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第6回「電子レンジがあるはずなんだけど、ないんだよね」

昭和の世田谷を写した8ミリフィルムの映像を手がかりに、“わたしたちの現在地”をさぐるロスジェネ世代の余暇活動「サンデー・インタビュアーズ」。月に1度オンラインで集い〈みる〉〈はなす〉〈きく〉に取り組みます。2022年度に公募で集まったメンバー6名による活動記録。ライターの橋本倫史さんのドキュメントです。

連載第6回(全9回)

今から30年後に、2020年代を舞台にしたドラマが撮影されたとする。

ドラマを観たときに、その時代を知るわたしたちは、「このドラマはリアルだ」と感じるかもしれないし、それとは反対に、「このドラマはリアルじゃない」と感じる可能性もある。では、わたしたちは何に「リアル」を感じているのだろう?

「世田谷クロニクル1936-83」のNo.51『新幹線試乗』の映像を見て、aki maedaさんが連想したのは、ラッパーの狐火さんがYouTubeにアップされている「新幹線で缶ビールを飲むだけの動画」だった。

「この『新幹線試乗』のタイムコードを切ったのは、ワークショップの直前だったんですけど、その数日前に狐火さんの動画がアップされていて。その映像は、ほんとに新幹線で缶ビールを飲んでいるだけの動画で、ビール飲んでる姿越しに、車窓の景色が少し見えていて──『新幹線試乗』とは全然違う映像ではあるんですけど、タイムコードを切る前にこの映像を見ていたので、『ワークショップのとき、絶対に狐火さんの動画について発表するだろうな』と思ってました」

ラッパーの狐火さんは、新幹線で移動するときは各駅停車の「こだま」を選び、ビールを飲みながら移動することがあるのだという。映像の中では、ひとり黙々とビールを飲む姿と、車窓を流れる景色の一部が映っている。その映像のコメント欄には、リアルだとコメントがつけられている。

「私が狐火さんを知ったのは、『FUTURE』って楽曲のミュージックビデオだったんですけど、それが私の中ではドキュメンタリー感が強いものだったんです。狐火さんは毎年『×才リアル』ってアルバムを出して、『リアル』と感じるものを詰め込んでラップをしていて、そこにドキュメンタリー感を感じる、というか。ホームムービーのような〈記録〉と、アーティストとして活動されている方の〈作品〉はちょっと別物なのかもしれませんけど、ドキュメンタリー感を残す割合が少ない人もいる一方で、狐火さんはその割合が高い人なのかなと思うんです」

「今のお話を踏まえて伺いたいんですけど、『新幹線試乗』の映像は、ドキュメンタリーの割合が強めだと感じますか?」と、松本篤さんが尋ねる。

「この映像を何のために撮っているのかと考えると、もしかしたら新幹線に試乗するっていうワクワク感だけで撮っていたのかもしれないなと思うんです。でも、ただ気持ちの向かうままに撮っていただけかもしれないものが、結果的にはこうして残っている。ただ撮っていたものが残っていることに、ドキュメンタリー感を感じるところがあるんです。狐火さんも、今っていう瞬間に感じるリアルを切り取って、それが貯まったらアルバムをリリースされていて。今を切り取っておくことの切実さと、それが結果として作品に残るっていうところに、ドキュメンタリー感を感じるんだと思います」

「世田谷クロニクル1936-83」にアーカイヴされている8ミリフィルムは、どのようにして撮影されたものなのだろう。「かけがえのない瞬間を記録に残そう」という意志をもって撮影されたものもあれば、「8ミリカメラを買ってみたから、とりあえず撮影してみよう」と、軽い気持ちで撮影されたものもあるだろう。サンデー・インタビュアーズに参加している皆は、映像の撮影のされかたについて、どんなことを感じながら映像を見ているのだろう?

「今回の『新幹線試乗』を見るにあたって、NHKアーカイブスの中から、同じ時期に新幹線を撮影したものを探してみたんです」。そう切り出したのは、まるやまたつやさんだ。「そうすると、撮っている箇所がすごく似てるなと思ったんです。ちゃんと時速が表示されるメーターを押さえていたり、たぶん速さを表現しているんだと思うんですけど、高速道路を走る車を追い抜くところを撮っていたり──個人的な映像のようで、ニュースとして撮られているものが身体に染み込んでいるような感じがあるな、と。それは、これまでの映像では感じなかったんですけど、この『新幹線試乗』に限って感じたことでした」

映像を撮影した人物は、どのような視線で開通したばかりの新幹線をまなざしていたのか。

そこに意識が向いたのは、ひとつには、まるやまさんが映像制作を専門とされているからだ。ただ、そこにはもうひとつ理由があった。

「自分が今住んでいるところにも、2年後ぐらいに新幹線が開通するんです。だから、この映像の中で起きていることが、かなり時を経て自分が住んでいる街で起きるんだなと思ったんですよね。新幹線の線路が出来たことで、住民の反応はどうだったんだろうってところを調べられたらなと思っていたんですけど、今回はちょっと間に合いませんでした」

新幹線の線路が引かれたことで、沿線の風景は乗客からまなざされる存在となった。『新幹線試乗』は、国鉄関係者や開発技術者たちが招かれた試乗会だ。だから、ここに記録されているのはまなざす側の視点で、まなざされる側の声は記録されていない。

「今回の映像から思い浮かぶのは、九州新幹線が開通したときのCMで」。事務局の水野雄太さんが話を切り出す。「そのCMというのが、沿線に暮らしている人たちが新幹線に向かって手を振っている姿を車窓から延々と撮っている映像だったんです。『新幹線試乗』のときは、橋とか道路といった人工的な土木技術の構造物や、車窓から見える自然を映しているのに比べて、それから半世紀近く経って九州新幹線が開通したときには、車窓の風景の中に暮らしている人たちがこちらを眺め返している様子が、開通をお祝いするCMとして使われているのが印象的で。もちろんCMの場合は演出されているものですし、『新幹線試乗』は私的なホームムービーなので性格は全然違うんですけど、カメラを向ける対象が人工物や自然ではなく、人になっているところに時代の隔たりを感じますし、aki maedaさんのお話とも繋がるなと思いました」

CMには制作者の意図があり、演出が施されている。

ただ、ドキュメントのような映像にも、撮影者の意図は含まれているし、演出が施されている場合だってある。

だとすれば、わたしたちが「リアル」を感じるのは、演出の有無とはまた別のところにあるのではないか──?

10月に開催されたワークショップで、『新幹線試乗』について最後に発表をおこなったのはアキさんだった。アキさんは、10月10日に「生活工房」が開催した『エトセトラの時間 見えるものと見えないものを語る会』というワークショップにも参加していた。これは、目の見える人と見えない人がオンラインで集まり、ひとりひとりの視点を持ち寄り、「世田谷クロニクル1936-83」の映像を鑑賞する、というプログラムだ。この企画で題材となったのも、『新幹線試乗』の映像だった。

「私の個人的な記憶としては、食堂車には一回しか入ったことがないんです」とアキさん。「その一回というのは、食堂車がなくなる間際だったんですけど、食堂車はガラ空きで、すごく快適な空間だった思い出があるんですね。それで──映像の説明文のところには『電子レンジが食堂車に取り付けられている』と書かれていたんですけど、じゃあその電子レンジはどこにあるのかと思って映像を見返してみても、どこにあるのかよくわからなかったんです」

アキさんは、新幹線の「食堂車」と「ビュッフェ車」についても調べてみたのだという。厨房と客席が分かれている食堂車に対して、ビュッフェ車には厨房はなく、売店で購入した料理を電子レンジで温めて提供していた。『新幹線試乗』に映っているのはビュッフェ車だから、どこかに電子レンジがあるはずなのに、どこを探しても見当たらなかった。

「この頃は電子レンジがまだ出始めの時期だったので、写ってはいるけど私の目には見えていないだけなのかもしれないってことも考えたんです。目が見えない人と一緒に映像を見せてもらったこともあって、『電子レンジがあるはずなんだけど、ないんだよね』と話しているときに、見えるものと見えないものについて考えさせられました。そこに写っているはずなのに、情報がなければ、そこにあるものが見えないかもしれない。それはドキュメンタリーのありかたとも繋がっていて、情報がなければ存在しないものと見なされるかもしれないけど、とりあえず記録して残しておいたら、情報ができたときに見えてくるかもしれないな、と」

『新幹線試乗』03:14

そんな話に続けて、アキさんは民俗学者・宮本常一に関する話を聞かせてくれた。宮本常一は膨大に写真を残しているけれど、明確な意図をもって写真を撮るというよりも、「ハッとしたときに写真を撮っておく」ということを心がけていたのだという。写真を撮る段階ではまだ、その風景の中に何が含まれているからハッとしたのか、本人にもわからないけれど、これまでいろんな土地を訪ね歩いてきた経験から、そこに何かがあるという気配だけは感じとることができる。だから写真に撮っておく。やがて、その土地について知識を深めるにつれて、その光景の何に自分が反応して写真を撮ったのかが見えてくる──と。

わたしたちの日常は、膨大な情報で溢れ返っている。新幹線の車窓を流れていく風景のように、膨大な情報で溢れ返っている。そのひとつひとつを凝視することはできなくて、右から左に流れていくように、いろんなものを見過ごしてしまう。だから、何度となく歩いたことがあるはずの近所の道でも、ある日突然更地になっていたら、そこにどんな建物が建っていたのか思い出せなくなる。

現在は常に過ぎ去って、忘れ去られてゆく。その忘却に抗おうと、目を皿のようにして風景を見るところから、「リアル」が立ち上がってくるのかもしれない。


サンデー・インタビュアーズをめぐるドキュメント2022

第1回「時間が経てば経つほど、見えないものが見えてくる
第2回「結婚の挨拶に行くと、びしっとスーツを決めていて
第3回「テーマを持って作品を作ろうという意識がおありなんだろうな
第4回「個人的なもののはずなのに社会的なことを考えてしまう
第5回「ボストンバッグに修正液でナイキのマークを描いていた
第6回「電子レンジがあるはずなんだけど、ないんだよね」
第7回「手で牌を混ぜる音が1階まで聞こえていた
第8回「カメラを通して住んでいる環境と向き合える感じがあったんです
第9回「懐かしさを感じるために止まらないといけないのか」(最終回)

文=橋本倫史(はしもと・ともふみ)
1982年広島県生まれ。2007年『en-taxi』(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動をはじめる。同年にリトルマガジン『HB』を創刊。以降『hb paper』『SKETCHBOOK』『月刊ドライブイン』『不忍界隈』などいくつものリトルプレスを手がける。近著に『月刊ドライブイン』(筑摩書房、2019)『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社、2019)、『東京の古本屋』(本の雑誌社、2021)、『水納島再訪』(講談社、2022)。

サンデー・インタビュアーズ
昭和の世田谷を写した8ミリフィルムを手がかりに、“わたしたちの現在地” を探求するロスト・ジェネレーション世代による余暇活動。地域映像アーカイブ『世田谷クロニクル1936-83』上に公開されている84の映像を毎月ひとつずつ選んで、公募メンバー自身がメディア(媒介)となって、オンラインとオフラインをゆるやかにつなげていく3つのステップ《みる、はなす、きく》に取り組んでいます。本テキストは、オンライン上で行うワークショップ《STEP-2 みんなで“はなす”》部分で交わされた語りの記録です。サンデーインタビュアーズは「GAYA|移動する中心」*の一環として実施しています。
https://aha.ne.jp/si/

*「GAYA|移動する中心」は、昭和の世田谷をうつした8ミリフィルムのデジタルデータを活用し、映像を介した語りの場を創出するコミュニティ・アーカイブプロジェクト。映像の再生をきっかけに紡がれた個々の語りを拾い上げ、プロジェクトを共に動かす担い手づくりを目指し、東京アートポイント計画の一環として実施しています。

主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、公益財団法人せたがや文化財団 生活工房、特定非営利活動法人記録と表現とメディアのための組織[remo]