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天皇の行方第十一章

著:GeArmy888



十一 国体護持の必要性


千八百九十八年、アメリカはスペインと戦争を起こす。当時スペインの
植民地だったフィリピンは「独立させてやる」というアメリカの甘い言葉
により、スペイン軍と戦った。だが、スペイン降伏後、アメリカは
フィリピンを植民地にする。フィリピン人は抵抗したが、
ダグラス・マッカーサーの父であるアーサー・マッカーサーが総指揮をし、現地住民六十万人を殺害。アメリカがフィリピンを侵略したときの合言葉は
「唯一の良いフィリピン人は死んだやつだ。」
だった。これは
「唯一の良いインディアンは死んだインディアンだ」
から受け継がれた言葉であり、アメリカ人はインディアン征服以来、
有色人種を殺し、領土を広げることを
「マニフェスト・ディスティニー(明白なる天命)」と言い、それが正義だと
信じていた。そして、大東亜戦争がはじまると米兵の合言葉は
「唯一の良いジャップは死んだジャップだ」
となった。この種の言葉がドイツに向けられることはなかった。
実際、米兵に配られた戦意高揚バッジにはドイツに対しては
ヒトラーの写真と、「指名手配の殺人犯」という文字が書かれ、
日本に対しては、サルの写真と「日本人狩猟許可証永久有効」という
文字が書かれた。


日本人狩猟許可証 ※写真は猿ではなくスカンク


そして、ルーズベルト大統領は日本の「無条件降伏」を
求めると公言していた。もし、本当に無条件降伏をしたら、日本人は奴隷化
され、抵抗すれば強制収容所に送られ、拷問虐殺されるかもしれない。
天皇は殺され、伊勢神宮には巨大な戦勝モニュメントが建てられ、三種の神器はアメリカの博物館で好奇の目にさらされるかもしれない。
日本の文化は奪われ、日本は消滅するかもしれない。当時の日本人がこう考えたのは当然である。実際にアメリカはそういうことをしてきた国だからである。その後、ルーズベルト大統領が急死、トルーマン副大統領が
大統領に昇格したが、「日本無条件降伏」という目標は変わらなかった。
一方知日派のグルー率いる米国務省は降伏勧告草案を起草。
七月二十六日に発表されたポツダム宣言はほぼその草案通りになった。
そこには「我らは日本人を民族として、奴隷化せんとし、または、国民
として滅亡せしめんとするの意思を有するものにあらざる。」
という一文があり、日本人の虐殺や奴隷化は回避された。しかし、
トルーマンはグルーの草案から、最も重要な「降伏後に樹立される
日本政府について『現在の皇室の下での立憲君主制も含まれよう』」
という部分を削除していた。これがなければ天皇を中心とする
二千年来の国家体制が消滅し、共和制に変えられるかもしれなかった。
この「天皇を中心とする二千年来の国家体制」のことを「国体・国柄」
という。そして、米国は七月一六日に原爆実験を成功させた。
トルーマン大統領はなんとしても原爆投下を実行したかったのである。
プルトニウム型とウラン濃縮型の二種類の人体実験が必要であったし、
第二次世界大戦後のソ連に力の差を見せつけておく必要があったので
ある。そのため、米国は広島・長崎に原爆を投下、ソ連は日本に宣戦布告
したのである。八月九日〜翌日未明にかけてポツダム宣言受諾をめぐる
御前会議が開かれたが会議は紛糾し、結論はでなかった。そこで異例の
ことではあるが天皇の聖断を仰ぐことになった。昭和天皇は言った。
「それならば私の意見を言おう。私は外務大臣の意見に賛成である。
空襲は激化しており、これ以上国民を塗炭の苦しみに陥れ、文化を破壊し
世界人類の不幸を招くのは、私の欲していないところである。私の任務は
祖先から受け継いだ日本という国を子孫に伝えることである。
今となってはひとりでも多く国民に生き残っていてもらって、そのひとたちに将来ふたたび起ちあがってもらうほか道はない。もちろん忠勇なる軍隊を武装解除し、また、昨日まで忠勤をはげんでくれたものを戦争犯罪人として処罰するのは情において忍び難いものがある。しかし、今日は
忍び難きを忍ばねばならぬときと思う。明治天皇の三国干渉の際の
お心持ちを偲び奉り、私は涙をのんでポツダム宣言受諾に賛成する。」
ここで注目スべきは昭和天皇が自分の身について一切語っていない
ことである。後に昭和天皇は「『国民』と『三種の神器』のうちどちらを
優先するかという選択では『大御宝』である国民が第一である。」
と明確に語っておられた。そして、いずれの場合も自分自身の身は
考えていないのである。現在、まがりなりにも「日本」という国が存在し、
我々が平和に暮らせているのはあのとき、どんな犠牲を払っても、
天皇を守ったからである。大統領や独裁者、一党独裁体制のように
一人の人間や一つの組織に権威と権力を集中させてしまうよりも
日本のように、天皇と政府に、権威と権力を分散させるという「国体」
のほうが国民にとってリスクが少なく優れているのである。
私は命をかけて「国体」を護ってくれた先人たちに感謝している。
そして、我々は見事なバランス感覚としての「国体」を子孫に
継承していく必要があるのだ。


次回、終章「天皇の行方」
御清覧いただきありがとうございました。

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