映画をみているうえでウンザリするお約束ワースト5
映画をみているうえでウンザリすることが多すぎる。
それはお約束である。
例えばお約束・クリシェというものはうまくいけば、笑いのネタや様式美にまで昇華できるのだが、中には「もういい、もうたくさんだ…」といいたくなるものもあったりする。
今回は映画そのものではなく、ウンザリする映画のお約束について自分の意見を語っていこうと思う。
今回はランキング形式なので5から順を追って説明していきたいと思います。
5位:上映時間
近年、特にハリウッド映画でいえるのだが…上映時間がウンザリするほど長い物が増えている。
特に最たる典型例は「アバターウェイオブウォーター」だ。
本作の上映時間はなんと、192分である。
まず、アバターのシナリオははっきり言って薄い。
所詮は「アバターえらい、人間ダメ」というこの二言で済むことを190分以上もかけて描くことに正直うすら寒い狂気すら感じる。
以前のハリウッド映画はせいぜい長くても130分ぐらいだっただろう。
ハリウッド超大作の映画はこれぐらいの上映時間がベストである。
190分もポップコーンムービーなぞみてられないのだ。
4位:ポリコレ
これも近年では大いに問題になっている要素である。
しかも映画だけではなく、ゲームアニメにまで浸透している。
大体の場合は同性愛者同士の恋愛は尊い・清い・純粋な物として描かれる。
ドクターストレンジハウスオブマッドネスでは、なんとさらっと同性愛者をいれてきたのだ。
映画自体は悪くはないが、正直いってそこまで推されても「逆にうざい」と感じてしまうのだ。
さらにご丁寧な場合は黒人様が白人やアジア人を丁寧に導く・あるいは女性様のやっていることは全部正義であり、正解で正しいものであると傲慢な描き方を無意識で行っていることが多い。
恐らくこれらの要素は今後は「描かなくてはいけないもの」として定着しようとしているのだから、まあ非常にこれを推している人間は心底軽蔑してしまうのだ。
3位:ステレオタイプな無能
これは洋画邦画問わず全ての映画でよくあるが、製作者の政治的メッセージや主張のためにわざと「無能」としてゆがめられるキャラクターが多い。
こういったキャラクターは心の奥底から製作者の蔑視的な視線を感じるので、愛が感じられないことがしばしばある。
まさしく、作品のご都合主義のための道化役・嫌われ役として置かれている。
まあ、大体の場合は権力者であったり、政府側の人間であったりする。
例えばロジャー・コーマンのモンスター映画のように「あるある展開を楽しむ映画」ならいいが、「大怪獣のあとしまつ」のようなコメディの場合だと、イライラに代わってしまうことがある。
2位:説明台詞
これはハリウッドよりも日本の映画によくあることだが、説明台詞がやたらと多い情報量のとにかく多い、しかもそのほとんどが無駄な映画がやたらと多いのだ。
特にその最たる典型例は「シン・エヴァンゲリオン」というか、庵野秀明作品だ。
大体↑の画像のキャラがいきなり唐突に思い出したようにセリフを連呼し始めるのだ。
恐らくその多くは「どうせ、今すぐ思いついたんだろ?」とうがった目でみてしまうものばかりであったりする。
基本的に言っておくが、映画というのはセリフではなく、映像でストーリーを描くメディアであることを忘れないでほしいものである。
1位:泣き叫ぶ男
このウンザリする「お約束」シーンで一番イライラするのはこの邦画特有の泣き叫ぶシーンだ。
なぜ、いつから、邦画でこのように泣きわめく場面が増えたのだろうか。
しかも泣きわめくのはいつも男である。
「うわああああああああああああ!!!」とまあ、泣き叫ぶのだが…実際問題考えてほしい。
皆さんはいくら悲しいことがあっても泣き叫ぶだろうか?
本当に泣くときは一人でざめざめと雨のように泣くのではないだろうか。
しかも泣き叫ぶシーンで、よせばいいのに外でなくのだ。
最悪の場合はこの泣き叫ぶシーンが予告編でついてくることが多い。
もう、本当にこのシーンがあるだけでその映画をみたくなくなってくるのだ。
これについてはおそらく、邦画の関係者・キャストが舞台劇を中心にしている人が多いという事が原因なのではないかと思う。
もう今一度こういうのやめましょう。
正直、共感性羞恥が激しいです…。
まとめ
まあ、総合して言えば、基本的にこれらの「よくあるクリシェ」をふんだんに入れる映画はもう二度と見たくないし、これを称賛する人間と同じ空気を吸いたくないとすら思ってしまう。
はっきりいって、本気でもうこれらはやめにしてほしい。
いい加減に…。
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