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この世で1番豊かなのは貧乏人であるということ

「Less is more 」

これは近代建築の三大巨匠の一人、ミース・ファン・デル・ローエが残した言葉だ。
「少ないことこそ、より豊かである」という意味である。
「神は細部に宿る」という格言でもお馴染みの人だ。この言葉は、今の物質過剰社会に生きている俺たちが今一度心に刻むべき言葉だと思っている。

なぜか?
俗に言う「豊かさ」とは、いい家に住んで、いい服着て、美味いご飯を毎日食べることだろう。そこに少々、疑問を感じるのだ。
それが「豊かさ」であるのならば、GDP3位のこの国の国民はどうして一見幸せそうに見えて、不幸せなんだろうか。なぜ、若者の自殺率はトップクラスなのか。
それは皆が、見た目の豊かさだけを取り繕い、「心の豊かさ」を置き去りにしてしまっているからだと思う。俺たちは、多い方が豊かだと勘違いさせられているが実は、少ないことこそがより豊かなのであり、心の豊かさに繋がるのだ。

なにかと少ない方が、心が耕される理由が二つある。

例えば、お金がある時に奢ってもらった飯の味なんて大して覚えちゃいないが、本当にお金がない時に奢ってもらった飯の味、その時の感動は生涯忘れることはない。その時に食ったすき家の牛丼は、いつか食う叙々苑なんかより遥かに美味いはずだ。
つまり、貧乏であると言うことは、他人の温かさを誰よりも感じることができるということだ。

二つ目に、話は戻るが、この記事のサムネはミース・ファン・デル・ローエの作品である。
内部を調べて、見て欲しい。この簡素すぎる作品に、「本当にこれが三大巨匠の一人の作品か?」と違和感を覚えた人もいるかもしれない。しかしこの簡素さ、つまり物質の少なさこそが、彼が作品を通して伝えたかった信条なのではないだろうか。
物質が少ないと人はどうするか。その余白、空白を埋めるため、想像する。この部屋の場合、物が少ない分、自分の「想像」で好きな様にできる、金のないスタートアップだったら、自社製品を広めるために、マス広告を打ったりなどはできないから、自分らでTikTokなり、チラシを配るなどのアイデアを「想像」する。好きな女の誕生日に、金がなくて欲しい物を買ってあげれない時、何が喜ぶのかを「想像」する。
つまり、少ないということは、自分の想像次第で、可能性は無限大だということだ。想像は心の豊かさの表れだ。これこそが、想像力であり、創造力であり、クリエイティブと呼ばれる物なのでもある。
俺は、結末がハッピーエンドにも、バッドエンドにもとれるようなスッキリしない映画が好きだ。情報が少ない、つまり余白が大きいほど、作品を自分の解釈次第でどんな物にも捉えることができるからだ。
「少ないことこそ、より豊か」なのである。

この国の豊かさでいう、稼いで遊んでいい物買っていい飯食って、同じことを繰り返すだけの生活。それじゃまるで回し車の中のハムスターだ。
それで本当に心は満たされるのだろうか。
漠然とした虚無感を感じはしないだろうか。
尾崎豊も言っていた。
「何かに向かって生きることこそが、本当の意味での生きるではないだろうか。」と。
金があったら「モノ」ではなく「コト」、
つまり「経験」にお金を使うべきだ。
自分が買った「モノ」は墓場まで持っていけやしない。しかし、自分が経験した「コト」はその思い出が強烈であればあるほど、色褪せることはなく、いつまでも心の中に残り続ける。
人生とは、魂が震える瞬間を何度味わうことができたかだ。それこそが本当の豊かさだと思う。今一度、自分も戒めたい。

貧乏は辛い。しかし、貧乏だからこそ味わえる豊かさもある。いつまでも、心は錦で在りたいものだ。 

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