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*3 改新の一劇

 日曜の晩にミュンヘンから遥々友人が訪ねて来てくれたので私は前もって席を取っておいたビアホールの前に立って彼を出迎えた。六年前に語学学校で出会った頃と異なる点があるとすれば、顔を合わせる度に彼の口から発されるドイツ語の語彙が年々多くなっていっているくらいなもので、その他にはほとんど歳月の経過を感じられなかった。私達は食事をしながら各々の近況について報告し合った。彼と会う場合は必ず腹を抱えて大笑いさせられるのも相変わらずであった。クリスマスにはイタリアに帰るのかと彼に尋ねると、新年にはきっと帰るがクリスマスの頃はミュンヘンにいるつもりだと言うので、その頃に今度は私の方からミュンヘンを訪れようと約束をした。何年か前の話になるが、ある年のクリスマスにはウィーン ※1 へ、又ある年にはブダペスト ※2 へ彼と旅行をした事を思い出して、折角なら今年も旅行の話を持ち掛けようかともよぎったが、まあこの御時世であるから余計な事は言わないでおいた。男二人でクリスマスに旅行をしたと言うと間柄を怪しまれそうであるが、幼い少年が大人の体を借りて覇者はしゃいでいる様子を思い浮かべて戴いた方が適当である。それさえも六年前に違う国で生まれた二人が習いたての幼稚なドイツ語でもって大笑いしていた語学学校の教室から何も変わっていない。

 気付けば十月も終わり十一月が始まった。十八日から働き始めているので高が知れているが給与も振り込まれた。最初の電気代も家賃も支払いこれでようやくこの街に越して来て始めのチュートリアルを済ませた様な気持ちである。私の写真が新聞に仰々しく登場したのはそんな矢先の事であった。

 十一月も四日目となった木曜日、仕事の休憩時間にカプチーノを啜っているとチーフの夫人がどたどたと私の名を呼びながら休憩室に入ってくるなり、新聞に大きく載ったわよと言って手に持っていた新聞を机の上に広げた。隣に座っていたアンドレも、また正面に座っていたマリオという職場体験に来ていた少年もこぞって覗き込んだ紙面には、一ページを丸々使って私の記事が書かれていた。

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 私は驚きの余り笑ってしまった。歓喜や感動と言うより可笑しかったのである。アンドレは真剣に読み始めた。私もさっと目は通したが、どうせ帰り道に買うからといい加減な所で目を離し、それでまた可笑しがった。ただ記事の中で私が以前に勤めていたパン屋の名前が間違われていたので、それだけはアンドレに指摘して見せた。

 新聞から離した目は自ずと正面に座る少年に向いたので「家に帰ったら家族にちゃんと新聞を見せて説明してあげるんだよ」と冗談ぶいて言うと「新聞を部屋の壁に貼っておくよ」と御道化て言うのでまた面白がった。

 休憩を終えて仕事をしているとシェフ※3も凄い記事になっていたじゃないかと笑いながら言ってきた。続けて私が以前働いていたパン屋を知っている彼も紙面で名前が間違っていた事を指摘して笑っていた。その日の帰り道に駅に立ち寄って新聞を購入したのだが、自分が載っている新聞を買うという経験など当然初めてであった為に何となく心の落ち着かない感じがした。家に着いてスマートフォンを開くと、既にインスタグラムのアカウントがこのシュヴァンドルフという街のアカウントからフォローされていて面白かった。

 新聞の中では昼前の工房で静けさの中独り翌日分のキッシュの準備をしていた私であったが、今週の火曜日に突然シェフが明日から一時に出勤してブロート ※4 の分担を勉強してみるかと訊いて来たので、私は二つ返事で志願した。結局今週は火曜日から金曜日まで一時出勤が続き、皮肉にも街中に「昼頃に静けさの中キッシュの準備をしている」という作業が知らしめられた頃には担当を代わっていた。


 翌日深夜に出勤すると、まだシェフしかいない工房でライ麦一〇〇%のブロート生地がすでに機械の中で捏ねられていた。またその隣のもう一つの機械ではミッシュブロート   ※5   の材料も混ぜられ始めていた。一つ目の機械が間もなくして止まると「ロッゲンブロート  ※6  の生地を机の上に出してくれ」というシェフの指示が飛んできた。彼は彼で彼是あれこれの下準備に忙しそうであった。機械から机まで四歩位の距離を両手に抱えた柔らかい生地を零れ落とさないように注意しながらせっせと運んでいるとその内アンドレも出勤してきた。それからアンドレと二人でブロートの成形に掛かった。当然手粉や発酵かごの使い方、成形した生地の置き方等々学ぶ事尽くめである。しかしそういった側の部分さえ心得てしまえば生地の丸め方なんかは何処のパン屋でも共通の技術である。最初のこの日は生地の分割ではなく成形の方を担当した。


 ライ麦一〇〇%の生地は柔らかい。パン屋見習いとして働き始めたばかりの頃は手で生地を突く度に手が埋まり柔らかい生地がぺたぺたと手にまとわりつくばかりでろくに成形が出来ずにいた。さっきからキッシュの話ばかりしているが、近頃仕事ではそういったパイ生地や小麦のゼンメル※7生地を扱う事が多くブロートの柔らかい生地に仕事として触れるのは久しぶりであった。それだから成形している内に懐かしい心持がしてくると同時に、私はドイツの大きくどしっとしたブロートに惹かれてこうしてパン職人になったのだという初心を再確認した。そして矢張りこういった大きいブロートを作る過程に私は特別な想いを持っているのだという事もまた再認識した。私は仕事を学ぶという意識の傍らでそんな感慨を深めながら一キロも二キロもある生地を片手に一つずつ、それを突くようにして丸めていった。

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 以前のパン屋では見習い期間を終えてからというもの殆どブロートを焼くオーブンの担当であったので、ブロート生地の発酵の具合や生地の扱いにはある程度の自信を持っていた。このベッカライ・クラインに雇ってくれと応募した際にも願書にはそれらの経験をうたった。まあだからと言ってじゃあ直ぐにオーブンを担当してくれと行かないのが小規模のパン屋のさがである。小さなチームで動いている以上、大凡おおよそ最も責任の掛かる焼成はやはりシェフが筆頭である。そこで我がままに窯を私に任せてくれと言う程世渡り下手ではない私はその日も、それから金曜日まで窯入れ前のサポートに徹した。無論、作業の流れやベッカライ・クラインにおけるブロートの焼き方を教わる所からなので私がサポートに付くというのは至極当然であるが、兎に角私の場合はそうしてサポートに付いているだけでも、焼成は矢張り花形、何処か祭にでも参加しているような気分で楽しかった。

 中学生の時分、地元の秋祭りで街を練り歩く山車だしの上で鼓笛隊の一人として法被はっぴを着て横笛を吹いていた。また宮大工として社会に出ると、寺の建設でばたばたと柱に桁に建てていく慌ただしく怒声の飛び交う建前たてまえ現場に参加するのが、厳しく怒鳴られ頭をたれる事も常でありながらそれでいて好きであった。そういった祭の様な雰囲気が、事パン屋においては焼成であるというのが私の見分である。オーブンからも人からも熱量が集中している緊張感の中で私は高揚を押さえつつその様子を隈なく観察した。


 ブロートくらい家でも焼けるわけであるが、仕事でブロートに触れるのとはわけが違う。今週ベッカライ・クラインにおいて初めてブロートの生地が発酵し焼かれるまでの一部始終に立ち会った。全く幸先の良い十一月の滑り出しである。快進撃の様でまた改新劇の様でもあった。しかし幾らブロートの工程が好きであるとは言え、私はこれからも特に分担についてとやかく我儘わがままをシェフに突きつける積は無い。与えられた場所で与えられた作業の中にまだ見ぬ何かを発見するだけである。この性分に至っては十年も二十年も前から相変わらずである。

(※1)ウィーン:オーストリアの首都。
(※2)ブダペスト:ハンガリーの首都。
(※3)シェフ:ベッカライ・クラインのチーフ。
(※4)ブロート[das Brot]:大型のパンの事。生地にして250g以上のもの。
(※5)ミッシュブロート[das Mischbrot]:小麦粉とライ麦粉を混ぜて作られるブロート。
(※6)ロッゲンブロート[das Roggenbrot]:ライ麦粉で作られたブロート。
(※7)ゼンメル[die Semmel]:小型のパン。ブロートヒェン[das Brötchen]とも呼ばれる。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。

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