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第1回「時間が経てば経つほど、見えないものが見えてくる」(文=橋本倫史)

昭和の世田谷を写した8ミリフィルムの映像を手がかりに、“わたしたちの現在地”をさぐるロスジェネ世代の余暇活動「サンデー・インタビュアーズ」。月に1度オンラインで集い〈みる〉〈はなす〉〈きく〉に取り組みます。2022年度に公募で集まったメンバー6名による活動記録。ライターの橋本倫史さんのドキュメントです。

連載第1回(全9回)

わたしたちは今、どんな時代を生きているのだろう。

ニュースに触れると、今起こっている出来事を知ることができる。でも、それだけでは今という時代に触れることはできないだろう。月日が流れ、歴史として振り返ったときにはじめて、見えてくるものがある。

去年の夏のニュースを見返すと、オリンピック一色で埋め尽くされている。開会式が開催された翌日、2021年7月24日のニュースであれば、国立競技場周辺に大勢の人が集まっていることが報じられ、空を飛ぶブルーインパルスに大勢の人がカメラを向ける様子が記録されている。この映像を──あるいはそこに集まった誰かが撮影した映像を数十年後に見返すと、今とはきっと違う発見があるのだろう。

わたしたちは、どんな時代を生きているのか──そんな問いを探求するプロジェクトがサンデー・インタビュアーズだ。月に一度、オンラインで集まり、「今」という時代と出会い直す。その手立てとなるのが、世田谷の各家庭から提供された8ミリフィルムだ。

サンデー・インタビュアーズの活動は、3つのステップから成る。ひとつめは、「ひとりで“みる”」。公募によって集まった参加者たちはまず、課題となる8ミリフィルムの映像を見て、気になるポイントをピックアップする。そのポイントは何分何秒に映っているか、タイムコードを書き出しておいて、ワークショップの時に「みんなで“はなす”」。これがふたつめのステップである。

2022年7月24日。今年で4年目を迎えるサンデー・インタビュアーズの、最初のワークショップが開催された。

課題に選ばれた映像は、No.31「東京転勤」。参加者のひとり、アキさんがタイムコードを切ったポイントのひとつは01:56。洗濯物が映し出されている場面だ。

01:56

「いちばん気になったのは、洗濯物を干していた風景で。映像の中で、ロープに洗濯物の袖を通して干しているんですけど、そういえば昔はそういう干し方をしていたなってことを、この映像を観て思い出したんです。うちの実家の物干しも、ロープが5、6本引き渡されていて、ハンガーとかほとんど使っていなかったよな、と。それと──以前、1930年代のことを調べたことがあるんですが、写真家の木村伊兵衛が花王石鹸の広告写真を担当したときに使われた写真が、洗濯物が風にはためいている風景だったと思うんです。そこから日本の写真の全盛時代が始まっていくんですけど、その最初に出てきたのが洗濯物だったというのも面白いなと思いました」

洗濯物がはためく物干し台の様子は、どこか郷愁をそそる。映像の中に映し出されている、原っぱの向こうに洗濯物が干されてある光景もまた、郷愁をそそる。まだ生まれてもいない時代の光景に懐かしさをおぼえるのは、写真や映像を通じて醸成されたイメージが普遍的なものとなり、時代の記憶として後の世代であるわたしたちにまで共有されているからだろう。

アキさんの次に発表したまるやまたつやさんがタイムコードを切った箇所のひとつも、洗濯物が映っている場面だ。

「この映像を観たときに、洗濯物が大っぴらに干してあるというのが、今の感覚からすると新鮮だなと感じました」とまるやまさん。「映っているのは色が白いものばかりに見えるんですけど、どこまでを外に干して、どこまで家の中で干していたのか、そういう選別があったのかが気になりました。洗濯物を通して、内と外の感覚みたいなものが見えるんじゃないか、と」

まるやまさんの話を聞いて思い出されたのは、三重県名張市の赤目四十八滝の近くにあるドライブインを取材したときのこと。名阪国道が開通したことで赤目四十八滝までのアクセスが格段によくなった上に、モータリゼーションが進んだことで、1960年代になると多くの観光客がドライブインを訪れるようになったのだと、店主は聞かせてくれた。当時は今のようにコンビニなどなかった時代。観光にやってきた家族連れが、「子供が水遊びをして濡れてしまったから」と、物干し台にある子供用のパンツを売ってくれないかと言ってきたことさえあったと、店主は懐かしそうに振り返っていた。

今の時代だと、観光客の目につきやすい場所に洗濯物は干さないだろう。観光客の側でも、いくら予定外に濡らしてしまったとはいえ、他人の洗濯物を「売ってくれ」とは言い出さないだろう。

時代とともに、感覚は少しずつ変わってゆく。

「東京転勤」とタイトルがつけられた映像が撮影されたのは、昭和36年8月のこと。それまで福岡県大牟田市に暮らしていた家族が、父親の転勤によって上京する様子を収めた8ミリフィルムだ。

映像は、家族が縁側に佇んでいるところから始まる。引っ越し前のふとした瞬間なのだろうか、姉妹のひとりは母親の髪を結って遊んでいる。場面が切り替わり、今度は玄関が映し出される。いよいよ引っ越しとなり、家族が門から出ていく様子が記録されている。

「わたしも福岡出身で、仕事で東京と福岡を行ったり来たりする父親のもとで育ったので、すごく親近感を持ちました」。3人目に発表したたにぐちひろきさんはそう語る。「タイムコードで言うと、00:30のところ──家を出ていくシーンですね。この映像を見ると、門があるような立派なお屋敷だったのかなと思いました。この家族が住んでいた大牟田は、大きな炭鉱があって経済的に栄えていた街だったので、ひょっとしたら当時の世田谷よりも都会だったのかもしれないな、と。引っ越しのとき、家族がちゃんとした格好をしているのは、そういうところから来ているのかもしれないなと思いました」

00:30

大牟田は三池炭鉱で栄えた街で、最盛期には20万人が暮らしていた。サンデー・インタビュアーズ事務局によると、たにぐちさんが想像した通り、映像提供者の父は鉱山関係の要職に就いていたという。

「東京転勤」の映像を見て、気になるポイントとして多くの参加者が口にしたのは、上京する家族の服装だ。

いよいよ上京するという日に、お父さんはスーツ姿で、娘たちはワンピースを身に纏っている。「こんなふうに正装のような格好をするのは、引越しというイベントが今以上に特別な感じだったのかなと思いました」と、まるやまさんは指摘する。あるいは、小島和子さんからは「今でしたら、引っ越しが“ハレ”とは限らないと思うんですけど、この時代は“ハレ”と“ケ”の区分がすごくしっかりしていたのかなと思いました」という指摘もあった。

220万部のベストセラーとなったリリー・フランキーさんの小説『東京タワー』にも、上京シーンが登場する。

主人公の「ボク」の母は、炭鉱のある町に生まれ育った。小さい頃は「炭鉱が栄え、人と活気と希望が溢れていた」が、今や「炭坑は閉山になり」、「人々はこの町を離れ、もうあの頃の輝きはこの町のどこにもない」。そんな町で還暦を迎え、癌になった母を、「ボク」は東京に呼び、一緒に暮らすことに決める。

オカンが上京してきた日。ボクは東京駅のホームでオカンを運んでくる新幹線を待っていた。見慣れたこの駅のホーム。ボクはもうこの街に十二年住んでいる。いつの間にか、どの土地よりも長くここにいる。
今までいろんな駅のホームでボクはオカンに見送られながら列車に乗り込んできた。でも、今はオカンを迎えるために東京駅のホームにいる。春夏秋冬同じ景色のこのホームにひかり号が滑り込んでくると、スーツを着た乗客の谷間から首にスカーフを巻いて、胸にブローチを付けた背の低いオカンが小さなボストンバッグを提げて降りてきた。

リリー・フランキー『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

首にスカーフを巻いて、胸にブローチをつける。

そんなふうにおめかししたのは、新幹線に乗って上京するも多少は影響したのだろう。ただ、「オカン」にとってはそもそも、「外に出る」ということが特別だったのだと思う。リリーさんは以前、ある対談の中で、「オカン」はマンションの1階にあるスーパーマーケットに買い物に行くだけでも、わざわざピエロのブローチをつけていたと語っていた。スーパーに行くだけでも、オカンにとっては“ハレ”の時間だったのだろう。

そう考えると、「東京転勤」の冒頭で、小さな女の子が「お母さん」の髪を結おうとしている姿も、味わい深く思えてくる。その女の子にとっても、家族揃ってどこかに出かけるというのは特別な時間で、その高揚感から「お母さん」の髪を結おうとしていたのだろう。

00:12

しかし──その女性は、本当に「お母さん」なのだろうか?

そんな疑問が一気に浮上したのは、最後の発表者となったaki maedaさんの発言がきっかけだった。

「この映像を見て、時系列が気になったんです。女の子が髪を結っている最初の場面と、そのあと家族揃って家を出ていく場面って、時系列として繋がっているのかわからなくて。髪を結われている女性は、皆さんの話を聞いてたらお母さんなのかなと思ったんですけど、00:28あたりを見ると──」

「たしかに、言われてみると、00:35に映ってるお母さんは、全然違う髪型をしてますね」。サンデー・インタビュアーズを主催するAHA! [Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]の世話人・松本篤さんが不思議そうに言う。

「だとしたら、髪を結われていたのは、お手伝いさんみたいな方ですかね?」と小島さん。

「そう、かなあと思ったんですよね」とmaedaさん。「もし映像の時系列が繋がっているんだとしたら、お母さんの支度を待っているあいだ、こどもたちがお手伝いさんの髪を結って遊んでたのかなって、勝手に思っちゃいました」

00:35

世田谷クロニクル1936-83には、84本の映像がある。松本篤さんや、サンデー・インタビュアーズ事務局の水野雄太さんは、それらの映像を何度も見たことがあるし、過去のサンデー・インタビュアーズでも「東京転勤」を課題に選んだこともあった。ただ、映像の冒頭で髪を結われている女性が一体誰なのかと考えたことはなかったという。

「何回も見てるはずなんですけど、言われてみて初めて気づきました。この映像は時系列が繋がっているのか──映像を提供してくださった方も、当時はまだ小さかったから、おぼえていらっしゃらないと思います。そういう意味では、時間が経てば経つほど風化するのもひとつ事実だと思いますけど、時間が経てば経つほど、見えないものが見えてくるというのも一方の真なのかなと思いました」

誰かの視点に触れることで、気づかされることがある。

2022年度のサンデー・インタビュアーズを通じて、どんな時代が、今が、浮かび上がってくるだろう。


サンデー・インタビュアーズをめぐるドキュメント2022

第1回「時間が経てば経つほど、見えないものが見えてくる」
第2回「結婚の挨拶に行くと、びしっとスーツを決めていて
第3回「テーマを持って作品を作ろうという意識がおありなんだろうな
第4回「個人的なもののはずなのに社会的なことを考えてしまう
第5回「ボストンバッグに修正液でナイキのマークを描いていた
第6回「電子レンジがあるはずなんだけど、ないんだよね
第7回「手で牌を混ぜる音が1階まで聞こえていた
第8回「カメラを通して住んでいる環境と向き合える感じがあったんです
第9回「懐かしさを感じるために止まらないといけないのか」(最終回)

文=橋本倫史(はしもと・ともふみ)
1982年広島県生まれ。2007年『en-taxi』(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動をはじめる。同年にリトルマガジン『HB』を創刊。以降『hb paper』『SKETCHBOOK』『月刊ドライブイン』『不忍界隈』などいくつものリトルプレスを手がける。近著に『月刊ドライブイン』(筑摩書房、2019)『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社、2019)、『東京の古本屋』(本の雑誌社、2021)、『水納島再訪』(講談社、2022)。

サンデー・インタビュアーズ
昭和の世田谷を写した8ミリフィルムを手がかりに、“わたしたちの現在地” を探求するロスト・ジェネレーション世代による余暇活動。地域映像アーカイブ『世田谷クロニクル1936-83』上に公開されている84の映像を毎月ひとつずつ選んで、公募メンバー自身がメディア(媒介)となって、オンラインとオフラインをゆるやかにつなげていく3つのステップ《みる、はなす、きく》に取り組んでいます。本テキストは、オンライン上で行うワークショップ《STEP-2 みんなで“はなす”》部分で交わされた語りの記録です。サンデーインタビュアーズは「GAYA|移動する中心」*の一環として実施しています。
https://aha.ne.jp/si/

*「GAYA|移動する中心」は、昭和の世田谷をうつした8ミリフィルムのデジタルデータを活用し、映像を介した語りの場を創出するコミュニティ・アーカイブプロジェクト。映像の再生をきっかけに紡がれた個々の語りを拾い上げ、プロジェクトを共に動かす担い手づくりを目指し、東京アートポイント計画の一環として実施しています。

主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、公益財団法人せたがや文化財団 生活工房、特定非営利活動法人記録と表現とメディアのための組織[remo]