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痛いけど大好きだぜ
前に書いたこの記事。
この中でおれは、元家族が家にいてくれる最後の日のことを、
「宝物のような日」と表現した。
それは本当にそのとおりだった。
みんなが出て行く前日。
おれは熱を出して具合が悪くなった。
よっぽどさびしかったんだねえ🤣
みんなに風邪をうつしたくなかったから、
元妻や子供たちと、ほとんどなにも話ができなかった。
それでも最後の日は、さびしくて、でもあったかくて、最高の一日だった。
みんなと何も心を通わせるようなことがなかったのにも関わらず。
おれはそれとすごく良く似た気持ちを今、味わっている。
大嫌いな父親と、大嫌いな母親。
彼らと一緒に過ごす今のこの時間を、
おれは宝物みたいだって思っている。
おれは昔から両親のことが大嫌いだった。
彼らはいつもおれのことを否定し、バカにし、人間扱いしてくれなかった。
だからおれは何度も何度も、彼らと絶縁した。
今回こうして顔を合わせるのも、8年ぶりのことだった。
その8年の間に、父親は認知症になった。
そしておれのことを息子だと認識できなくなった父親は、
おれのことをバカにしなくなった。
彼はおれのことを他人のように扱うようになったが、それがとてもよかった。
彼がボケたことで、おれはようやく彼のことを許せるようになった。
もしも彼がボケなかったら、おれと彼の関係は一生険悪だったかもしれない。
母親にしても同じ。
おれと彼女の関係性は変わった。
8年のあいだに、おれも彼女も変わったのだろう。
おれは嫌なことは「いやだ」と、辛抱強く言えるようになった。
母親に嫌なことをされても、何度でも「それはやめてくれ」と言えるようになった。
この前はついうっかりブチ切れたけど、母親はそんなおれの怒りをきちんと受け止め、理解してくれた。
おれはおれ。
そして母親は母親。
父親は父親。
みんなそれぞれ、なかなか変わらないよ。
みんな頑固だ。
なかなか変わらない。
それでも、少しずつ、少しずつ、変わっていっている。
父親は認知症になり、おれに対する態度がガラリと変わってしまった。
きっとそうしなければおれと彼は和解できなかったので、神様か何かが助けてくれたのだろう。彼を認知症にすることで、和解できるように計らってくれたのだろう。
おれは3年前に離婚し、家族を失った。
そして先月、元家族を家から追い出し、元家族をも失った。
もうこれからはおれは、彼らの手を借りられないのだ。
どうしようもなくひとりになって、
おれは人のありがたみを知った。
ただそこにいてくれるだけでうれしい。
たすかる。あったかい。
そういう気持ちを、おれは知った。
傲慢なおれに大切なことを伝えたくて、
何者かが特別にそんなふうに計らってくれたのだろう。
いまおれは、おれと一緒にいてくれる父親と母親のことを、本当にありがたく思っている。
今までずっと、
両親が死んでもおれは絶対に泣かない、
そう思っていた。
それは今も変わらないのだけれども、
それでもおれは今、両親のことが嫌いではない。
おれと一緒に暮らしてくれる両親。
おれのことを、ここにいさせてくれる両親。
おれはさびしくない。
ひとりじゃない。
本当にありがたい。
大嫌いだった両親に、
こころから「ありがとう」って思ってる。
2人がいてくれてよかった、
生きていてくれてよかった、
うれしい、ありがとうって思ってる。
この気持ちは宝物だよ。
おれは元家族と別れることで、
宝物を手にすることができた。
人は本当にありがたい。
そこにいてくれるだけでうれしい。
たすかる。さびしくない。
そんな宝物に気づくことができたのだから、
こんなふうにひとりぼっちになって、
本当によかったって思うんだ。
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