。その晩は彼の部屋に泊めて貰った。綺麗な部屋で酒を飲みながらまた何だかんだと話をした。五つ星ホテルに負けるとも劣らない至れり尽くせり振りに、私も今の部屋を人を招ける程度にはもう少し整備したくなった。

    久しぶりに見るミュンヘンの街並は懐かしく終始興奮気味であったが、その中にも一年前と大きく異なる箇所も見受けられた。一年とは短いようで、それでいてまあこうも色々と起こるものである。


(※1)プラリネ [die Plarine]:一口大の気品あるチョコレート菓子。
(※2)ブレッツェン [die Brezen] :プレッツェルの事。南ドイツの発音に寄せた表記。
(※3)ブロート [das Brot]:大型パンの総称。
(※4)ラドラー [der Radler]:ビールにレモネードを混ぜたアルコール飲料。

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。

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