見出し画像

顔も見たくない

この夏、植物を育てていて初めて「植物を見るのすら嫌だ」というネガティブな気持ちを抱いてしまった。あんなに植物たちを眺めるのが好きだったのに。暑いのにベランダに出て大量の植物たちに毎日2回は水やりをしなければならないのが堪えた。

ふと、これは子育てでよく聞くアレと似ているのではないか、と思った。母親になった人たちは「どんなに子どもが愛おしくても、(子育てがしんどくて)ときには顔も見たくないときがある」と口を揃えて言う。不妊治療を経て待望の子どもを迎えた会社の先輩も「憎たらしいときが何度もある」とこぼしていた。

人間だろうと、植物だろうと、「育てる」過程には必ずつきまとう感情なのかもしれない。

まだ子育てをしたことがないから分からないけれど、植物を育てていると子育てに置き換えられる気づきがあるから、やっぱり似ているんじゃないかと思う。(以下のnoteにも書いた)

ただよく考えると、「育てる」ことに限らず、何かを長く続けるときにこの壁は立ちはだかる気もする。

中学から高校までずっと吹奏楽部で毎日のように練習していたけれど、ときに楽器を触るのも嫌になったりした。仕事もそうだ。PCを見るのも嫌だったり。

でも、その過程に「幸せな喜ばしい瞬間」が必ずあるから。だから、頑張れるんだよね。(不妊治療はそれが一切ない中で続けないといけないんだよなあ・・・)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?