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*5 ドイツパン協奏曲

 パンの製造過程においてフロアタイムとかベンチタイムと呼ばれる発酵工程がある。生地を寝かすなどという言い方もするが、ドイツ語ではTeigruheタイクルーエと呼ばれ直訳すると「生地の休息」となりいずれにしても生地は寝かされる。では何故寝かせるかと言えばねただけでは生地としてまだ不十分なのを補う為で、尚且つ生地にしなやかさを持たせる為である。人間の皆様に解り良くたとえるならば、沢山筋肉を使い込んだ後に十分休息を取って筋肉の増強を図る超回復のようなものである。私も先週はいやに心が重たかったからと今週は彼らを見習ってよく眠る事を心掛け、フロアやベンチではなく布団の中に普段より早めに体を寝かせるように意識をしていた。すると身体疲労はともかく心は軽やかであった。ともするとパンは真心、と言うよりも心がパンなのだろう。仕事中に捏ねられた心も寝かせてやったらまたしなやかさを取り戻し、人知れずふわふわと膨らんでいたのかもしれない。成程なるほど、そうするとどれだけ眠っても出てくる仕事中の欠伸あくびの正体は昨晩の疲労ではなく心のパンチ※1に違いない。



 さて私がベッカライ・クラインで働き始めてから今週の木曜日で丁度一ヶ月となった。大体こういった話をする場合は経過の早さに驚くものであるが、実際今の私の体感で言えば一ヶ月という期間として妥当かしくはそれよりも長かったようにさえ感じている。楽しい時間が早く過ぎると言うのであれば、私のこの一ヶ月は新しい環境に慣れる事に精一杯で楽しむ余裕など無かったのかも知れない。いや、確かに楽しむ余裕など無かった、と言うのは先週の私の心の重たさを紐解けば直ぐに解明が出来た。

 まず先週と言わず一ヶ月前の記憶を呼び戻してみると今との差が歴然なのだが、実は働き始めの一週間は連日大量の鼻血を流すという荒々しき序奏イントロダクションぶりであった。仕事中、或いは仕事を終えた更衣室、または家で眠る間際などに置いて、二三十分鼻を押さえてそれでようやく止まるような尋常とは到底思えない様子であったので、万が一それが長引くようなら病院に行く事を同僚に勧められて最初の週末を迎えた。そもそも私が鼻血の出やすい体質であったならそれほど驚く事も無かったが、如何せんそうでは無かったので原因も薩張さっぱり解らないまま、それでも翌週から今に至るまで鼻腔に血の臭いすらしなくなった。


 医者でもない私が適当な事を公にするのはいささはばかられるが、それでも私は例の鼻血の因果について当時の自分を執拗しつこく追体験する事で叙述じょじゅつせずにはいられない程の解を導き出したので、これはあくまでも私の為に過ぎない分析結果である事を理解した上で読んで戴きたい。


 八月に一度働いていたからと言って、正式雇用が始まった十月もまた同じ気持ちで工房に立てるかと言えばそうではなかった。エキストラではなくなり歴とした一従業員として仕事を覚えなければならない事は勿論、そこには責任も伴った。また新入として周囲の妨害にならないようにする事と周囲の期待に応える事、これらをこなす上で同僚や職場に一刻も早く馴染む事が必要であった。もとい、必要であると過度に思い込んでいたのである。すると当時の私は常時前傾姿勢であった。前傾姿勢が過ぎていたのである。それでどうも眉間に常時力が込められていた様に思うのであるが、これが即ち鼻血を垂らした原因であるというのが私の見解である。単簡に言ってしまえば新しい環境から否応無く受けるストレスであろう力が血を頭まで押し上げていた。


 この前傾姿勢は意図せずつい先週までデクレッシェンドでも続いていたのであるが、これこそが私の心を重たくしていた要因であると判明した。確かに仕事を覚えようと熱心に動くのは必要な事である。しかし余りにもその前傾姿勢が過剰になってしまえば、視界が狭まり挙句己の爪先を眺めるばかりで、それで周囲の状況を冷静に判断など出来るだろうか。私はこの状態で只自分勝手に躍起になっていただけに違いなかった。それだからルーカス※2の冗談にも眉をひそめ、周囲の仲睦まじさに肩身を狭め、いつの間にか自分で自分の心を守ろうと手で包んだつもりでぎゅうぎゅうと握り潰してしまっていたのである。

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 日曜日に日が照っていたので珍しく散歩に出掛けた際、遂にその解に辿り着いた私は今週の月曜日から工房内で独りでにせわしがるのを自らに禁じた。手持無沙汰を嫌って仕事は無いかとぎらぎら周囲を睨めるが如く眺める事も、解る筈の無い同僚の胸の内を必要以上に探る事も禁じた。すると随分と心が楽になった。心が楽になると今まで以上に周囲の状況が良く見えるようになった。また同僚相手に苛立たない所か同僚達の人となりと言うのが僅かずつでも見えだして来た。以前のパン屋には五年も勤めていたので、自由奔放に工房内を動いていた記憶ばかりでそれを通常と考えていたが、その五年が始まる最初もきっと同じように前傾姿勢だったに違いない。寧ろその頃はドイツ語も製パン知識も技術も無かったんだから余計に我武者羅だった事だろう。

 環境に慣れるだの同僚に溶け込むだのは極論誰にも果たせない無謀のものであるかも知れないので具体的な進捗を態々わざわざ記録するのも馬鹿らしいが、それでも居心地や同僚との親睦はクレッシェンドに変化させる事は可能の筈である。それに気付く為の一ヶ月であったと思えば流した鼻血も眉間の皺も無駄ではないが、また繰り返さずに済む様に予めセーニョマークはここに打っておく事にする。



 それはそうと仕事の内容や一日の工房の流れと言う部分は一ヶ月も繰り返せば殆ど理解したと言っても過言ではない。すると脳だか心だかの負担は軽減するのでそれだけでも日常生活は次第に安定していっている。そんな矢先に手紙が届いた。何を隠そう十月に受けた経営学試験の試験結果である。斯くして結果は不合格であった。

 不合格と言うには実はまだ早いので筆記試験が及第点に達していなかったという言葉で置き換えさせて戴くが、この通知を手にした時の私は膝を崩す程の落胆を感じたかと言えばそうではなかったというのが実際の所である。それは諦めて匙を投げてしまった自暴や自棄では無く、十月の試験に全てを出し切り置いて来たと言う自信や自負が有るからである。そして全てを出し切った時点で手応えを感じる事の出来ずにいた私は、今週通知を受け取った際にやっぱりかという言葉が真っ先に脳内に浮かんだ。

 しかし結果が幾ら想定の範囲内だからと言って、理解と納得はまた別物である。果たして私は不合格の結果に甘んじてこの結末を苦労だとか努力だとかいう綺麗な言葉で以て美談に装飾する程、精神的な器用さを持ち合わせていないわけである。そんな私には一つ、この不甲斐ない結果を覆すチャンスが残されている。試験結果が悪かった場合に設けられている点数を補填する為の口答試験である。私はそこで指定の点数以上を獲得出来れば一転合格となるのである。不合格と言うにはまだ早いと申したのはそれが理由である。

 十月に一度暗転し終演したと思われたステージに再び灯りがともると、ドラマチックなコーダへ向けてドイツパン協奏曲はまた五線譜を渡り始めた。譜面の指示はaccel.だんだん速くである。



(※1)パンチ:別名・ガス抜き。生地内の発酵ガスを外へ出す工程。
(※2)ルーカス:ベッカライ・クラインの同僚。パン職人。


※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。

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