なぜ1年でゲームを完成させようと思っても当然のように4年以上かかるのか
前からずっと言いたかったことがある。同じ過ちを犯すゲーム開発者に。あるいは、「ゲームを完成させた体験が無い人」に。
あなたのゲーム開発に対する予測は、ほとんどの場合正しくない。それも、20%や40%などの振れ幅ではない。200%とか400%のスケールで大きく間違っている。
私はその感覚を確かめるべく一つのアンケートを実施した。結果は火を見るより明らかな傾向を示した。
このことは、既にいくつかゲームを完成させた経験がある人にとっては、ほとんど明らかな事実である。引用ツイートにも数々の経験者から「私の感覚とほぼ一致する」などの同意が多数寄せられた。
もちろん個人開発なら最初は派手にエターナる可能性も承知で身も心も燃やしてしまえば良い。私だってそうやって失敗して学んだ。
だが世の中にはそうやって失敗しても笑って「良い経験になった」と言えるレベルの活動と、そうでない活動、すなわち、経済的な見返りを期待したり、友人関係を担保にしたり、失敗すると信頼に大きく傷跡がつき、会社がや人生が立ち行かなくなったりするものがある。そんな無謀な計画で進められる開発は、実は商業やプロの現場を傍目で見ていても珍しくはない。
残念ながら私はそんなに大層な作品のディレクターを努められる人間ではないので、俺に代わらせろと偉そうな事を言える立場ではない。だがつい先日読んだ本が、そんな私の心配事を美しく代弁してくれていた。私がどうにかせずとも、皆がこの本を読んで、ゲーム開発に潜むリスクの大きさ、その正体に気がついてくれたら、悲劇が減ってくれるのではないか。そう感じたのだ。その本こそ
BIG THINGS どデカいことを成し遂げたヤツらはなにをしたのか?
買え。面白すぎて私は2日で読み終わった。2000円もしない。買うならもうこのnoteの続きは読まなくてもいい。
いぐぞーさんがシェアしてたので知った。これで読もうとなった人も多いのではないか。
本稿では、書籍BIG THINGSを引き合いにだしつつ、ゲーム開発がなぜこうもリスキーなのか、そして、そのリスクにはどう対処すべきなのか(あるいは、なぜそれが対処のしようもないほど難しい問題なのか)を紐解いていきたい。
内容として、ゲーム開発の経験がある、完成させた経験がある人にとってはかなり「知ってる話」だと思われる。ただ経験的に知っていても、それを論理的に言語化して他人に伝えることは困難を伴う。そんな際に本稿や本書を提示することで、知見を共有する助けになれば幸いだ。
その予測はただ外れるのではない、ド派手に外れる
BIG THINGSは主に国家レベルの超巨大プロジェクトを分析した書籍だ。
鉄道やトンネルの工事に始まり、巨大ビル建設、原子力発電所、そしてオリンピック、核燃料物貯蔵にいたるまで。こうしたプロジェクトは当然ながらおびただしい人数が責任を持って仕事に臨んでいるが、世界的に見てもこれらのプロジェクトの予算超過率は数十%などのかわいいものでは済まない。数百%の規模でド派手に外れ、国家や共同体は税金という形でツケを払わされ続ける。なぜそんな失敗が許されないプロジェクトで失敗が常態化しているのか?ーーーそれを世界中の1万6000件以上の「メガプロジェクト」のデータから研究しているのが著者のベント・フリウビヤ氏だ。
こうした「ド派手な失敗」の可能性が無視できない割合で存在する分布は「ファットテール」と呼ばれている。予測値を中央としたグラフにしても中央に結果が集中すること(正規分布に近づくこと)が無く、予測の2倍、4倍、8倍……と、ただただ広く(つまり際限なく)コストが膨らむ形だ。
こう聞くと、ゲーム開発、とくに個人でのインディーゲーム開発には当てはまらない話にも思えるが、読み進めるほどに(残念ながら)すべてのゲーム開発はこれらの巨大プロジェクトと相似形のリスクを背負っていることが理解できる。事実、ゲーム以外のITプロジェクトもこのファットテールに含まれ、そのコスト超過率の平均値は448%だったそうだ。最初に出したアンケートの平均値と近く感じる。
もっとも、世の中のプロジェクト全てがこのようにド派手なリスクを抱えているわけではない。ちゃんと予測に対して正規分布的な範囲のコストにおさまるタイプのプロジェクトも存在する。というか、それがほとんどでなければ世の中は完全なカオスになっていなければおかしい。なぜ、一部の大型プロジェクトや、ゲーム開発は、このように極端なリスクを抱えがちなのか。
理由1:経験の軽視。世界初、世界一を目指すから
それは恐ろしく当たり前の理由から始まる。ズバリ「経験したことのないプロジェクト」を実行するからだ。
それはつまり、馬鹿だって言いたいのか?
と、思うくらい当然の理由だ。個人で馬鹿をやるならまだしも、国家レベルのメガプロジェクトがそんな馬鹿な?と思って当然だ。しかし世界中の至るところでそれが起きているという。なぜか。本書が明らかにしている残酷な真実の一つは、そうした馬鹿げた計画が「政治的利益」に適うから、というものだ。
オリンピックがまさにこの典型例である。
4年に一度、開催地を変更する。同じ場所に戻ってくるとしても5,60年後。といった慣例があるせいで、そもそもオリンピックの施設や演出を設計する経験を持った人間が再びこれを担当する機会は二度と来ない。しかし、そうやって全世界を転々として各地に「感動」を残すことで、IOCの政治的な支持を広げやすいという便益に適っている。
オリンピックのモットー「より速く、より高く、より強く」に則り、施設も演出も「世界初」「世界一」見たこともないものを生み出そうという政治的なモチベーションが強く生まれる。これ自体は創作物すべてに共通して求められるものでもあるので悪く言うべきではないかもしれないが、国家プロジェクトとして予算をかけるには非常にリスクが高い性質を持つことは否定できない。
つまり、人間は馬鹿なくらい刺激に弱いのだ。
地元に来たことが無いオリンピック、見たこともない建物や演出、それをやりますという政治家を(冷静に考えたら無謀だとわかる事でも)結果的に応援してしまう、そういう物語に釣られてしまう性質がある。
「誰も見たことのないゲーム」への渇望
さて、話をゲーム開発に戻そう。
創作にはもちろん、「見たことのない刺激」を生み出したい、とする強いモチベーションがある。それはゲームに限らず、映画やアニメ、漫画や絵画などあらゆる創作において共通する欲求で、当然ながらその挑戦にはリスクが伴うだろう。クリエイターの誰しも、それを当然のごとく理解した上で挑戦をしているはずだ。そしてゲーム開発は特にそのリスクが高くなる可能性を秘めている。なぜなら、「ゲームサイクル」と呼ばれる新しいフォーマットの発明が、オリジナルのゲーム開発では自然に起こり得るからだ、と私は考えている。
ゲーム以外の創作物は、その配信システムの都合によってある程度のフォーマットに従うことを余儀なくされている場合が多い。映画は約2時間というフォーマット、アニメは30分x十数話というフォーマット、漫画は1話何ページというフォーマット、など。念の為、当然そこから外れて挑戦することはどんな創作でも可能だが、ゲームはシステム自体を開発するためそれがより自然に可能だ、ということを言いたい。
プログラミングとは恐ろしいまでに自由なフォーマットを生み出す力がある。だからこそ、誰も見たことの無い新しいサイクルのゲームを作ろうとすることを止めるブレーキは存在しない。そしてその挑戦に見事成功したゲームは、比類なきオリジナリティを後世にわたって称賛されるのだ。
「グノーシア」は一人用人狼ローグライクアドベンチャーという聞いたこともないゲーム構造でインタラクティブな会話からキャラクターの物語が展開する唯一無二の体験を作り出しているのだが、これはプチデボットという経験豊富なチームによって成し遂げられた偉業であり(それでも4年かかっている)、とにかくこうした挑戦は大変に危険だ(だからこそ価値がある)。
ゲーム開発は、こうした新フォーマットへの挑戦に開けている媒体だからこそ、経験が無いうちは想像以上のリスクを抱え込むことになる。その結果が冒頭のアンケート結果に現れているものと思われる。
新規システムばかりがクリエイティブ、ではない
もちろん、こうしたリスクを回避する選択も可能だ。既にあるシステム、作ったことのあるフォーマットで作れば良い。そしてその中でも、新しく価値のあるクリエイティブな作品を生み出すことはできる。
というか、ほとんどのゲーム会社はこうしたフォーマットのある作品、続編の開発によって安定的に利益を得ていると言っても過言ではない。新しいものを求めるユーザーからは揶揄されるかもしれないが、そういう作り方でしか生み出せない傑作というものは存在する。
最近だと、FINAL FANTASY VII REBIRTH(FF7Remakeシリーズの2作目)がまさに「リメイクの続編」くらいでしか到達できないってくらいの圧倒的な作り込みによって、高い評価を獲得している。オリジナルを作ったことのあるクリエイターと、さらにリメイクの前作を作っているチーム、この経験が揃った環境でなければここまでのクオリティに到達できるとは想像しにくい。
経験が活かせるというのは、非常に大きなアドバンテージなのだ。リメイクに限らずとも、1回フォーマットを作ってからもう一度ブラッシュアップしたり、1回小さく作ったものをもう一度大きく作ったり、そういう形で大成功しているタイトルは結構ある。マンネリとは思わずに、せっかく作ったフォーマットや環境を活かすのも有効な手段だろう。
しかし、これだけではあまりにつまらない結論だ。「経験が無いことにはリスクがあります」なんて、ゲームを完成させた経験に関わらず理解はしているだろう(本能的に挑戦を選んでしまうとしても)。
だがこれはまだ序の口だ。
理由2:One Big Thing. 複雑に依存した先々からリスクが舞い込むから
経験豊富なプログラマーが関わっていたとしても、バグは必ず発生するものだ。ソフトウェアの依存関係は複雑で巨大なため、誰もその全体像を完全に把握することができず、予想外の場所から予想外の結果が流れ込んでくる。プログラマー以外には想像しにくいかもしれないが、これは本当に避けがたい事実だ。
これはゲーム開発だけではなく、IT開発全般に言えるリスクでもある。ソフトウェアというものは最終的に「一つの巨大なモノ」として完成することを目指している。内部のシステムや仕様は密接に絡み合い、それぞれが正しく動作することを前提に全体が意図どおりに動作する。このような「一つの巨大なモノ(One Big Thing)」という特徴は、本書の言うSmall Things(小さい成果を着実に積み上げる)戦略が通用する仕事とは根本的に異なる。
Small Things戦略とは、物事を小さなモジュールに分けて、それを「繰り返し、大量に」作ることで価値をスケールさせることだ。具体的には、太陽光発電、風力発電、道路建設、送電設備などのシンプルかつ量がモノを言うプロジェクトが当てはまるとしている。
一方で、One Big Thingの最たるものが原子力発電所の建設だ。しかも、その教訓として例に出されているのが日本の原子力発電所「もんじゅ」だった。度重なる事故やスキャンダル、極めつけに東日本大震災の原発事故が起こり、膨大な資金を費やした挙げ句に生み出した電力はほぼ無く、廃炉するだけでもまだコストがかかるという結果になってしまった。
これはまさに、原発という「一つの巨大なシステム」が、どこか一つに異常をきたすだけで全体を停止せざるをえないリスクがあり、その開発途中においても「小さく作って試す」という事が非常に難しいという構造的課題が示されている(それを乗り越えるための「小型原子炉」も提唱されている)。
翻って、ゲーム開発とはまさにOne Big Thingだ。ソフトウェア自体が依存関係の塊であるのに加えて、芸術的な面でも、シナリオの依存関係、シナリオとシステムの依存関係、そこにビジュアル、サウンド、すべてが一つの表現として統合されて初めて完成する。そのどこかに仕様変更が入ったならば、それ以外のすべてが影響を受けることは避けがたい。
とにかく大変なのだ。
また、複雑性を生み出しているのは自分たちだけではない。自分たちが存在している環境そのものがダイナミックである、ということを人間は忘れがちだ。100年に一度の自然災害や100年に一度のパンデミックがプロジェクトを直撃して大幅な変更を余儀なくされる、という事は建設業はもちろんゲーム開発においても無視できるものではない。
いや、ゲーム開発にはさらに特異な環境の変化が訪れる。エンジンアップデートだ。
本書の内容と対比すると、ゲームエンジンやプラグインのアップデートはほとんど天災に近い、という理解に至った。それは私達開発者が住んでいる環境であり、常に変化しており、時にそれが破壊的な変化を引き起こす。
こうした天災は、滅多に無いことのように思えるが、ゲームエンジンが非常に多くの部品、ドライバー、システム等から成り立っていることから、結果的にそのいずれかの部品から破壊的な変化が頻繁に引き起こされる、と考えておくべきだ。本書が紹介している研究ではそれを「ノーマルアクシデント(起こるべくして起こる事故)」と呼んでいる。
こうしたリスクに対して、本書が提示する対策は2つある。
Small Thingsに分けよう。
一つの大きなモノとして作るから一つの失敗が他に大きく伝搬してしまう。できるだけ小さい、繰り返しの基本となる要素を見出して、それを繰り返し作れば良いという構造にしよう。
難しいが、言いたいことはわかる。ゲームでも「バーティカルスライス」と呼ばれる目標がまさにこれを実現するためのものだ。だが、バーティカルスライスと呼ばれるビルドが本当にバーティカルなスライスだった事を、あなたは見たことがあるだろうか……ヨコオ氏がその難しさを代弁している。
早く終わらせよう。
1年で終われば出会わなかった自然災害や環境変化も、10年もダラダラと続けていると巻き込まれる可能性が高い。つまり、最初からちゃんと短く終わらせる計画があればリスクに巻き込まれる可能性は低い。
なるほど完璧な作戦っスねー。不可能だという点に目をつぶればよぉ~~
予測を正す、あるいは覚悟を決める
ゲーム開発が難しいということは、よくわかった。経験の無い新しいゲームサイクルを、全てのシステムを組み上げて一発で思った通りに動作させることなど、できると思う方がおかしい。
じゃあ何か?「ゲームなんて作るもんじゃない」が正解なのか?
↓の記事は死ぬほど長いが、インディーゲーム開発の現実について知りたいなら、読む価値がある。
以下引用
たしかに、Indie Apocalypseと呼ばれるような過酷な環境で「なぜ自分がゲームを作っているのかわからない」と嘆くような状況に追い込まれている人を見ると、そこから手を引いて別の人生を歩むことも正解だと言えるだろう。ゲーム開発はリスクのある冒険だからこそ、誰もその結果を保証してはくれない。
だが、諦めるのはまだ早い。どうせ、リスクはつきものだ。ならば、そのリスクを込みで期間や予算を見積もっておけば、少なくとも「こんなはずじゃなかった」とはならない……可能性が高まる。
失敗には2つの側面がある。実行段階と、予測段階だ。実行には避けがたいリスクもあるし努力も運も絡んでくるが、予測を正すことは誰にだってコストをあまりかけずにできるはずだ。
予測を正す方向にも2つある。
1年で作れそうなものをリスク込みで予測して2年とか4年、として覚悟を決める積極的な予測修正。
あるいは、
3ヶ月とか半年で作れそうなものを想像して、それに1年をかけよう、という消極的な予測修正だ。
これらは純粋にトレードオフになっているので、どちらを使うかはそのプロジェクトでどれだけの挑戦をしたいか、でバランスを取ると良い。締め切りが決まっているなら、消極的に考えて余裕をもって完成できると思えるものを作るしかない。歴史に残るゲームを作りたいという野望を実現するなら、1年で作れそうと思っても何年だって諦めない、と積極的に覚悟を決めるしかない。
自分なりのゲーム開発予測修正法
私自身のゲーム開発の話をしよう。大変に遅い自己紹介だが、大学生の頃からゲーム開発者を志し、大小10個以上のオリジナルなゲームを開発・公開している(ゲームジャムの作品や小さな実験を含めると数倍になる)。
「音楽とゲームの融合」を目指し、おそらく誰も見たことも聴いたこともないような作品を開発してきた。つまり、私の作品はだいたいリスクが高い。
動画プレイリスト:
こちらからダウンロード、またはブラウザでプレイ:
フォロワーからはインタラクティブミュージックの過激派、というイメージを持たれているかもしれないが、自分としては、音楽表現とゲーム開発をどちらも同じくらい大事に考えている。音楽だけ新しい表現でも、ゲームとして面白くて良く出来ていないと(私が作る)意味がない。
実は、大学(北海道大学)時代に札幌ゲーム制作者コミュニティKawazという団体を立ち上げ、100人規模で札幌のクリエイターを集めて様々なゲーム開発プロジェクトの立ち上げに関わったり、ゲーム制作イベントを主催していたという経歴がある。そして日本国内ではかなり初期のGlobalGameJamの大規模会場を、東京・福岡と連携して札幌に立ち上げるなど、なかなか珍しい経験をさせていただいた。
2日あるなら、1日でできるゲームを考える
そんなこんなで、実はゲームジャムの開催・参加経験は当時では他の追随を許さないくらいに豊富だった(最近はもう参加してないので、もっと凄い人はいっぱいいると思う)。
そして2014年(もう10年前!?)、LudumDareというゲームジャムの世界大会みたいな猛者が集まる環境で、2500エントリーの中Audio部門の1位を獲得し(紛れもなく自慢だ)、
なぜ自分がゲームジャムで「面白いゲームを完成」させることができたのか、という事をわざわざ記事にするくらい引っ張っている(気持ち悪いくらいの自慢だ)。
だが本稿では自慢がしたいわけじゃない(いや、自慢はしたい)。私はこの頃から同じ事を言っている、という事を示したい。↑の記事でも、ゲームジャムは2日あるが、半分の「1日でできそう」なゲームを考えよう、と言っている。
これはまさに、消極的な予測修正法だ。締切が決まっているなら、その1/2とか1/4で完成させるシステムを考えるべきだ。私の豊富なゲームジャムの経験上明らかに大事な考え方だし、書籍BIG THINGSを読むことでそれが巨大な権威から認められた気がした。
ちなみに、その自慢のゲームはこちらでブラウザから遊べる。誰でも3分あればクリアできる。息抜きにプレイして頂いても良い。
ゲームジャムに限らず、1ヶ月で作るなら1週間とか2週間で作れそうなゲームを、2年で作るなら1年とか半年で作れそうなゲームを考えよう、というのが私の考える理想的なゲーム開発だ。
企業でのゲーム開発もできればそうあってほしい。締め切りギリギリまでバーンダウンチャートが伸びているのは私にはもう死亡フラグにしか見えないんだ……ゲーム開発のタスクが予測通りバーンダウンすることは絶対にありえない……むしろ、全てのタスクを終わらせたと思ったその時からが本当のブラッシュアップ、完成に向けてのスタートラインになるはずだ。
手を動かすよりも前に、脳内で十分にシミュレーションする
ゲームジャムで私のチームに入ったことのある人なら知っているが、実は最初の企画会議にはどのチームよりも長い時間をかける。これは良くない拘りに見えるかもしれないが(そして決まらなかった時のリスクは確かにあるが)、実際、ノリと勢いでテーマを決めてすぐ手を動かそうとしてしまうチームよりも、結果的に早く良いものができる。
これも自分は経験からなんとなくそのやり方を選んでいたが、本書を読むことでその理由もはっきりした。素早く完成させるコツは、何よりもまず計画がしっかりしている事が重要なのだ。
「思いつき」のアイデアには、当然だが抜けがある。それは単に「面白くない」といったことだけではなく、面白さを感じさせるためにどんな情報の提示が必要なのか、それに必要な素材は今のメンバーと時間で用意できるレベルなのか、といった様々な視点から欠陥を洗い出す。その全てにチームが(少なくともリーダーとしての自分が)答えられる自信があるアイデアにたどり着くまで、議論や思考を繰り返すのだ。
細かいTIPSとしては、ブレインストーミングのような会話だけではなく、必ず「1人ずつで考える時間」を設けることも重要だと考えている。会話というのはどうしてもその場の空気に流されやすく、否定的な材料を挙げる際に空気が邪魔になってしまうためだ。
当然、こうした計画、会議、思考には時間がかかる。しかし、考える前に手を動かして、その間で新たな問題が見つかり、リテイクや再構築に多大なコストとストレスを支払うよりは、はるかに安く済むはずだ。このように、計画とシミュレーションに大きな時間を割いて成功している企業が、ピクサーだという。この「ピクサー・プランニング」の真髄については、本書や関連書籍を読んで頂くほうが良いだろう。
とにかく、計画、脳内でのできるだけ正確なシミュレーション、そしてプロトタイピングは、本制作の前にしっかりと時間をかけて行うべきだ。
予測して、計画して、なおも噴出する問題
こうした経験を買われてか、2022年(もう2年前……)、渋谷PARCOにゲームを展示するという実験的なイベントにクリエイターの1人として声をかけられた。その際に作ったゲームが以下になる。
私はこれまでの経験を活かし、1ヶ月の期間(しかも仕事しながらなので土日だけの時間を使って)で余裕をもって完成させられるシンプルなシステムで、しっかりと本番までにブラッシュアップの時間も取り、自他ともに満足の行く作品を仕上げることができた。
……かに思えたのだが、それでもなお、本番の展示中に問題があれこれと噴出する。わかってはいたが、デバッグまではさすがに時間が足りなかった。一体何がそんなに大変なのか?想像がつかない人は以下の記事を読んでほしい。「うわーーーーー」という気持ちを一緒に味わおう。
たしかに問題は出たが、致命的とまではならず、イベントとしても作品としても良いものになったと思う。
破滅せずにゲーム開発を続けるために
ゲーム開発に潜む様々なリスクを見てきた。それらは計画に対して多少の誤差ではなく、破滅的な結果に繋がるリスクを抱えている。
だからゲーム制作なんか止めろ……という話では、もちろんない。
本当に何も知らない初心者や学生のうちは、とにかく手を動かして作ってみて「全然完成しなかった」「制作メンバーが逃げた」などの手痛い経験をしながら成長するのもアリだろう。既に実績や経験のあるお馴染みのシステムや構造の中で自分なりの表現をするのも手だ。
問題は、その挑戦を大きくして、人生や社運をかける、といった時にどうやってリスクと向き合うかだ。
世の中に残る「物語」というのは生存バイアスがかかり、これが売れなかったら終わるという中で大成功した作品の事例が流通している。FF、ポケモン、風ノ旅ビトなどを生み出したクリエイターの物語は非常に魅力的だ。それは確かに可能性としては存在するが、その背後には結果として報われず物語として残ることもなかった、無数の語られざる失敗がある。
そうした際に、「破滅」を免れるような準備と覚悟だけはしておこう。インディーゲーム開発に対するアドバイスを聞いても、基本的には「無計画に学業や仕事を辞めない」ということが頻繁に言及されている。こうしたアドバイスは真剣に受け止めたほうが良い(というか、そう言っておかないと誰もあなたの人生の責任は取れない)。
ゲーム開発に2年、4年かかるのはまだ「普通」で、以下のように「15年」かかったという作品もある。そんな場合でも、本業が別にあり、それと並行して続けられていれば、完成までこぎ着ける可能性がある。
この記事で『ASTLIBRA Revision』のクリエイター、KEIZO氏が語っていることは、今にして思えば「同じ作業を、できればまとめてやること」など、Small Things戦略をうまく自分のゲーム制作作業の中に見つけて効率化していることなどが伺える。
狂気が生む戦略的虚偽表明
以上、リスクだらけのゲーム開発をいかに「まともに」やるか、という、「正しい」作り方の話をしてきた。
最後に、無責任ながらも、「正しくない」作り方の話もしたい。それは狂気の沙汰と言っても良い。
私のこれまでの大小さまざまなゲーム開発の経験と、本書のようなメガプロジェクト研究の知見どちらもが、「まともに」考えたらリスクは非常に高く、十分に対策して安全に挑むべきだ、と警告している。それが本稿の主題である。
じゃあ「まともに」考えたら良いゲームが生まれるのか?確率的には、そうだ。データと経験がそれを示している。だからまともにやれ、というアドバイスにはエビデンスによって責任を持てる。
しかし世の中には狂気によってしか生まれなかったであろう傑作というものがあり、得てしてそういうものの方が物語としても魅力的で後世に残ったりする。そうした作家がどれほど過酷な目にあっても、残酷な世界はそれを求めているかもしれない。そういうものは、まともにリスクを小さくしようと考えていたら、生まれないかもしれない。
だからこれはロマンの物語であって、データからのアドバイスじゃない。信じるか信じないかの問題だ。この話を聞いてもなお、自分の想像するゲームが歴史に残ると信じられるのなら、私はそれを止めないし、責任も持たない(いや、もとより他人の人生に責任なんか持っちゃいないが)。
自分は学生時代に全身全霊をかけて作っていたゲームがあり、これも結局、3,4年で作ろうと思っていたものが、結果的に”完成”して公開できたのは社会人になってから数年後で、実際は5,6年かかったという経験がある。
社会人は学生と違って、余暇時間も少ないし、親による庇護も無いため挑戦にはリスクが伴う。だからどうしても仕事を優先し、その中で細々と作り続けるしかない。結果として、もう何年前に作り始めたか思い出したくないレベルの最新作について、私は常に「リリース時期は絶対に明言しない」というスタンスを貫いてきた。これはある種の積極的な予測修正であり、何年かかろうが諦めるつもりはない、という気持ちの現れでもある。その間、仕事と家庭の両立、鬱やコロナ禍などのリスクに晒され、思ったようには進まなかった。予測が難しいのは当然、という「まともな」考えを持っているせいで、焦ることも諦めることもしなかった。
それは「正しい」のだろうか。
これは自分の心の奥底にずっとあったことなので、書いていて辛いのだが。私はたしかに破滅を免れているし、順調に貯金も出来ているし、一応少しずつ進んではいるし、精神的にもまだまだこれから作ろうという気持ちがあり続けている。健康的だと思う。だが、健康と引き換えに失っているものもあるだろう。「健康や命に代わるものは無い」と、破滅的な人生を送る人になら誰でも言うだろうが、健康でいるだけでは、見限られてしまった人や、時代に取り残されたデザインなどは取り返しがつかないかもしれない。そういう事を申し訳なく感じている。
時に、自分に嘘をつくことも必要だ。
書籍BIG THINGSでは、それは「戦略的虚偽表明」と呼ばれる。つまり、何の保証もないのに「いつまでにできる」「いくらでできる」と自信満々に吹聴してプロジェクトを承認させ、あとの責任は取らないという行為が政治的にメリットがあるから蔓延ってしまう、というものだ。まともに考えたら避けるべき欺瞞だ。
だが、自分に対して戦略的に虚偽表明をすることは、(迷惑をかけなければ)罪ではない。自分はできる。自分ならできる。嘘であろうとそうやって前に進んだほうが、(泥沼に陥ったとしても)報われるかもしれない。ゲーム開発は(原子力発電所や巨大な鉄道建設などと違って)完全な形でなくとも人は死なないし、価値はゼロじゃないという利点がある。
私が学生時代に3年で作ると思って6年かかったプロジェクトも、本当は全3ステージの構想が1ステージしか出来なかったから、実質2倍どころか6倍のコストが見積もれていなかった。それでも、1ステージだけでそれなりに作品の価値を伝えることはできた。
こうした部分的失敗、不完全な形での公開を受け入れるなら、嘘であれできると言い張ることの価値はマイナスやゼロではないだろう。だからとにかく、嘘にせよ勘違いにせよ、信じることが大事だ。
最後に書籍BIG THINGSから、伝記の執筆に1年かけるつもりが5年以上かかって絶望している作家が、尊敬する作家に出会って救われた話を引用しておく。ゲーム開発でも似たようなものだ。4年かけて完成しなくて絶望するのはまだ早いかもしれない。5年、10年、15年と作る人もいる。その価値を疑わない限り、諦めるのはまだ早い。
カロは7年後にようやく伝記を完成させ、それはピューリッツァー賞を受賞し、彼の想像を超えるベストセラーとなった。
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