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第8回「子供心にいつもと違う感じがして、わくわくした」(文=橋本倫史)

昭和の世田谷を写した8ミリフィルムの映像を手がかりに、“わたしたちの現在地” をさぐるロスジェネ世代の余暇活動「サンデー・インタビュアーズ」。月に1度オンラインで集い〈みる、はなす、きく〉の3ステップに取り組みます。ライターの橋本倫史さんによる記録です。

連載第8回(全17回)

2021年度としては最後のワークショップが開催される1月23日は、西から入り込んだ前線の影響で、全国的に天気は下り坂になると天気予報では報じられていた。雪マークが出ている地域もあり、東京でも冷え込む予報が出ている。

最後の課題に選ばれたのは、「世田谷クロニクル1936-83」のNo.74、『松陰神社、双葉園、雪の日』だった。昭和50(1975)年の1月から2月にかけて撮影されたもので、トータルで18分19秒の長い映像だ。参加者のひとり、佐伯さんがタイムコードを切ったのは10分56秒、向ヶ丘遊園で撮影されたところだ。

「私はですね、ベンチの背に雑誌の広告が貼ってあるシーンがすごく印象に残っています。これは昭和50年の撮影ということで、おそらく紙媒体の全盛期だと思うんですね。雑誌にそれだけ需要があって、広告として成り立つ。当時からもちろんテレビもありましたけど、やっぱり紙が中心だったなと思うんです。この時代だと、電車に乗ると新聞を器用に折りたたんで読んでるおじさんが必ずいましたし、若いサラリーマンが真剣にジャンプを読んでいたりする。電車の棚には、読み捨てられた新聞や雑誌がいっぱいあったんですよね。それに比べると、街中で紙を見かける機会ってほんとになくなっちゃったな、と」

佐伯さんがポストムービーとしてはがきにまとめた内容は、町の本屋さんの衰退だ。かつては町ごとに小さな本屋さんがあり、「そこで大抵のことは事足りていた」と佐伯さんが振り返る。その発表にコメントするように、参加者のやながわさんが「青木まりこ現象」の話をする。青木まりこ現象とは、「本屋さんに行くと、なぜかトイレに行きたくなる」という現象を指す。1985年の『本の雑誌』に、この現象について青木まりこさんから投書が掲載されると、共感した読者から多くの反響が寄せられ、翌月の『本の雑誌』は「青木まりこ現象」の名前で特集を組んだ。それをきっかけに、この現象は「青木まりこ現象」と名付けられることになった。

「名づけるってことの良さが、ここに出てますよね」。松本篤さんがコメントする。「全然レベルが違いますけど、このワークショップでやっている、タイムコードを切って『ここにこれが映っている』ってフォーカスを当てる作業も、どこか近いところがあるんじゃないかと思いました」と。

やながわさんが『松陰神社、双葉園、雪の日』の映像で注目したポイントも、まさに「名づける」という行為と関係するところだった。

「これはshinoさんとも盛り上がったんですけど、映像の中に動物の顔をした毛皮のマフラーが映っているんですね。これが小学校の頃にすごく人気があった記憶が残っていて、私は『むくむくちゃん』と呼んでいたんですけど、どうもそんな名前じゃなかったということがわかりました。同じ世代の、当時女の子だった人たちに聞いてみたら、皆『持ってた!』という話になったんですけど、どうしても名前がわからなくて。それだけ人気があったんだから、SNSとかに上がってるんじゃないかと思ったんですけど、全然出てきませんでした」

インターネットには、いろんな情報の断片が溢れている。ただ、情報にアクセスするためには、検索するワードが必要になる。名前がつけられていなかったこと、名前が広く知られていなかったものに辿り着くのは困難だ。ただ、こんなふうに古い映像を見返すことで、ふいに名前のない何かの記憶がよみがえることもある。

やながわさんと同じく、マフラーに反応していたshinoさんがポストムービーで調べてきたのは、階段に並べられた葉牡丹だ。

「私は向ヶ丘遊園に行ったことがないんですけど、映像にも映っている階段は、『花の大階段』という大そうな名前がついているんですよね」とshinoさん。「季節によってはもっと彩りのある階段になっているのかもしれないんですけど、たまたま冬だから、慎ましい葉牡丹でいいってことにしてるのかもしれないですよね。葉牡丹って、あんまり花っていう感じがしないのに、なんで日頃から葉牡丹を見かけるんだろうと思ったら、いくつか謂れがあるみたいです。一つは、おめでたい花として好まれるというのと、もう一つは冬に咲く花が少ない中で、安定的に供給できるってことがあるようです」

shinoさんは、ポストムービーを作成するにあたり、近所の花屋さんを尋ねてみたという。その花屋さんによると、家庭用の葉牡丹と街路に植えられる葉牡丹では種類が違っていて、家庭用のものは広がり過ぎて場所を取らないようにと、縦にタワーのように成長していくのだそうだ。

「この葉牡丹を見ていたら、おじいちゃんを思い出しました」と、松本さんが切り出す。松本さんの祖父は兵庫の田舎町に暮らしており、冬になると葉牡丹を植えていたような映像が記憶に残っているのだという。

いつかの誰かが捉えていた映像が、また別の誰かの記憶として眠っていた映像を呼び起こす。『松陰神社、双葉園、雪の日』を観て、ラナさんが思い出したのはトロントの大学の学部生だった頃の記憶だ。

「9分5秒のところに、麻雀で遊んでいるシーンがあるんです。これは8ミリフィルムだから音は聴こえないんですけど、麻雀をかき混ぜるときのジャラジャラの音が、私にとってはとっても懐かしくて。当時私は大学のレジデンスに住んでいて、そこにはいろんな国からやってきた学生がいたんです。トロントは移民の方が多い街で、特に中国からやってきた方も多いんですけど、そのレジデンスにも中国からの留学生がたくさんいたんです。そのうちの何人かが麻雀のセットを持ってきて、皆でよく遊んでいて、いつでもジャラジャラの音がして。私にとって麻雀というのはすごく懐かしい感じがして、このシーンを見て、ジャラジャラの音を思い出しました」

映像の中で、タバコを吸う大人に混じってこどもが一緒に麻雀を打っているところに時代を感じる。僕は麻雀のルールは知らず、お正月に卓を囲んで興じるとすれば、この映像が撮影された5年後に発売された「ドンジャラ」だ。お正月になると、従兄弟たちと一緒にドンジャラで遊んだときの音を、ラナさんの話から思い出す。

中国からの留学生たちと一緒に、ラナさんも麻雀で遊ぶこともあったという。当時はまだ漢字を読めなかったラナさんは、一緒に卓を囲んでいる相手に牌を見せて、そこに書いてある数字を読んでもらうこともあった。「今思うと、自分が何を持っているのかバレるから、意味がなかったんですけど」とラナさんは笑う。

トロントに留学した学生たちと同じように、中国から日本に留学した学生の中にもきっと、麻雀を持ってきた人も少なからずいるだろう。中国に限らず、いろんな土地から集まった人たちが東京には暮らしている。そうして東京の人口が拡大したから、60年代にはまだ牧場があるようなのどかな地域だった世田谷が、現在のように住宅地として整備されていったのだろう。そこに移り住んで暮らしている人の数だけ、郷里の記憶がある。

参加者の土田さんは、父方の実家が新潟にあり、お正月になると里帰りしていた。その記憶を思い出すきっかけになったのも、今回の課題となった映像だった。

「松陰神社が職場の近くにあるので、仕事始めの1月4日に松陰神社に行って、写真を撮ってみました。この映像と同じように、『初詣は松陰神社』の看板は変わらずに置いてあったんですけど、時代が経つと豪華になってました。境内に入ってみると、昔の鳥居の柱が置かれていて、それを見てちょっとびっくりしました」

松陰神社の現在の鳥居は、2011年に建造されたものだ。ただ、旧鳥居は明治41年に開催された「松陰先生五十年祭」に合わせて建てられたものだったこともあり、その一部が境内に保存されている。

「鳥居を見ていて思い出したんですけど、父親の実家から歩いて10分ぐらいの神社にも鳥居があって。その神社のことを、地元の人たちは『お宮さん』と呼んでいて、なにかあるとお詣りに行くところだったんですね。大晦日の夜、12時を過ぎたらお詣りに行くのが恒例で、長い階段を登って初詣に行く。そこには近所の人たちもきていて、すれ違う同士で『おめでとうございます』と挨拶を交わすのが、子供心にいつもと違う感じがして、わくわくしたのをおぼえています」

Zoomの画面には、土田さんの父方の実家近くの神社の様子がGoogleストリートビューで映し出されている。松本さんが「印象に残っている思い出ってありますか?」と質問を投げかける。土田さんから返ってきたのは、「切ない感じを思い出します」という、少し意外な答えだった。

「実家に帰るときは、ちょうど今映してもらっている道を通っていくんですね。小学生の頃だと、『今は家族で新潟にきてるけど、友達は別の場所でなにかしてるんだな』って感じて、切なく感じた思い出があります。普段は仲が良くても、今何をやっているのかは絶対わからないですよね。こんな山奥だから、余計にそういう感じがあったのかもしれないですね」

Googleストリートビューの映像を眺めながら、参加者の皆で気になったところをぽつぽつ話していると、「まさか自分のばあちゃんちの前にある道路を語り合うことになるとは思わなかったです」と笑う。

映像の中に、誰かの記憶が詰まっている。それを見ることが、また誰かの記憶を呼び起こす。サンデー・インタビュアーズの取り組みに伴走していると、世田谷の向こうに、いろんな土地が広がっていることを実感する。映像を眺めながら、言葉にされることのなかった、まだ名前を持たない記憶に、わたしたちは触れている。

文=橋本倫史(はしもと・ともふみ)
1982年広島県生まれ。2007年『en-taxi』(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動をはじめる。同年にリトルマガジン『HB』を創刊。以降『hb paper』『SKETCHBOOK』『月刊ドライブイン』『不忍界隈』などいくつものリトルプレスを手がける。近著に『月刊ドライブイン』(筑摩書房、2019)『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社、2019)、『東京の古本屋』(本の雑誌社、2021)、『水納島再訪』(講談社、2022)。

サンデー・インタビュアーズ
昭和の世田谷を写した8ミリフィルムを手がかりに、“わたしたちの現在地” を探求するロスト・ジェネレーション世代による余暇活動。地域映像アーカイブ『世田谷クロニクル1936-83』上に公開されている84の映像を毎月ひとつずつ選んで、公募メンバー自身がメディア(媒介)となって、オンラインとオフラインをゆるやかにつなげていく3つのステップ《みる、はなす、きく》に取り組んでいます。本テキストは、オンライン上で行うワークショップ《STEP-2 みんなで“はなす”》部分で交わされた語りの記録です。サンデーインタビュアーズは「GAYA|移動する中心」*の一環として実施しています。
https://aha.ne.jp/si/

*「GAYA|移動する中心」は、昭和の世田谷をうつした8ミリフィルムのデジタルデータを活用し、映像を介した語りの場を創出するコミュニティ・アーカイブプロジェクト。映像の再生をきっかけに紡がれた個々の語りを拾い上げ、プロジェクトを共に動かす担い手づくりを目指し、東京アートポイント計画の一環として実施しています。

主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、公益財団法人せたがや文化財団 生活工房、特定非営利活動法人記録と表現とメディアのための組織[remo]

サンデー・インタビュアーズをめぐるドキュメント(文=橋本倫史)

第1回誰かが残した記録に触れることで、自分のことを語れたりするんじゃないか
第2回この時代の写真を見るとすれば、ベトナムの風景が多かったんです
第3回川の端から端まで泳ぐと級がもらえていた
第4回これはプライベートな映像だから、何をコメントしたらいいかわからない
第5回『ここがホームタウン』と感じることにはならないなと思ってしまって
第6回なんだか2021年に書かれた記事みたいだなと思った
第7回仲良く付き合える家族が近所にたまたま集まるって、幸せな奇跡というか