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M-452 カマトギ半面

石膏像サイズ: H.25×W.18×D.13cm(原作サイズ)
制作年代  : 紀元前1世紀頃(原作は古代ギリシャ・ヘレニズム期)
収蔵美術館 : フィレンツェ・ウフィッツィ美術館
出土地・年 : ローマ 16世紀前半

古代ギリシャ神話に登場する、「アポロンとマルシュアス」のエピソードに関連する彫像です。この半面のオリジナル全身像は、アポロンの命に従って、マルシュアスの皮を剥ぐための鎌を研いでいる人物(“奴隷”とする資料もあり)の彫刻で「鎌を研ぐ人The Glinder(伊:Arrotino)」と呼ばれています。

発掘された大理石の全身像は、16世紀前半にはローマのファルネーゼ家のヴィラに存在していたことが記録に残っています。その後、ルネサンス期に再整備されたローマのアウグストゥス霊廟の装飾として使用された後、トスカーナ大公だったフェルディナンド・デ・メディチへと売却され、ローマのヴィラ・メディチに展示されました。18世紀になると、フィレンツェのメディチ家コレクションへと移動され、その後ウフィッツィ美術館の収蔵品となりました。

発掘当初は、マルシュアスとの関連では語られず、「スキタイ人(イラン系の遊牧騎馬民族)の像」とされたり、単なる「理髪師」、「体制への謀反の計画に耳をそばだてる執事」であるなどと解釈されていたようです。17世紀になると、Leonardo Agostiniなどが他の古代ギリシャ・ローマのレリーフの図像などと照らして、マルシュアスをめぐる物語との関連性を指摘するようになり、この彫像の評価が定まるようになりました(1669年)。

古代ギリシャ神話の「ペルセウスがメデューサの首を取る」冒険譚は有名ですが、この冒険のときペルセウスはアテナに協力してもらったため、成果物のメデューサの首をアテナに献上しました(アテナ神の盾にその首がはめ込まれた)。するとメデューサの死を悲しむ姉妹のゴルゴンたちの嘆きの声がアテナの耳に聞こえてきて、その嘆き声の音に触発されてアテナは笛を作りました。さっそくその笛を他の神々の前で演奏してみたところ、笛を吹くたびに膨らむ頬がみっともないと言われてしまい、落胆したアテナは拾ったものに災いが降りかかるように呪いをかけてその笛を捨ててしまいます。この笛(アウロスというダブルリードの二本管の木管楽器)を拾ったのが”マルシュアス”という名のサテュロス(サタイア サテュロスは半人半獣の精霊で、ディオニソスの子分的な位置づけの連中です。いたずら好きで小心者、破壊的であり臆病、酒と女と美少年が大好きという”自由”を象徴するキャラクター)。

その後、マルシュアスは独学で笛の腕前を上げ、アポロンのキタラー(竪琴)にも勝るという評判を得ます。この話がアポロンの耳に入り、二人は音楽の腕比べをすることになり、勝者は敗者に対して何をしても良いという条件で勝負がスタートしました。マルシュアスの笛の音は素晴らしいものだったのですが、音楽の神であるアポロンにかなうはずもありません。最終的にマルシュアスは負けてしまい(一説には、アポロンは竪琴を上下さかさまにして上手に弾きこなし、マルシュアスに対しても笛を上下さかさまにして吹くよう迫ったため、マルシュアスの敗北が決まった)、神に対して挑戦したことは許されないとして、アポロンはマルシュアスを逆さに吊るして、生きたまま皮を剥いでしまったというエピソードです。

ドイツの哲学者ニーチェは”悲劇の誕生”という著作の中で、人間の持つ相反する性質をこの二人になぞらえて説明しています。理性=アポロン的、情動=ディオニソス的(サテュロスはディオニソスの子分)という捕らえ方をしていて、”理性(原理・原則)”に支配されて生きるアポロンと、”情動”に忠実に自由に享楽的に生きるディオニソスが、人間の中にはそれぞれに息づいているという考察がなされています。

ウフィッツィ美術館収蔵 「カマトギ像」 紀元前1世紀頃 石膏像の原形
(写真はWikimedia commonsより)


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