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ゲンバノミライ(仮) 第24話 事務職員の村上さん

「ねえ、ちょっといい?」
村上希美は、隣に座っている明石朝子から声を掛けられた。

「あ、はい。何でしょうか?」
「人事評価のやつ、もう書いた?」
「あれ、今週が締め切りでしたね。忙しくて、まだ手が回ってないんです。どうかしましたか?」
「こういうのすごく苦手で、どういう風に書けばいいのか分からないの」

いつものように人懐っこい笑顔で話してくる。この人は、こうやって今までも切り抜けてきたのだろう。だいぶん上の先輩だから邪険にはできない。

「一緒に考えましょうか?」
「本当! 忙しそうなのにごめんなさいね」
「いえ、全然いいですよ」

本心が出ないように注意しながら笑顔で応じた。

私は、こういう人が嫌いだ。

この街の復興事業を一手に担うコーポレーティッド・ジョイントベンチャー(CJV)には、発注者側である自治体やデベロッパー、工事を担うゼネコン、設計会社などいろいろな組織の人が集まっている。
村上はゼネコンから来た人間だ。大学院を出て就職し、本社の経営企画や現場事務などを担当して、本社に戻って経理にいた時に、あの災害が起きた。被災地では人が不足しており、赴任を希望する社員を募っていた。村上は、上司にも人事部にも被災地勤務の希望を何度も伝えた。年に一度の人事評価面談でも「復興に貢献したいんです!」と訴えていた。

ようやく希望が叶って、被災地の現場に配属された。

そこで出会ったのが、先輩社員の明石だった。

明石は、もともとはこの地域の出張所に詰めていた。あの災害の前は仕事があまりなく、支店に取り込む形で廃止される予定だったという。そのような出張所だったのでデジタル化も遅れていて、明石は、電話取りやお茶くみ、事務所内の掃除、コピー取りなど昔ながらの仕事で生きてきた。CJVはペーパーレス化が徹底されていて、住民向け資料など一部を除くと紙がほとんど利用されていない。来た当初は「コピーを取りますよ」と皆に聞いて回ったというから、時代遅れも甚だしい。

村上は、主にCJVの契約実務を担当している。事業区域が広範囲に及び、工事数量も非常に多いため、協力会社と取引も当然ながら多くなり、契約書や請求書は膨大な量になる。人工知能(AI)による自動チェック機能を備えたクラウドサービスで効率化を図っているものの、裁くのが大変だった。今までの現場は施工だけの一般的なケースだった。設計や計画などが一体となった事業は初めてということもあり、経験豊富な上司の山根敏郎に頼ってばかりというのが実情だ。
1日でも早くちゃんとした戦力になりたい。
向上心と焦りが混在した中で、日々が足早に過ぎていった。

「なんで、そんなことまでやらないといけないんですか! 私だって人事評価表を書き終わってないのに」
「あはは。それは大変だったな。山根さんが『明石さんの人事評価表が見違えるほどしっかりしていて驚いた』って言ってたんだよ。合点がいったよ」
村上は、メインとなる造成工事のリーダーをやっている高崎直人を捕まえると、いつものように愚痴をこぼした。

「笑い事じゃないですよ。去年までに提出した評価表のコピーを見せてもらったら、なんて書いてあったと思います?」
「明石さんのことだから、元気はつらつなんて書いていたりして」
「すごい! 何で分かるんですか! 『明るく元気に』とか『皆さんにきちんと挨拶』とか『相手の気持ちに寄り添って』とか。小学校の標語みたいで脱力感に包まれました」
「で、結局どうまとめたの?」

「明石さんがやってるのは、雑用と掃除とおしゃべりなんです。そうは書けませんから、『繁忙状態にあるCJV職員への積極的なサポート』とか『清潔な事務所環境の維持』とか『コミュニケーション円滑化への貢献』とか。私が打ち込んであげて明石さんが確認して『OKです』って。まるで秘書ですよ。

経済が右肩上がりで黙っていても成長するような時は、あれでも良かったかもしれません。でも、そんなお気楽な時代は二度と来ないですよ。あんな人ばっかりだったら、この会社は駄目になりますよ」

「まぁ、そんなに怒るなよ。人の役割ってばりばり仕事するだけじゃないんだよ。
いろんな人がいて社会は回っている。会社もCJVも同じだよ。
村上の咀嚼力がレベルアップしたって思えばいいんだよ」
「そんなぁ…。納得できません!」

明石は、いつもペチャクチャ喋ってばかりいる。しかも喜怒哀楽が激しい。大笑いしていたかと思ったら、事務所に来ていた地元の人たちと話し込んで泣いていることもある。その間、上司から頼まれていた仕事は全く進んでいない。
AIやロボットにどんどん仕事を渡していって、人が担う部分はより高度化していくのが今の流れだ。CJVも新技術を数多く導入しようとしている。
それなのに足を引っ張るようなアナログ型の古い人間がのさばっている。同じ会社の出身者として恥ずかしい。

工事が進むにつれ、村上の業務の忙しさはさらに増していった。そんな時に感染症の蔓延という厄介な問題まで加わってきた。CJVでも極力テレワークや在宅勤務を取り入れて、感染拡大の防止を図らなければならない。事務系職員からテレワーク体制に入っていった。
村上は、連絡調整アプリやクラウドサービスにアクセスできる環境が整っていれば問題なく業務ができるため、宿舎にこもることが多くなった。事務所に出勤しても、事務系職員がいるエリアはスカスカだった。明石と顔を合わせる機会もほとんどなくなった。

ある日、少し離れた小規模集落の造成工事現場に現場紹介パンフレットやノベルティーグッズを持って行くよう頼まれた。被災者向けの簡単な説明会を開催することになり、急遽必要になったという。
村上が車を走らせて向かっていると、仮設住宅がある停留所にコミュニティーバスが止まっていた。2車線道路で、向こうから対向車が来ていた。バスの後ろで停止して待っていた。すると見覚えのある女性が降りてきた。

明石だった。
重たそうなリュックを背負い、手には紙袋がある。バスを降りると仮設住宅へと向かっていった。後ろからクラクション音を鳴らされたので、慌てて走り出した。

こんなところでいったい何をしているだろう。

頼まれた荷物を渡して現場事務所に戻ると、村上は出勤システムを確認した。やはり明石は在宅勤務で休みではない。さぼっていたのではないか。

自治体から出向して総務部長を務めている越本健一郎がちょうど出勤していた。同じ会社の仲間を告発するような行為に若干のためらいはあったが、そもそも村上は明石に対して良い感情を持っていない。違う組織の人間から糾弾の声が上がる前に自分が伝えた方が良い。

「部長、ちょっとよろしいですか。実はさっき荷物を運んだ時に、明石さんを仮設住宅の方で見かけたんです。今日は在宅勤務で申請しています。本来は家にいなきゃいけないはずなんです」

越本は、村上からちょっと視線を外して、やれやれというような表情を見せた。
言わんとすることが伝わったと、村上は思った。

「本当? 申し訳ないなあ。明石さん。今日も行ってくれていたんだ」
越本から続いてきた言葉は、村上が想像していたものとは違っていた。

「あえてみんなに言うようなことではないから、知らせてなかったんだけどね」
そう言って越本は経緯を説明してくれた。

明石は、仮設住宅に住んでいるものの、周りとあまり接しないような独居世帯の高齢者の家を、順繰りと回っているのだという。きっかけは、CJVによく来ている町会長の坂田友典からの依頼だった。感染症が広がって不自由がないか心配だが、昔から知っている自分たちには、今さら関係性を変えることが難しい。そこで誰とでも打ち解けられる性格の明石に見回りを頼んだのだ。
明石は快く引き受けて、すぐに一番心配されていた人の所に顔を出しに行くと、すっかり仲良くなって長話をしてきた。そして「次はこの人」「その次はあの人」というように訪問先が増えていった。

「明石さんは、『話すだけだから訪問する日は有給休暇にしたい』って申し出てきたんだ。『私は、ここで何の役にも立ってないし』ってね。だから、『そんなことないですよ。街の人の支えになってくれているのは本当に有り難いんです』って言ったんだよ。
明石さんは、プライバシーには差し障りない範囲で、どんな様子だったかを坂田会長にきちんと伝えているんだ。そうすれば本当に助けが必要な場合は福祉部局に話が回る。そういうルートがあることが大事なんだよ」

「そうだったんですか。知らなかった」
「正直なところ、CJVの仕事かどうかと言うと微妙だよ。被災者の困りごとを吸い上げるのは、本当は私たち自治体の仕事だ。だけど、この有り様でマンパワーが足りず十分にできていない。
街づくりって基盤だけじゃないからさ。復興街づくりを担うCJVの一員として、明石さんが間を埋めてくれている。そんな風に受け止めているんだ。ご飯まで持って行く時もあるみたいで、頭が下がるよ」

「分かりました。何かお手伝いできることがあれば、私もやってみます」
村上は、そう言って席に戻った。

役に立つって、何だろう。
感染症防止用に据え付けられた透明アクリル板の向こうにある無人の机を見つめながら、村上は、答えが定まらない問いに思いを馳せていた。

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