#19

何を考えてるか分からないと言われがち。そして、八方美人ともよく言われる。
どういうことかというと、結局のところ私っていう存在が見えてこないってことを指してるんだと思う。

例えば、私は会社で求められてる姿を意識してる。過剰な表現をすれば“演じてる”って言っても間違っていないと思う。プライベートと仕事では使ってるメガネが違ったりして自分なりにスイッチを切り替えてるのもあるけれども、とにかく求められてる姿を“演じて”しまってる。具体的に言えば、“シュッとして、仕事を真面目にささっとこなす人”。これを演じていると会社のためとか、自分では思ってないような言葉もスラスラ出てくる。上司と面談してるときも、『あぁ…この人は私にこういう解答求めてるな。じゃあそう答えるか。そんな事微塵も思ってないけれども。』頭の中でこんなことを考えながら偽善者のようなことを言ってる自分に反吐がでる。けれどももう意識するしないの問題ではなくなってしまってるのでどうしようもない。会社で私は完全に私を見失ってしまっている。

友達と会うときにもやっぱり求められてる姿を演じてる気がする。各年代の友人に会うとその時代に戻るような感じで話さないといけない雰囲気が凄く苦手。でもそれは仕方ないので会社と同じように私は“今の自分”という存在を消し殺して、空っぽになった私の中に求められてる私を入れる。友人達と会った後、私は“今の自分”が分からなくなることがある。さっきまで友人と話してた自分が“今の自分”なのか、それとも友人と合う前までの会社にいたときの私が“今の自分”なのかが分からなくなる。そうして混乱した状態のまま誰かに会うときがある。すると、最初に書いたコトバを言われる。

“自分が素になる瞬間”なんて言うけれども、私は自分の素が全く分からなくなってしまった。家に帰って来たときの自分はなんとなくまだ会社の私を引きずってるような気がするし、銭湯に行ってる時も素なのかと言われるとそれはたぶん違うと思う。銭湯に行ってる時は完全に“がわ”でいるから。“がわ”は素に近いかもしれないけどやっぱりなんとなく演じてしまってる。本当はもっと色々と渦巻いた感情が沢山あるけれどもそれを表立って言わない時点で演じている。そうなってるくると、本当に“私”って存在は何なのかわからなくなる。その時々で存在している意味が違うと言えば聞こえが良いが、心が無いしちゃんと定まってない蜃気楼みたいなものになってしまった気もする。この世界に根を張っていない気がして、自分だけ浮いているようなそんな感覚があったりしていた。
そんな感覚をずーっと持ったまま、とある女の子と飲みに行った。その時、「何か、あったんじゃないですか?」と聞かれなぜか分からないけれどもポツポツと話し始めていた。その子は何も言わず、「うん、うん。」って頷くだけ。私は変わらずポツポツ話しをして、女の子は相槌を打つ。
一通り話し終わると、女の子は「そっか。いつも、頑張ってるもんね。」って言って私の頭を撫でてきた。その瞬間、何が弾けて私は泣き出してしまった。女の子は「それが、素のがわさんなんじゃないの。意外に感情の起伏激しくて心配性。」私はそう言われてなんとも言えない気持ちになった。
そんな単純なんだろうかって思ったし、彼女に私の何が分かるんだとも。でも不思議とスッキリした気分があった。これ以降、この女の子と飲んでる時が一番楽しく、楽ちんでおそらく、演じていない“今の私”なんだろうなって思う。

そんなごちゃごちゃした私という存在の悩みの話。

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