2011年3月11日 私はニュージーランドにいました 〜1〜

いつもは仕事のことなどを書いているgeeezですが、今日はちょっと思い出話をしようと思います。

暇なときにでも読んで頂けると幸いですm(_ _)m

2011年から2012年にかけて、私はニュージーランドに留学していました。なぜニュージーランドかというと、名目上は東南アジア研究ということでしたが、本当の理由はただただ日本を出てのんびりしたかった。心の底から解放感を味わいたかった。これに尽きます。

それもオークランドやウェリントンではなく、ダニーデンというほぼ南端の学生街を選びました。今思うと、とにかく今いる社会や人生から逃げだしたかったのかもしれません。

私がダニーデンに着いたのは、2011年2月14日でした。それから1週間後の2月22日に中部の都市クライストチャーチで大きな地震がありました。日本では忘れ去られているように思えますが、日本人の死者も出ました。

そして2011年3月11日のあの忌まわしい出来事を、私はシェアハウスのテレビで知りました。向こうでも速報で大々的に報じられていて、ルームメイトが「look! earthquake in Japan!」(確かこんな感じ)と叫んでいるのが聞こえて、テレビの前に行ってみると、画面の中では東北の津波の様子が流されていました。しかしこのとき私は、クライストチャーチのことがあったせいか地震に対して変な免疫がついていて、あまり驚きませんでした。「まぁ日本は地震が多いからねー」とルームメイトに軽く言っていたのを覚えています。

よく考えるとおかしいのです。そのときは、地震の速報でどうして海岸が映されているんだと思っていました。私は状況を理解できていませんでした。波に飲み込まれる街を見て、「海岸沿いは危ないなー」などと思っていました。でもそれは海岸ではなく、人々が生活している街でした。

その後、日本では一つの大きなテーマとなっていた「絆」を、私は共感することがありませんでした。今でも、どこか他人事な自分がいます。肌感覚でこの出来事のすごさ、恐ろしさを知らないのです。1年間のニュージーランド生活を経て、日本人としてのアイデンティティーを喪失したような気持ちです。

このアイデンティティーの喪失感は、帰国後に加速していきます。そのことは、また後日書こうと思います。

ここまでお読み頂きありがとうございました。