世界は誰でも変えられる

「世界は誰でも変えられる」

「こいつは何を言っているんだ」と思ったそこのあなたは少し待って欲しい。
俺は心の底からこう思うのだ。
今回はこのことについて綴っていこうと思う。

これはつまり、
「自分の解釈次第で世界はどうとでも変わる」
ということである。

例えば、雨の日、あなたは「雨がウザい」と感じたとしよう。「雨はウザいもの」というのは事実ではなく、あくまでもあなたの感想、主観でしかない。ここが大事なのである。
「雨が降っている」というのが事実であり、主観と事実を混ぜ合わせて考えてしまう人が多いが、ここはきちんと区別しなければならない。
一般的な会社員の世界線では雨はウザいかもしれないが、農業を営んでいる老人の世界線では、雨は天からの恵みであり、
雨だけで考えても、自分の解釈次第(立場もあるが)で日常は変わるということだ。

「雨を感じられる人間もいるし、ただ濡れるだけの奴らもいる」と、かの有名なアーティストも言っていた。
雨が降っているという事実は変わらないが、
この前者と後者では見えている日常、世界、人生が大きく異なることだろう。

もう一つ面白いエピソードを紹介しよう。
松下幸之助は最終面接で、
「君は自分が運がいいと思うか?」の質問一つだけで、「Yes」と答えた人を採用していたそうだ。一体、松下幸之助は何を求めていたのだろうか?
俺は、彼はあらゆる物事をプラスに捉えられる人間を求めていたのだと思う。
「自分は運がいい」と思って生きる人は、
「運がいいバイアス」がかかり、自分にとってポジティブなことに注目したり、あらゆる物事をポジティブに捉えようとする。
逆に「自分は運が悪い」と思って生きている人は、ネガティブなことばかりが目に付くようになり、さらにそれがネガティブに拍車をかけ、どんなことでもマイナスに捉えてしまい、しまいには「自分の人生は終わっている」と認識してしまう。
結局これも、人生を良いものと解釈して歩んでいくかと、悪いものと解釈して生きていくかの差である。解釈次第で人生や世界は大きく変わってくるのだ。

この世界は定義付けられているものではない。
常識や慣習だって、「こう生きてくれたら俺らに都合いいわ」という昔の誰かが利益目的のために作ったものや、「こう生きた方がいいよ」という顔も知らない誰かの感想でしかない。
あなたの世界や人生に、定義付け、意味付けをするのは自分自身であって、他人ごときでは断じてない。
他人から悪口、例えば「ブス」なんて言われたら、「お前の世界(線)では私はブスだけど、私の世界では私が1番可愛いの」でいいのだ。
事実なんてものはなく、あるのは解釈だけだ。

この世界の中の私ではなく、
私の中のこの世界

である。
解釈は無限であり、私の世界をカラフルに彩るも、無味無臭のモノクロにするも自分次第。
これ、幸せに生きる一つのコツです。

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