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人生で一番美味しかった臭いラーメン

人生で一番の食事は?ときかれたときの答えの準備がある。

7年ほど前、大学生4年生のとき、自転車サークルのツーリングの帰りに転んでアスファルトの道路に顔面を打ち付けて顎の骨を粉砕した。顎の骨というのは顔の一番下の部分ではなくて、口を開くときに動く「顎間接」の近くで、その骨が折れると口を大きく開くことと物を噛むことが痛くてできなくなる。幸い普通にしている分には痛みは無かったが、直るまでの2週間ほど、極端にやわらかいものしか食べられなくなるのがとても厳しかった。

そのとき良く食べていたのがレトルトのお粥、プリン、ワンタンスープ、ひきわり納豆などで、噛まなくても食べられるものがとても心強かった。なぜかレトルトのお粥の卵味だけは不味くて、獣臭いというか、昔実家で飼っていた犬と同じ味がした。しかし、噛まなくて美味しいものを見つけても、種類が限られているので飽きっぽい自分にはとても辛かった。固形物が解禁になるまでは「最初に何を食べるか」をずっと考えていた。

大学生になってからラーメンにハマっていたので、一番最初はラーメンだというのは自然と決まっていた。当時住んでいた駅の近くには、千葉で一番有名なラーメン屋の弟子で、グルメサイトでも評価の高いつけめん屋があった。自分の中でもそのつけめん屋が一番という思いがあって、病院で咀嚼の許可が出たらそのまま直行しようと来る日を待ち侘びていた。

しかしここで、別の気持ちが湧き上がってくる。駅前にはもう一件、豚骨ラーメンの店があった。グルメサイトでの評判は決して高くなく、自分も最初は「平日替え玉無制限無料」につられて入った店だった。その豚骨ラーメンのスープはセメントのように粘度が高く、何より汲み取り式便所さながらの強烈な臭いを放っていた。今でこそ「天下一品のこってりをさらに強烈させたような味」と例えられるが、当時まだ天下一品も食べたことが無かった自分は初めての味と強烈な臭いに不快感さえ覚えて初来店のその店を後にしたのだった。

しかし時が経つにつれ、その臭いラーメン店の常連になっている自分がいた。毎回、さすがに飲食物から便所の臭いがしたというのは記憶違いなのではないかと疑いながら足を運ぶのだが、いつもそのラーメンは臭かった。濃厚すぎるスープと博多豚骨ラーメン由来であろう細麺はあまりにも強く絡みつき、数回替え玉する頃にはスープがほぼ干上がっていた。毎回、後悔すると知りながらも自身の適正を超えた量の替え玉を注文し、胃袋が広げられるのを感じながら店を後にする行為には高い中毒性があった。

それでも自分の中で、つけめん屋が一番という評価は揺るがなかった。今でも、他人に勧めるならつけめん屋の方だと思っている。豚骨魚介スープに小麦の香る太麺、しっかり煮込まれたチャーシュー、アクセントの柚子と完璧に近い味だった。

だからこそ、咀嚼解禁後の最初は臭いラーメンの方が良いのではないかという思いが湧き上がってくるのも、その思いが日に日に増していくのも不思議だった。結局、どちらのラーメンを食べるかを決めないまま、通院の日がやってきた。

朝、家を出た時点では咀嚼が解禁されることが決まっているわけではなかった。おそらく2週間とは言われていたものの、今日自分が固形物を食べられるかどうかはレントゲンの結果次第だった。大学病院の広い診察室で、自分の顎のレントゲンを見ながら、かかりつけの女の先生に「骨はきちんとくっついていますね。極端に硬いもので無ければ今日から咀嚼しても大丈夫ですよ。」と言われた瞬間に今日の昼飯が決まった。先生にお礼を言って会計を済ませると、病院に停めてあった自転車で臭いラーメンの店に直行した。店に向かう途中、「俺、結局臭いラーメンを選んだな」ということは頭をよぎったが、一秒でも早く臭いラーメンを食べることに必死で、その理由を深く考えることは無かった。

いつも通りの臭いラーメンを注文し、程なくして目の前に丼が運ばれた。臭いスープの絡みついた細麺を啜り、2週間ぶりの咀嚼をすると脳内は感じたことの無い量の快楽物質で満たされた。思わず顔を上げ正面の壁を仰ぎ、咀嚼の喜びを感じた。壁には額縁が飾ってあった。筆で書かれたひらがなの「ありがとう」で漢字の「愛」が形作られていた。心ゆくまで替え玉を注文し、逆立ちすればすべて吐いてしまうであろう程に胃袋は限界だった。しかし、この日だけは一分の後悔もなかった。

かくして、この日の臭いラーメンは自分の人生で一番の食事となった。なぜあの時、つけめんではなく臭いラーメンを選択したのか、その明確な理由は考えてもわからない。しかし事実として、自分は臭いラーメンを選択し、それが人生で一番の食事となった。

数ヵ月後、自分はこの町を去ることとなり、臭いラーメン屋にも、つけめん屋にも気軽に足を運ぶことはできなくなってしまった。この強烈な思い出のラーメン屋にはいつかまた必ず行きたいという思いがあったが、さらに数年後、2つのラーメン屋は立て続けに暖簾を下ろしてしまった。あの臭いラーメンは、思い出の中で永遠に、人生で一番のラーメンとなり続けることになったのだった。

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