”クーデター・陰謀”への憧れ-戦後日本受験戦士たちの浮世離れ ~私のベトナム備忘録😅~

 最近メディアを賑わしている『兵庫県斎藤元彦知事』の辞任問題。。
 私は、興味津々でかなり初期の頃からYou Tubeで動画を見て来てますが、最近、おおっと思う『ワード』が飛び出しました。。それが、『クーデター』。。(笑)🤣🤣🤣

 動画の冒頭、1:30位から、『クーデター』、『革命』、『転覆』etcなどのパワー・ワード満載で久々に動画見て大笑いしました。。

 多分、日本で普通に会社務めしていれば、職場でこんな言葉を耳にするチャンスは人生で殆ど無いのかも知れませんが、私は20代からベトナムで越語を話す現地社員として在ベトナム日系企業で働いた特殊環境からか、このパワー・ワードは直接何度も耳にし、そして実際に新旧CEOらによる違法人事異動のドタバタ劇、違法解雇劇、いじめ、セクハラ、モラハラ、隠蔽工作、、、を度々経験した為、いつも腹の中でこう思っていました。⇩

 「一体、どうして日本のおっさん連中は、クーデター、革命、転覆、、がこんなにも好きなんだろうか・・・。」と。。。

 以前ここ⇒ベトナム・マクロビオティックの夜明け ~ 櫻澤如一氏の仏領インドシナ訪問と不思議な体験の話 ~にも少し書きました、ある時期働いていた日系企業で実際に遭った不可思議な解雇劇。
 非常に人気のあった前任CEOの後任として他のアジア支店から赴任して来た新CEO。。引っ越し荷物は『陰謀論』とか『半沢直樹』等の文庫本がうず高く積まれており、やはり嫌な予感は的中します。。
 ベトナム人は優秀なので、もし新任CEOがパッとしなければ、すぐに意識外に置いてしまう。要するに、更に今まで以上に自由勝手に仕事してしまうので🤣🤣、新任CEOの疎外感・孤独感はどうしても現地の日本人社員へ向けられます、『太鼓持ち』の仲良し日本人グループの誕生です、当然ですよね。日本本社は距離が離れて見えにくいから質が悪い、でも彼等自身も『しがないサラリーマン人生で短い海外ボーナス期間』だと割り切っている確信犯も多かった。。。
 さて、詳細は省きますが、私は飄々とした風貌と、空気が読めない鈍感力、そして上司の顔色が気にならないという日本会社員にとってあるまじき『大欠点』😅😅があり、、、結局最後に一方的な雇用契約解除に遭うの巻、の目に何度も遭わされました。
 不思議ですけど、いつも契約解除理由に必ず”ベトナム人社員の背後で『クーデター』やら『転覆』を謀り会社に損害を与えようとした疑い”を匂わされました。。笑えますけど、本当の話です。😂😂😅

 本当に不思議ですけど、私はよくよく考えて今はこのような仮説を持つに至りました。⇩
 私は、人生は『職を失っても何ら困らない。休めて嬉しい。』という大前提で生きてますが、それがどうしても日本人CEO達には理解されないで、彼等にとっては『理解不能な人』=『不気味な人』という印象⇒『不気味』⇒『陰謀・クーデター』と連想でワードが繋がって行くんだと思います。案外、これは真相を付いているような気がしています。

 では、さてここで、そもそも『クーデター』とは何ぞや???ですケド、 良い文章がありますので、下記に引用したいと思います。
 我らが北一輝先生の『日本改造法案大綱』から。(現代語に意訳)⇩
 

註2、「クーデター」を保守専制のための権力乱用と速断する者は、歴史を無視する者である。ナポレオンが保守的分子と妥協しなかった純革命的時代に於いて、「クーデター」は議会と新聞の大多数が王朝政治を復活しようとする分子に満ちていた時代に、革命遂行の唯一の道程として行いたるものを指す。又現時のロシア革命に於いて、「レーニン」が妨害的勢力の充満する議会に機関銃を向けて、議会を解散した事例に見ても、「クーデター」を保守的権力者の所為と考えるは甚だしき俗見である。

北一輝氏著『日本改造法案大綱 巻一 国民の天皇』より

 、、では、これを兵庫県知事問題に当てはめたいと思います。彼等の言い分から、ポジションを整理すると、⇩
 兵庫県現知事(斎藤知事)派=改革派
 県議会・その他(旧知事)=保守派(=旧王朝政治派)

 その前提で、北一輝氏の上記の言葉を当てはめます、
 *「クーデター」を保守専制目的の権力乱用と速断する者は歴史を無視する者である。
 *「クーデター」は、議会と新聞の大多数が王朝政治復活を画策した時代の、革命遂行の唯一の道。  
 *「クーデター」を保守的権力者の行動と考えるは馬鹿馬鹿しい話。

 。。。北一輝氏がもし生きていれば、、今の兵庫県騒動は、、、 
 片山元副知事は歴史を無視する奴で、『クーデター』なんて時代錯誤言葉をメールで発見して興奮し、旧知事派がやったとかなんとか、実に馬鹿馬鹿しい。。。 

 と言うんでしょうかね、多分。。😅
 いやー、それでも皆さん難関高校から難関大学を出たエリート官僚でええ歳したおっさんが何人も集まって、何でそうなっちゃうのかなぁ、、??😣😣😣と、実に不思議ですが、😅😅😂
 北一輝氏は、巻頭の凡例の中で、この様にも言ってます。⇩  

…20世紀の人類は、聡明と情意を増進し、「然り然り」「否な否な」の曖昧な言葉で事足りる者であってはならない。現代世界三大発明の中、火薬が人類を殺すよりも、メディアの害毒が全世界の頭脳を蝕み腐乱させ尽している。その為に、簡単な一事一物であっても、無意味な愚論が無くては理解ができなくなっている現代人の幼態は、阿片中毒者と会話する様な状態だ。…

 『日本改造法案大綱』の日付は大正12(1923)年5月です。。なんと100年も前。。💦💦
 現代人は、無意識・無自覚の『メディア中毒病』にはくれぐれも注意しましょう。。😭😭😭 高学歴でも逃れられない、否、『重病・手遅れ』の可能性もアリ。。。

 しかし、動画の中で、常に質問者の質問の意味を無視して自論のみを展開する兵庫県斎藤元彦知事を見ていると、やっぱり頭がいいのかなと思ったりします。何故なら、ブラウン管の向こうに居る私達一般人は所詮、「簡単な一事一物であっても、無意味な愚論が無くては理解ができなくなっている幼態」だと見做して、「阿片中毒者と会話する様」に話してるのかも。
 何か、そんな感じがしますよね。。😂😂

 しかし、そんなパフォーマンスも、日本の中に於いて目下の日本人にしか通じない。。。
 1945年4月成立のベトナム独立政権首相だったチャン・チョン・キム回顧録『一陣の埃風』に、日本軍にシンガポールへ連れて行かれた時のこんな文章があります。⇩ 

…サイゴンに居た時に、ベトナム南部人の政客2人が昭南島へ渡ったと聞いていたので、 船が着岸した時に誰かベトナム人が迎えに来ていないか首を伸ばして見渡して見た。しかし結局誰も見当たらずがっかりし、その代わりに秘密めいた態度の日本人らに囲まれた。どこへ連れて行くのかと質問したが、彼等は何も答えない。(中略)あちらへ行きこちらへ行きして、やがてグラム・ロードにある『国際富士兵站ホテル』に到着した。ここで何よりも嬉しかったのは、話に聞いていた2人の同志鄧文記 (ダン・バン・キ)氏と陳文安(チャン・バン・アン)氏に会えたことだ。遠い異郷にあり異国語 の環境の中で、同郷人に出会い語り合えて、いくら語っても尽きない程に嬉しかった。

  秘密めいた態度の日本人・・・(笑)言い得て妙。。。いつでもどこでも『陰謀好き』だったんだなぁ、、と判ってちょっとほっこりしました。

 「同郷人に出会い語り合えて、いくら語っても尽きない程に嬉しかった。」と書いてありますけど、多分、この時は周囲にベトナム語が通じないから、大声で思いっきりこんな話してたんじゃないかと思います。⇩

 ”チョーイ・オーイ!!あの日本人達の歌舞伎役者張りの態度見たか~、何であいつらいつもあんなに芝居がかってるんだろうな~!!”
 

 隣に立ってた日本人中尉や大佐など、ベトナム語が判らないから困った顔してたんじゃないかな~。ベトナム在住の長い私の単なる想像です。。🤣🤣🤣


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