ADHDっぽい私が心理学を仕事にするまでの話5 ~これが科学的というものかと妙に納得した話~
前回のお話はこちらから
大学生活の一里塚:ゼミ選択
レポート作成に明け暮れ寝不足の日々が続く2年次の心理学基礎実験を終えますと、はれて3年生に進級できます。
3年生では、4年次での卒論の指導教授となる先生を決めるゼミ選択が必要です。これはどこの学部も共通ですね。
当時私の出身大学には、6つのゼミがありました。
分野でいいますと、知覚・学習・教育・生理・感情・臨床、になります。
その中から一つ選ぶわけですが、ゼミ選択って、何が基準になるのか、それは個人個人で違うでしょうけど、私の場合、指導教授の指導内容で決めました。
・・・当たり前のように思えますが、実際のところ、教授との相性とか、ゼミ内での人間関係、指導が丁寧か厳しいか、などで選ぶ人も多かったようです。
実際、指導が厳しいことで有名な教授のところはたしか、希望者が2名だったと思います。
当然、人気のある分野ややさしい教授のところには希望者が殺到したりしますので、人数の調整がされることもありますが、私の場合、すんなり、「知覚心理学」の研究室に決まりました。まあ、人気という点では「可もなく不可もなく」というゼミです。(個人の感想です)
選んでよかった「知覚心理学」
臨床も選べたのですが、当時の私の心理学への向き合い方である、まずは人間の本質の理解というカチカチの「こだわり」が頭をもたげ、かつ教授が研究されている内容が、私にはマッチしていると思ったからですね。
人が物事を知覚して、認識する、その中に、心理学という枠を超え、大脳生理学や知覚論、認識論、という哲学的な考察も含まれ、人間の神秘というか、豊かな創造性、知性、適応力、というような、人が人であるべき本質が見え隠れする、それも、科学という枠組みでは計り知れない何かが(逆に)に見えてくるような、そんな奥深さがを感じたことが魅力でした。
さらに、教授の論文などを読むと結構、私が傾倒していたニューサイエンス、トランスパーソナルな視点の記述も多く、「価値観が合いそう」と思った次第です。(なんか上から目線ですがご容赦ください)
ちなみに、ゼミでの研究内容は「ゲシュタルト心理学」という大変古典的な理論に基づくものでしたが、「知覚心理学」は現在「認知心理学」とか「認知科学」として脳科学やAI(人工知能)開発などとの学際的な研究として発展し、現代では心理学の研究領域の中でもある意味「花形」ともいえる領域になっていると感じています。(個人の感想です)
実際のところ、ゼミに入ってからは、「やっぱり基礎的な実験か…」と少し後悔もしましたが・・・今では、この時の選択をした自分をほめてやりたいくらい、やっててよかったと心底思っています。
やはり、私のように特性を持っている場合は、「こだわり」や「職人気質」なところを利用して、ベースをしっかりと創ることを第一に、遠回りをしながらのんびりいくのがいいのかもしれません。
もしこの時臨床を選んでいたら・・・多分、挫折体験を繰り返し、今日の私はいなかったかもしれません。
科学的って面白いと思った体験
さてさて、大学3年のゼミ生活ですが・・・、2年次の過酷さをくぐり抜けているので、実は比較的「ラク」でした。
量的には、ですが。
基本的には指導教授の専門分野(上記の通り知覚心理学)に特化した実験を行い、それをレポートにまとめることと、英文献を読み、それをレジュメにまとめて、卒論のたたき台を作る、というのが年間を通しての課題で、質的な面ではかなりグレードアップしました。
この時に心理統計法の具体的な方法に触れ、実験計画法から始まり、データを用いて表の作成、グラフ化、検定など、データマイニングについてみっちりと学ぶ必要がありましたし、実際の実験手続きの準備・実験の実施、英語文献の翻訳もあり、課題としては大変でしたが、目の前の課題を粛々とこなす中で、ある意味、科学的思考の面白さを感じた頃ではありました。
前の記事でも書きましたが、割と私は「オカルト」好きでもありましたし、現代科学のいわゆる要素還元主義的なところよりもホリスティックな見方をするニューサイエンスやトランスパーソナルな考え方が好きで、(これがのちに、マインドフルネス、コンパッション(慈悲)といった東洋的な概念に傾倒していく元になるのですが)それでもサイエンティフィックな立場を保つことの重要性も認識しているつもりです。
ちなみに,、ニューサイエンスとはこんな本↓を読んでいました。
それには、この大学時代の体験が大きく影響していることは確かだと思っています。
そんなこんなのこの1年で、卒論作成のめどを付け、4年次になってから、本格的に卒論作成生活のスタートです。
今回もお読みいただきありがとうございました。