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【特別連載】noteと共に振り返るマイスター合格への道2021 -Ⅸ-

ヘッダーのカウントダウン/航(書道アーティスト)
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 おはようございます、副音声note9日目です。ちなみに毎朝早朝5時の投稿、ドイツ時間では夜の9時です。寝る時間です。


 9回目の今日は、11月21日公開の「ドイツパン協奏曲」を振り返ります。セカンドシーズン「習うより慣れろ編」も第5話にあたる回です。1カ月前の記事です。

 先に断わっておきます。今日の振り返りは内容や出来事よりも文章の構成や表現について触れる部分が多くなります。あらかじめご了承ください。

 パンの製造過程においてフロアタイムとかベンチタイムと呼ばれる発酵工程がある。…
私も先週はいやに心が重たかったからと今週は彼らを見習ってよく眠る事を心掛け、フロアやベンチではなく布団の中に普段より早めに体を寝かせるように意識をしていた。
…ともするとパンは真心、と言うよりも心がパンなのだろう。仕事中に捏ねられた心も寝かせてやったらまたしなやかさを取り戻し、人知れずふわふわと膨らんでいたのかもしれない。成程なるほど、そうするとどれだけ眠っても出てくる仕事中の欠伸あくびの正体は昨晩の疲労ではなく心のパンチに違いない

 冒頭で「人間もベンチタイムが必要」という話をしています。パンのベンチタイムと人間の疲労回復を掛け合わせていますが、太字で表した心のパンチ(ガス抜き)という表現、よく考えたら欠伸は空気を取り込む動きなので微妙に間違っていました。ニュアンスのみで読んで下さい

 ドイツパン修行録も先日1周年を迎えまして、こうして副音声noteとして取り上げる以外でも個人的に振り返って見たりしているのですが、noteにも慣れて来た初夏くらいから比喩に拍車が掛かり始め、時として勉強している場面のはずが、いつの間にか海を潜っていたりと、ちらほら暴走も見られます。
 ここでひとつ断っておきたいのですが、こういう比喩をはじめ毎週日曜日に更新される文章は1週間頭を捻って作り上げられたような大掛かりなものではありません。私の主軸はあくまでもマイスター資格取得への挑戦でしたから、文章に割く時間も労力も最低限におさえるようにやっておりました。平均で3時間くらいで書き終えます。1週間の内、土曜日の3時間を文章、2時間を絵に充てていたくらいですので勉強への支障はありません(※作品の質に対する保険を張っている訳ではありません。酷評受け付けてます)

 さて私がベッカライ・クラインで働き始めてから今週の木曜日で丁度一ヶ月となった。大体こういった話をする場合は経過の早さに驚くものであるが、実際今の私の体感で言えば一ヶ月という期間として妥当か若もしくはそれよりも長かったようにさえ感じている。

 この1カ月は本当に長く感じてました。日々長く感じていたというより、1カ月が経った時点で「やっと1カ月か」という感じです。そう言えば日本で初めて社会に出た18歳の頃も最初の1ヶ月に同じような事を感じていたような気がします。慣れるまで、はやっぱり長く感じるんですね。

実は働き始めの一週間は連日大量の鼻血を流すという荒々しき序奏イントロダクションぶりであった。

 これ自分でもびっくりしましたが最初の1週間、毎日2、30分止まらない鼻血が出続けました。本文を要約すると「過度の気合」が原因でした。

 この前傾姿勢は意図せずつい先週までデクレッシェンドでも続いていたのであるが、これこそが私の心を重たくしていた要因であると判明した。

 冒頭でも「最近心労があった」みたいな事に触れてるんですけど、それも「過度の気合=前傾姿勢」から来るものだったんだろうと思います。

 環境に慣れるだの同僚に溶け込むだのは極論誰にも果たせない無謀のものであるかも知れないので具体的な進捗を態々わざわざ記録するのも馬鹿らしいが、それでも居心地や同僚との親睦はクレッシェンドに変化させる事は可能の筈である。それに気付く為の一ヶ月であったと思えば流した鼻血も眉間の皺も無駄ではないが、また繰り返さずに済む様に予めセーニョマークはここに打っておく事にする。


そんな矢先に手紙が届いた。何を隠そう十月に受けた経営学試験の試験結果である。斯くして結果は不合格であった。

 ちょうど仕事や職場にも慣れて来た、前傾姿勢が良くない事もわかって来た、そういうタイミングで不合格通知を受け取ります。見計らったかのようなタイミング(肩の力が抜けたタイミングで)に思えました。

この通知を手にした時の私は膝を崩す程の落胆を感じたかと言えばそうではなかったというのが実際の所である。それは諦めて匙を投げてしまった自暴や自棄では無く十月の試験に全てを出し切り置いて来たと言う自信や自負が有るからである。…
今週通知を受け取った際にやっぱりかという言葉が真っ先に脳内に浮かんだ。

 結果と同時に先日受けた追試への案内も受け取ったのですが、本当にこの時はスッと自然に、変に悲しまず変に力まず目線が追試の方へ向いていました。「そうするしかないじゃん」と言われればそれまでなんですけど、なんとなく自分にしてはすごく冷静だったなと感じました。肩の力が抜けていたからなんだろうなと思っています。

十月に一度暗転し終演したと思われたステージに再び灯りが点ともると、ドラマチックなコーダへ向けてドイツパン協奏曲はまた五線譜を渡り始めた。譜面の指示はaccel.だんだん速くである。

 本文は、この文章で締められています。「ドイツパン協奏曲」というタイトルに相応しい締めくくりです。


 今日はここからが本題です。
 隠しもせず露骨に文中に散りばめて来たので、もうわかりきっている方が多いと思いますが、改めて文中のキーワードを並べます。

荒々しき|序奏《イントロダクション》ぶりであった。…
エキストラではなくなり…
つい先週までデクレッシェンドでも続いていたのであるが、…
同僚との親睦はクレッシェンドに変化させる事は可能の筈である。…
予めセーニョマークはここに打っておく事にする。…
一度暗転し終演したと思われたステージに…
ドラマチックなコーダへ向けて…
ドイツパン協奏曲はまた五線譜を渡り始めた。…
譜面の指示は|accel.《だんだん速く》である。

 という具合に音楽用語が並べられていました。これは単純に読んでいる方に「なんか音楽にたとえているなぁ」という事を気付かせる為でしかなく、それぞれに強い意味はありません。大事なのはタイトル、ひいては「協奏曲」という部分です。

コンチェルト(協奏曲)とは、一般的にピアノやヴァイオリン、チェロ、フルートなど、ソロで演奏できる独奏楽器と、オーケストラとが一緒になって演奏されるクラシック音楽のことを言います。

「All Aboout / コンチェルト(協奏曲)の意味とは?交響曲とどう違う?」より

 つまり自分を独奏楽器に、その他マイスター挑戦に際して支えてくれた人や協力してくれた人、読者、親、そういった関わった人たちをオーケストラに見立てたドイツパン協奏曲でした。その体制で演奏してきて、その最後の最後の局面(コーダ)に向けて周囲の助力を意識して気合を入れ直した一幕でした(自ら説明するという下品な行いを許してください)。

 ちなみに他の回でも同じように文中で遊んでいるものがありますので、探してみて下さい。案外露骨にやってます。


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#振り返りnote #副音声note  


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