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【茶封筒】

1898年にマリー・キュリーによって、ラジウムが発見されると、この放射性物質は1大ブームを巻き起こし、ラジウムを使った食器や衣類、コンドームなどの日用品が商品化されたほか、化粧品や食品にまで添加された。

スイスの時計工場では、輝度の高いラジウムを使って文字盤を光らせるために、女性の職工たちは筆を使い、手作業で数字やメモリを書き込んでいたという。防御なしでラジウムを扱ったことで、スイスでどれくらい多くの人が病気にかかり、また死亡したのかは分かっていない。

さて、話は変わるが、ラジウムによる不幸な話から、ふと、日本における、ある1つの訴訟事件のことを思い出したのである。

今からそのことに関する、ある裏話をしるすことにするが、この暴露話の出自と、事件の詳細については、ハッキリとは書けないことを予め御了承頂きたいと思う。

・・・・・・・

もう何年も前のことである。

その事件とは・・・人々が次々と身体の不調を訴え始めたことから始まる。それにはある会社が関わっていた。

それはある物質が人体に甚大な害を与えるというもので、遂には訴訟事件にまで発展していく・・・

その物質と病状の因果関係を争う裁判となったのだが、会社側としては、それを認めると莫大な慰謝料と補償金を支払わなくてはならなくなる。

そこで会社側は、ある大学病院に救いを求めたのだった。その物質によって発症した病気についての権威である、ひとりの教授に接触をはかった。

会社側は、裁判を有利に進めるために「物質と発症には因果関係はない」若しくは「あっても微々たるもので、それが病気発症の直接的原因ではない」との〈診断書〉の作成を依頼したのである。分厚い茶封筒を添えて・・・

コイツ、見てきたようなことを言うじゃないか、と思われる方も多いだろうと思うので、この話の出自について少しだけ触れておくことにする。

これは、この光景を実際に目の前で見た人間が、僕にカミングアウトしてくれた話なのである。


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