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【色気と喰い気】

20代の頃である。もう40年以上も前の話になるのだが、有志10名の男どもが集まって、丸1年間、東京で共同生活をしたことがあった。詳細についての説明は割愛するが、まぁ、一種の修行みたいな生活をした訳である。

当時、駒込にあった〈近衛文麿の旧邸:荻外荘てきがいそう〉が住まいになっていたので、建物は歴史的文化財レベル級に物凄いものだったのだが、望んで参加したとは言え、禁酒と共に、こと、食事に関しては質素そのものの生活を強いられた。

20代から30代になる男10人の1日の食費が、米代は別としても、なんと❗️¥500―なのだ。1人当たりが¥50―なのである。1食ではない。1日がである。今よりは物価が安かったとは言え、これは流石に厳しかった。

だから、日替わりで決められた2名の炊事当番が、試行錯誤、四苦八苦して食事を作ったのである。

朝は、懇意になった駅前の屋台のラーメン屋から貰ったスープと、格安で買える耳パンというメニューが多かった。

毎日毎日スープと耳パンばかりを食べていると喉を越さなくなってくるのだが、食べないことには夕方まで身体が保たないので、皆んな無理をして食べたものである。

朝食が終ると、10名は程なく東京の街に出て行って夕方まで帰ってくることはない。修行なのだから勿論徒歩である。そして、1人1日¥50―の食費の我々には、当然、昼食なんてある筈がない。

だから、トボトボと街中を歩いていると、食べ物ばかりに目がいってしまうのだ。

〈あ~っ❗️カツ丼を腹一杯食べたい❗️〉
〈ラーメン喰えたら死んでもいい❗️〉
〈生ビールで焼肉喰いたい❗️〉

正に食欲との戦いの日々であった。

夕方になると、朝からスープと耳パンしか喰ってない、腹ペコを通り過ぎた野郎たちが、足を棒にして帰ってくる。

楽しみと言ったら、炊事当番が作ってくれた夕食だ。

夜のメニューは色々あった。

〈耳パンを生地にしたハンバーグ〉
〈おから〉
〈耳パン餃子・おから餃子〉
かさを増すための雑炊〉
〈すいとん〉
〈豊島市場から貰ってきた屑野菜の天麩羅〉

などなど、当番が苦心して考えた料理が1品、食卓に並んだ。・・・そして、ご飯は茶碗に軽く1杯だけだ。

だからいつでも腹ペコだった。女への興味よりも、喰うことが先決であって、喰わなきゃ性欲も湧かないのだ。

人間、やっぱり色気よりも喰い気が先なんだということを、身を持って体験した1年間なのであった。

(イラストは、40数年前に描いた、懐かしのキッチン)

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