第2回「この時代の写真を見るとすれば、ベトナムの風景が多かったんです」(文=橋本倫史)
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第2回「この時代の写真を見るとすれば、ベトナムの風景が多かったんです」(文=橋本倫史)

家族連れが、荷物を提げて歩いている。券売機の横にある入り口に「京王遊園プール入口」と書かれている。場面が切り替わると、水着姿のお父さんが体操をしていて、それに倣ってこどもたちが体操をしている。後ろにプールが広がり、大勢の人が遊泳を楽しんでいる。

映像が撮影されたのは、1961年8月13日。撮影したのはこの8ミリフィルムを提供してくれた人のお父さん。自分の家族と、母方の祖母、母の妹家族と一緒に、京王プールで過ごした夏休みの一日が、断片的に記録されている。初回の題材として扱うのは、この映像だ。

サンデー・インタビュアーズのワークショップは、3つのステップから成る。ステップ1は「ひとりで “みる”」。参加者は事前に課題となる映像を見て、気になった点や印象的だった場面をピックアップしておく。そうして作成された“タイムコード”を持ち寄って、オンラインで開催されるワークショップに参加し、「みんなで “はなす”」のがステップ2だ。今年のサンデー・インタビュアーズには7名の参加者がおり(初回となる7月25日の回には都合がつかずに2名が欠席となったため、この日は5名でワークショップが開催された)、全員が一堂に会して話すとひとりあたりの発言時間が短くなってしまうので、2部屋に分かれて作業は進む。ワークショップの記録映像に残っていたのは、やながわさんとラナ・トランさんが話す姿だ。

やながわさんは、サンデー・インタビュアーズのプロジェクトに初年度から参加していることもあり、事務局の水野さんに促されて、まずはやながわさんが“タイムコード”について発表する。

「まずは、28秒のところですかね」。やながわさんが切り出す。共有された画面の中に、「京王プール」の28秒の場面が映し出される。そこにはプールに入る前に準備体操をするこどもたちが映し出されていて、その様子をおばあさんが見守っている。「おばあさんが、真夏に着物を着てるんですね。浴衣じゃなくて本格的な着物で、帯もちゃんと結ってるので、すごく暑いだろうな、と。この時代の映像を見ると、着物で出かけている方が多いんですけど、夏でも着物でプールサイドにいるんだっていうのが、ちょっとびっくりな感じでした」

やながわさんによると、この日の東京は34度だったという。おばあさんは傘も抱えているけれど、それを差すこともなく、うちわを扇ぎながら笑顔で立っている。おそらく生まれは明治だろう。その世代はきっと、今の世代より、外出することに対する感覚が違っていたのだろう。

昔の映像を見ていると、今と違っているところが目につく。水着のデザインも今と違っているし、水泳帽をつけている人はあまり見受けられない。そして、ゴーグルがないせいか、あるいは泳ぎ方にも時代の差があるのか、頭を水につけないように泳いでいる。ラナさんが切ったタイムコードのひとつは、まさにその点についてだ。

「1分49秒なんですけど、頭がプールに入らないように泳いでますよね。私もそのように泳ぐんですけど──なぜかというと、髪をカルキ水につけたくないので──この時代のプールはカルキ水を使っていたのかどうか、興味を持ちました。それと、4分40秒。このお母さんの水着の、肩の紐についている白くて丸いもの、それはなんでしょう、と」

「丸いのはたぶん、ロッカーの鍵なんじゃないかと思うんですよね」。ラナさんの話を受けて、やながわさんが言う。「世田谷クロニクルの中にある、『1957年7月』(NO.15)という映像と比較してみたんですけど、その映像の中でも、白くて丸いものを首から下げてるこどもがたくさん映ってましたね。それで、今回の『京王プール』だと、ふたりいるお母さんのうち、最初のうちはひとりのお母さんは服を着ていて、途中からふたりとも水着になるんですね。ということは、そこで荷物を入れるロッカーが必要になって、その鍵をつけてるんじゃないかって仮説を立てたんです」

「すごい、名推理」と、事務局の水野さんも感嘆する。言われてみると、水着に白いプレートのようなものをくくりつけているお母さんは、途中まで洋服姿でこどもたちを見守っていて、途中から水着に着替えている。そのタイミングで、もうひとりのお母さんの手首にも、白いプレートをつけている。しかし、どうしてこのお母さんは、手首ではなく水着にくくりつけているのだろう。

「私もジムに通ってたとき、このお母さんと同じように、水着のこの部分にロッカーの鍵をつけてたんです」。映像の中のやながわさんが言う。「手首につけるのがなんか嫌で。泳いでるときに落としたらどうしよう、って。だから、手首につけるのは嫌だなって人は、ここにつけるんじゃないかって気が、個人的にはしてます」

同じ映像を見ていても、見ている部分はそれぞれ少しずつ異なっている。別の誰かの視点によって、気づかされることがある。

「私の父はベトナム人なので、この時代の写真を見るとすれば、ベトナムの風景が多かったんです」。カナダ生まれのラナさんが切り出す。「ベトナムは海が多いから、泳いでいる写真となると、必ず海の風景だったんですね。日本ではなぜ、海がいっぱいあるのに、プールに行くのかなと思いました。プールの魅力は何でしょう?」

ラナさんが生まれ育った街は海から少し離れていて、泳ぎに出かけるとすれば湖だったという。湖畔でキャンプをするとき、カヌーを漕いだり、湖に浸かって体を洗ったりした記憶があるのだ、と。

「私の地元は海に近いところなんですけど、海が見える学校にも大きなプールがあって、皆プールに行きますね」。やながわさんは水戸出身で、近くには海水浴場で知られる大洗がある。「というのは、やっぱり海が荒いんですね。海は自然なので、何が起こるかわからないし、溺れちゃう危険もあって。私も溺れたことがあるんですけど、そういうこともあってプールに行くのかもしれないです」

京王遊園にプールが開設されたのは昭和34(1959)年だから、この映像が撮影されたのはオープンして3年目のときだ。戦前からとしまえんにはプールが存在していたけれど、この時代にはまだ、人工物であるプールで泳ぐというレジャーは、海水浴に比べると目新しいものだったのだろう。ちなみに、この映像が撮影された4年後には、としまえんで世界初の「流れるプール」が誕生している。

「カナダには流れるプールとかってあるんですか?」

「ああ、ありました。それは“lazy river”と言います。泳がなくても流れるので、“lazy”(怠惰な)と呼びます。このシーン──『京王プール』の4分10秒の映像みたいに、私もお母さんと一緒に浮き輪に乗って、過ごしたことがあります。それは個人的な思い出で、世田谷とは関係ないんですけど、そんなことを思い出しました」

映像の中の家族連れは、泳ぐ前にはしっかり準備体操をしている。カナダ生まれのラナさんが、「プールに入る前に、家族全員でストレッチをするって、現在でもよくあることですか?」と尋ねる。1970年生まれのやながわさんも、1990年生まれの水野さんも、小さい頃はちゃんと準備体操をしてからプールに入っていたと答える。

土地が変われば、生活も変わる。あるいは、同じ土地でも、時代が違えば生活が変わる。

8ミリフィルムの中に、プールサイドで小休止する家族の姿が記録されている。そこでこどもたちがパンを食べ、瓶入りの牛乳を飲んでいることについて、ラナさんもやながわさんも不思議に思ったと指摘する。

「この時代は、缶ジュースもそんなに普及してなかったから、それで瓶の牛乳が売られていたのかもしれませんね」と、やながわさんが言う。「プールサイドで牛乳を飲むって、今じゃ考えらんないですよね。銭湯の延長みたいな感じもします。逆に、カナダだとプールサイドでどういうものが売ってましたか?」

「私が小さい頃だと、ホットドッグとかコーラとか、アメリカっぽいイメージのものですね」と、ラナさん。「母がたまごサンドやピーナッツバターのサンドイッチを用意して持ってきているときもあったんですけど、私はそれじゃなくて、そこで売ってるハンバーガーとかを食べたくて駄々をこねる──そういうシーンはあった気がします」

今から60年前に撮影された京王プールの姿を見て、語り合うふたりの姿を見ているうちに、自分自身の記憶が蘇ってくる。小さい頃は父親に連れられて、隣町にあるプールまでよく自転車を漕いだ。小さな町の年金保養センターにも流れるプールがあり、ウォータースライダーがあった。スライダーのすべり口の隣にフードコートのような場所があって、そこでやわやわのうどんを食べたのも、泳ぎ終えたあとに施設を出て、セブンティーンアイスを食べたことも、ありありと思い出される。でも、一番好きだったのは、イカの姿フライという駄菓子だった。あんまりプールに似つかわしくもないお菓子で、そんなお菓子が存在していたことすら忘れてしまっていたのに、どうしてだろう、映像を見ていると自分自身の記憶が浮かんでくる。

文=橋本倫史(はしもと・ともふみ)
1982年広島県生まれ。2007年『en-taxi』(扶桑社)に寄稿し、ライターとして活動をはじめる。同年にリトルマガジン『HB』を創刊。以降『hb paper』『SKETCHBOOK』『月刊ドライブイン』『不忍界隈』などいくつものリトルプレスを手がける。近著に『月刊ドライブイン』(筑摩書房、2019)『市場界隈 那覇市第一牧志公設市場界隈の人々』(本の雑誌社、2019)、『東京の古本屋』(本の雑誌社、2021)。
サンデー・インタビュアーズ
昭和の世田谷を写した8ミリフィルムを手がかりに、“わたしたちの現在地” を探求するロスト・ジェネレーション世代による余暇活動。地域映像アーカイブ『世田谷クロニクル1936-83』上に公開されている84の映像を毎月ひとつずつ選んで、公募メンバー自身がメディア(媒介)となって、オンラインとオフラインをゆるやかにつなげていく3つのステップ《みる、はなす、きく》に取り組んでいます。本テキストは、オンライン上で行うワークショップ《STEP-2 みんなで“はなす”》部分で交わされた語りの記録です。サンデーインタビュアーズは「GAYA|移動する中心」*の一環として実施しています。
https://aha.ne.jp/si/

*「GAYA|移動する中心」は、昭和の世田谷をうつした8ミリフィルムのデジタルデータを活用し、映像を介した語りの場を創出するコミュニティ・アーカイブプロジェクト。映像の再生をきっかけに紡がれた個々の語りを拾い上げ、プロジェクトを共に動かす担い手づくりを目指し、東京アートポイント計画の一環として実施しています。

主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、公益財団法人せたがや文化財団 生活工房、特定非営利活動法人記録とメディアと表現のための組織[remo]

▼第1回ワークショップの記録はこちら

 サンデー・インタビュアーズをめぐるドキュメント(文=橋本倫史)

第1回「誰かが残した記録に触れることで、自分のことを語れたりするんじゃないか」


「サンデー・インタビュアーズ」は、東京・世田谷ので収集された昭和のホームムービーを通して、現在という時代を照らし出す“ロスト・ジェネレーション”世代の余暇活動です。https://aha.ne.jp/si/