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第58話 相棒思いの信さん

塩化ビニールの排水管がゆっくりと所定の位置に寄ってくる。
あらかじめ設置してある片側の固定金具にぴったりとはまった。
据え付けの軸線にしっかりと沿っている。鉛直の精度も所定の範囲内だ。
大塚信は、スマートグラスをいったん外して上下の取り合いや異常が無いことを確認すると、反対側の固定金具をはめて、ボルトを軽く差し込んだ。
再び、スマートグラスを装着して、タブレット端末からOKを指示した。ボルトを締め付ける電動インパクトレンチをセットした触手が伸びてきて、カチャカチャとボルトを回して固定された。

「オッケーだよゲンゴロウ。じゃあ、下の段に降りよう」
大塚は、隣にいる作業補助ロボットに呼び掛ける。ロボットは、浮き上がってきた機体を足場まで下ろして、転倒防止用に張り出していたアウトリガーをしまい込んだ。クローラーが接地すると自由に移動できる。
大塚は、ロボットを引き連れるように歩いて行き、中央部にある資材用エレベーターで1段下に下がると、さきほど排水管を取り付けた場所の下側に向かっていく。ロボットは飼い犬のように後ろからゆっくりと付いてくる。

途中で、携帯電話が鳴った。
作業補助ロボット班の職長を務める田口恵だった。
大塚は立ち止まって、通話に入った。

「お疲れ様。大塚です」
「作業中にすいません。いま少し話して大丈夫ですか?」
「移動中ですから、大丈夫ですよ」
ロボットは、1メートルほどの間隔を開けて、大塚の後ろで止まって待っている。

「夜の作業の予定が変わってしまいまして、電気設備の作業でロボットを使うことになりまして。現場事務所に戻さずに、3階のフロアの充電スポットに戻してもらいたいんですよ」
「分かりました。ゲンゴロウは人気者ですね。私も手放せませんよ」
「皆さんにそう言っていただけると、私達も嬉しいです」

大塚は、後ろでけなげにじっとしているロボットに目をやった。
ユーザーの声紋と登録された名前が鍵の役割を担っていて、決められた相手からの指示だけに応じるようになっている。周りがうるさい場合は、ヘッドセットから直接ロボットに指示を聞かせることになる。

ゲンゴロウは、大塚が勝手に付けた名前だ。息子が小さいころゲンゴロウに夢中になっていた、それが思い出に残っているから、名付けた。夜になって電気設備会社と働く際には違う名前で呼ばれているはずだ。

作業補助ロボットは近年、かなり普及が進んできた。
大塚の会社が使っているのは、クローラー駆動の上に、大人と同じくらいの高さまで届く2本のロボットアームが据え付けられているタイプだ。アームは10本の指が連なったような半円形になっていて、一定規模内であれば完全につかむこともできる。アームと反対側には高精度の360度カメラが付いていて、作業対象の位置などを映像から確認して、3Dの設計データと重ね合わせて物を運んだり据え付けたりできる。
建設現場専用ではなく、製造業や飲食業、医療・福祉分野など幅広く使われている。

ロボットは、常にクラウド上のサーバーとつながっていて、大塚と一緒に作業した経験を人工知能(AI)が蓄積していく。このロボット自体が覚え込むわけではないため、この1台がたとえ壊れたとしても、別のロボットに大塚の声とゲンゴロウという名前でアクセスすれば、それまでの蓄積が反映される仕組みだ。

ロボットが来る前は、3~4人でパーティーを組んで、2人で排水管を持って所定に位置で支えながら、残りの人間が固定金具を据え付けていた。重たいと疲れるし、人が持っているとどうしてもぶれたりずれたりしてしまう。
ロボットは、決められた位置でじっと静止してくれるため、作業精度も効率も大幅に上がるのだ。

海辺の街の復興プロジェクトで、工期はかなりタイトな上に、建設技能者の労働力不足が深刻な状況になっていた。大塚たちの会社が請け負った部分は、3パーティーで仕事をして、ようやく間に合う仕事量だったが、それだと最低10人はいないと進められない。だが、実際に集めることができたのは5人。このうち、作業補助ロボットでの施工経験があるのは、大塚と、同僚の榊原陸の二人だった。このため、大塚と榊原は作業補助ロボットをパートナーに、残りの3人は人間メインの通常体制で、排水管の据え付けを進めていた。

今のところ、進捗は順調だ。

「明日も頼むぞ」
大塚は、指示されたとおりに現場内の充電スペースにゲンゴロウをセットすると、スイッチを切った。
頭頂部の光がゆっくりと沈んでいく。暗くなったら、電源が切れた証拠だ。

来週から若手が一人増える予定だった。
そうすれば、作業補助ロボットでの施工を教えるつもりだ。
対応できる人間を徐々に増やしてきており、若手にとっては必須のスキルになってきた。

ただ、ロボットとの仕事は味気ない。くだらない馬鹿話も愚痴も言えない孤独な作業だ。メンタル面でのケアをどうしていくかも、これからはしっかり考えていかなければならない。

ロボット化で仕事が楽になる部分がある一方で、却って増える仕事もある。DX(デジタルトランスフォーメーション)とやらは、いまだ矛盾の渦の中にある。

夜には、榊原たちと軽く飲みに行ってきた。感染症の勢いがいまは少し落ち着いている。このまま収束するとは思えないが、来週からの仕事の切り回しを相談しておきたい気持ちがあり、久しぶりに宿舎からタクシーで街に向かった。

飲み始めると駄目だ。皆がはまっているサスペンス系のネットドラマの話題に入り込んでしまい、大いに盛り上がった。
楽しいとついつい酒が進む。やっぱり仲間がいないと張り合いがない。そんなことを再確認しただけだ。

翌日に、ゲンゴロウを迎えに行った。
いつものように電源を入れる。

「今日もよろしくな」
そう話しかけて、作業箇所に向かっていく。
奥には榊原が先の方を歩いている。ちょっと飲み過ぎたのは、お互い様だ。

「榊原! 体調大丈夫か? 無理するなよ!」
そう呼び掛けると、敬礼のポーズで合図をしてきた。いつもの調子だから大丈夫だろう。

後ろから付いてきていたゲンゴロウに目をやった。
なんとなく違和感を覚えた。

なぜだろう。

当然だが、2本のアームなど形は同じだ。見た目に違いは無い。
大塚は、ゆっくりと後ずさりしながら、付いてくるゲンゴロウの動きを見てみた。やはり、昨日と違う。動きが滑らかなのだ。

ゲンゴロウは、作業補助ロボットの中では少し古いタイプらしく、若干がたつく感じがあった。作業には支障が無かったし、少し人間らしく感じて愛くるしいように思っていた。それが今日はない。

田口に電話をした。

「おはようございます。今話して大丈夫ですか?」
「大塚さん、おはようございます」
「ゲンゴロウのことでちょっと気になりまして」
「分かりましたか?」

「といいますと?」
「実は、昨晩にちょっとトラブルがありまして、急きょ修理に出すことになったんです。それで別のマシンを持ってきて、ゲンゴロウにアクセスするようにセッティングしました」

「そうだったんですか。いやあ、あいつはちょっとガタガタ動くところがあって、それなのに今朝はいやにスムーズに動くから、おかしいなあって思ったんです」

「すいません。先にお伝えしようと思っていたのですが、ちょっと別件で朝から立て込んでしまいまして」
「いやいや、いいんです。作業的には問題ありませんから。でも…」

「問題ありますか?」

「いやあ、こんなこと馬鹿みたいと思われそうですが、あいつ、いや、昨日までのゲンゴロウは大丈夫かなって。機械ですけれど、俺にとっては大事な仲間ですから」

「大塚さんは、本当に初期のころから使っていただいている方ですので、そう言っていただけると嬉しいです。実は、私も同じような感情がありまして。本当は稼働率だけを気にしていれば良いのですが。上司からは『ロボットは所詮ただのロボットだ』なんて怒られてますよ」

大塚は、新しいゲンゴロウに目をやった。
大塚が動くのをただじっと待っている。感情も何もない。だが、昨日と違うと思うと、なんだか心がざわつくのだ。


建設に限らないだろうが、職人の世界は古来から道具を大切にしてきた。手入れをするよりも新しい物を買った方が良いという風潮がはびこってきたのは、つい最近のことだ。道具は職人にとって大事なパートナーだった。
ゲンゴロウだって、そういう意味では大塚にとって同じような存在なのだ。マシンが変わっても経験が継承されていくシステムが構築されている。だからといって、世話になったマシンをないがしろにするのは違う。これまで一緒に働いてくれたことに恩義を感じ、大事にすべきと思うのだ。

「田口さん、お願いがあるのですが」
「何でしょうか?」

「ゲンゴロウの名前を変えたいんです。経験は同じかもしれませんが、僕にとってのゲンゴロウは昨日までのゲンゴロウなんですよ」

「もちろん大丈夫です。そうですよね。私もそんなことを考えていました。
大塚さん、ありがとうございます」

「いえいえ、変なこと言って仕事を増やして申し訳ないです。でも、ロボットだって何だって同じですが、使い捨てのような気持ちを持っていたら、うまく働いてくれない気がするんです。

親父が大工でした。かんなとか道具を見せながら、『研ぎ方に気持ちがこもってなかったら、道具の方からそっぽを向かれるぞ』って。そんなことを言ってたんです。

そういうのって、馬鹿にできないなって。まあ、そう思うようになったのは年を取ってからですけどね」

「新しい名前が決まったら教えてください。すぐに登録します!」

田口の声が明るかった。最初は、ただのロボット屋と思っていたが、そうじゃない。職種は異なるが、田口も自分と同じ職人としても思いを持っている。

「いい名前を考えてやるからな」
大塚は、たたずんでいる作業補助ロボットに、そう話し掛けた。

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