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インタビュー記事(前半)~湖南市移住まで~


社会人の時の決まりきったルーティンな生活や良い意味でイレギュラーが起きない毎日が苦痛だった。

そう話すのは、【誰かの日常にポジティブなイレギュラーを起こす】をコンセプトに、「スープのある日常」という屋号でキッチンカーを営む大野さん。

愛媛県今治市で生まれ小・中学時代に2回の転校を経験。
転校のたびに受けたイジメや不登校を経験しクラスや部活に馴染めず、一時は引きこもりのように。

高校時代はサッカー部に所属。メンバーに恵まれ徐々に人間関係も良好になっていった。

大学進学を機に、大阪へ。
大学では学園祭の実行委員としてチームをまとめる中で、イベント企画の楽しさに目覚めるように。

「周りを楽しませたいというモチベーションが高いんだと思います。こんなことしたらもっと面白くなるんじゃないかなと考えるのが好き。設営部署の部長として、メンバーが過ごしやすい、作業しやすい空気づくりに取り組んでましたね。」

大学3年時には、「mixi(ミクシィ)」を通じて海外ボランティアメンバー募集記事と出会い、フィリピンへ。全国から集まった18〜40歳くらいの人と出会い、学校以外のコミュニティを開拓。

「フィリピンでの写真」

「いろんな年代の人たちと出会えたことが大きかったですね。18歳~40 歳ぐらいまで幅があって、それぞれが何かしらの想いを持って参加していた。参加したキッカケや日本でどんなことをしているかなど自分とは違う経験をしている人達の話を聞くのが刺激的だった。0からのコミュニティだったこともありフラットな感じで自分を出せて、言いたいことが言えて、直感と勢いで参加したけどほんとにいい経験でした。10年以上経ちましたが今でもメンバーとは近況を報告しあったりしています。ちなみに今の妻と出会ったのも、このボランティアがきっかけです(笑)」

この経験をきっかけに、さらに海外に興味を持つように。就活に対するイメージが湧かないことや、友人の影響もあり、大学を1年休学。お金を貯めて海外一人旅にチャレンジ。

「小さいときから周りの反応を気にしてばかりでした。迷惑をかけない方、周りの期待に応える方を無意識に選んでいました。なので海外一人旅は、自分で選ぶ初めてのチャレンジだったと思います。殻を破りたいみたいな気持ちもあった。ただ出発まではほんとに不安だらけでした」

「でも実際に行ってみたら、これまで様々なことに対して自分が高いハードルを想定しすぎていただけって気づいたんです。大体のことはなんとかったし海外で初めて泊まったゲストハウスでは、学生ながら起業を考えている人、仕事を一旦やめて夫婦で世界一周している人、大学に通っているだけでは出会えなかった人との出会いがたくさん待っていました」

「旅の写真@ラオス」

一人旅やゲストハウスでの出会いの魅力を知った大野さんは、帰国後は沖縄へ。3週間かけさまざまなゲストハウスを縦断。その後、7ヵ月のオーストラリアへの語学留学を経て、大学時代のアルバイト先の店長から声をかけられたことを機に、正社員としての就職を決める。

「声をかけてくれたのは、大学1回生のときからお世話になっていた人。仕事だけじゃなくプライベートまで踏み込んできてくれて相談に乗ってくれた。礼儀や挨拶といった社会性とか全部その人から学びましたね。身近にそんな存在の人がいてくれたことは、働く上で、とても大きな存在でした」

同時に、勤務時間やアルバイトの教育など、正社員ならではの課題にも直面。
就職し、最初の2、3年は必死に働いていたものの自分のやりたいことに向き合えていない葛藤や何かチャレンジしたいという漠然とした気持ちがあった。ただ声をかけてくれた人への恩や退職後のことを考えると、最後の一歩が踏み出せない。結婚したこともあり、仕事を続けたまま、月日が経過。

「子どもができた時のことをよく考えていました。でも、今子どもが産まれたら、仕事を辞められないんじゃないかって、圧を感じていたのも事実です。まずは転職…と思っている中で、妻の妊娠がわかりました」

そこで初めて出てきたのが『移住』という言葉。長野や静岡、広島の尾道など、日本各地に足を運び、移住先を検討。

出産を控えた奥様は、実家のある滋賀県湖南市へ。週1のペースで足を運ぶようになり、偶然出会ったのがNCL湖南の近藤さんご夫妻だった。

クラウドファンディングにチャレンジしている時の写真
まるとしかく

湖南市でゲストハウスを始めようとしている人がいる!

地域おこし協力隊のこと、近藤さんご夫妻も熱海から移住してきたこと。「ケンちゃんも入っちゃいなよ」と初対面で誘われたこと。驚きつつもNCL湖南の募集要項を早速調べることに。

「初めて、ここ人生の分岐点だな、と感じましたね。ここでチャレンジ出来ないともう次はないなって思いました。覚悟を決めて焼肉店を続けるか、退職して自分がやりたいと思うことを突き詰めていくか」

最終的に、大野さんはNCL湖南への応募を決意。焼肉店の店長自身も、大野さんが悩んでいたことには気づいていたといいます。店長さんも妻帯者であり、家族や子どものことで悩んだこともあったそう。だからこそ、背中を押してくれ、今も良好な関係が続いている。

後半へ続く→

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