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俺たちはどう生きるのか

この世は等価交換で成り立っている。 何かを得たいならば、何かを差し出さなければならない。得るものが大きければ大きいほど、捨てなければいけないものも大きくなる。 「夢」を追うということは、その犠牲も並大抵のものではない。 代償は大きかった。 高級車が買える程の借金、愛する人との別離、ダチとの亀裂。程度の差はあれ、各々なにかしらの傷を背負ってしまった。 そして、気付いた時には全員が独りになっていた。 見渡す限りの鉛色の曇り空の下、独りぼっちだった。 何が原因だったのだろうか?

    • この世で1番豊かなのは貧乏人であるということ

      「Less is more 」 これは近代建築の三大巨匠の一人、ミース・ファン・デル・ローエが残した言葉だ。 「少ないことこそ、より豊かである」という意味である。 「神は細部に宿る」という格言でもお馴染みの人だ。この言葉は、今の物質過剰社会に生きている俺たちが今一度心に刻むべき言葉だと思っている。 なぜか? 俗に言う「豊かさ」とは、いい家に住んで、いい服着て、美味いご飯を毎日食べることだろう。そこに少々、疑問を感じるのだ。 それが「豊かさ」であるのならば、GDP3位のこの

      • 世界は誰でも変えられる

        「世界は誰でも変えられる」 「こいつは何を言っているんだ」と思ったそこのあなたは少し待って欲しい。 俺は心の底からこう思うのだ。 今回はこのことについて綴っていこうと思う。 これはつまり、 「自分の解釈次第で世界はどうとでも変わる」 ということである。 例えば、雨の日、あなたは「雨がウザい」と感じたとしよう。「雨はウザいもの」というのは事実ではなく、あくまでもあなたの感想、主観でしかない。ここが大事なのである。 「雨が降っている」というのが事実であり、主観と事実を混ぜ合

        • 恋愛は一種の宗教である

          「ホストはなぜこんなにも稼ぐことができるのだろうか?」 これは俺がホストの体験入店を回っていて抱いた疑問である。 世間一般から見て、お世辞にもカッコ良いとは言えないような奴らが月に100万も200万も稼いでいるから驚きだ。 その答えが俺なりに出たので、今回はそれについて綴っていこうと思う。 答えは「宗教」だからだ。 個人的に、この世の中で1番お金が稼げるのは「宗教」だと思っている。 神社やお寺は、何もせずとも存在しているだけで「お賽銭」というマネタイズ装置を通して、儲け

        俺たちはどう生きるのか

          快楽は心を破壊する

          酒、ドラッグ、セックス、ギャンブル、、。 快楽と言えば、まず名が上がるのはこれらだろう。 これらの快楽は、見たくない現実から目を逸らさせる手段としては最適だ。 別に俺はそれを否定したいわけではない。 現実逃避が必要な時期は誰にだってある。 かくいう俺自身、現在その真っ只中の一人だ。 これらの行為に及ぶと確かに現実から離れることができ、恍惚とした気分を味わうことができる。 なぜこれらの快楽は、現実逃避を可能にするのだろう? それは、心を麻痺させるからである。 しかし何事におい

          快楽は心を破壊する

          人はなぜ自然に惹かれるのか?

          この世には、誰の目にも止まらないような虫がいる。サムネの虫は俺がカメラで撮ってやんなきゃ一生スポットライトを浴びずに死んでいっていたんだよ。 今、これを書いている頃にはもう死んでいるんだろう。 そういった日陰にいるような弱者たち、社会に馴染めない個人にほんの少しの光を当ててやるのが、芸術家の存在意義だと俺は思う。 でもこいつら(虫たち)からしたらそんなことはどうでもいいんだよな。 こいつらは、自分が自分で在り続けるためだけに生きている。 そこに夢や目的、生きる意味なんてたい

          人はなぜ自然に惹かれるのか?

          「悩み」を払拭するには、孤独な戦いを行わなければいけない

          いきなりだが、あなたに悩みはあるだろうか? 「ないっ!」と断言できる人は少ないのではないだろうか。 「悩み」というものは、 自分の思考、世界やモノの見方を変えることでしか解決しない。 酒を飲んだり、薬物をやってシラフから離れるというのは傷口に絆創膏を貼っているだけで、応急処置程度にしからならない。 本質的には、何も解決していないのである。 時にはそういう時期も大事だが、いつかは向き合わなければいけない。 そして向き合った時に、何も解決しないのであれば今の自分の思考で解決しな

          「悩み」を払拭するには、孤独な戦いを行わなければいけない

          直感を信じることの大切さ

          「好きなことで、生きていく。」 約8年前、アルファベット社(YouTube)が出した広告のフレーズだ。 「そんなの才能のある人だけじゃん。」 「人生そんな甘くない。」 「そんな好きに生きるなんて、 できるわけない。」 賛否両論様々な意見があると思うが、 今回は俺自身がその意見に対して どう思うかや好きに生きる方法! みたいな話ではなく、好きに生きるという選択がいかに、そこの君自身にとって、 正しい選択なのかを論じよう。 「好きに生きる」これはつまり、 「自分のやりたい

          直感を信じることの大切さ

          タイムスリップしなくても、過去は変えられる

          最近人生楽しすぎて、とにかく早く発信したいんやけど、まだできないからどうしようどうしようって考え抜いた結果の今。 文字でその欲求満たすことにした。 今日は俺の考え方の話。 過去は変えられる。 「は?」ってなった人、一旦待ってほしい。 「お前の押井入れには、青いタヌキがおるんか?」 って思った人も一旦待ってほしい。 もちろん過去の結果自体は変えることができない。そんな至極真っ当なことはバカな俺でもわかる。 俺が言いたいのは、「捉え方」を変えることができるってこと。 例えば

          タイムスリップしなくても、過去は変えられる

          言語は所詮記号でしかないということ。

          1人で海外行ったことあるよとか、ワーホリ行くとか話したらだいたい、 「え、英語話せるの?」 って聞かれるんやけど、まじで英語なんて話せん。 中学校の義務教育と高校の6年間の一般的な授業だけで、ペラペラ話せるやつなんて見たことないわ。義務教育バンザイ。 俺からしたらそもそもその質問自体が 「?」ってなる。 ** 「英語は話せないけど、外国人とコミュニケーションを取ることはできるよ。」** そう、これが本質なのだ。 まじで言語は、ただの記号でしかない。 究極言っちゃえば、外国

          言語は所詮記号でしかないということ。