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見えない! 〜着席と起立の間で

着席と起立の間で、今あなたの背中の向こうのステージを透視している。しかし見えるのはさらに前に立つ人々の背中ばかり、マイクに向かうあの方の姿は肩の草原の隙間からちらりと出たり引っ込んだりするのがかろうじてわかる程度だ。

皆が座っていたならば、客席の傾斜は見晴らしのよいステージを万人に提供してくれただろう。しかし、5列目くらいの男が立ち上がった。するとそのすぐ後ろの人は立たねば何も見えない。そこからは、倒れていくドミノの逆の動きで、順番に人が立ち上がっていく。コンサートで立つことは、自分の後ろの人間を立たせることでもある。ここで私が立ってしまったら、この連鎖は最後列まで続いてしまう。

元気に動き回っているがあの方も齢57、デビュー30周年を迎えファンも同じだけ時間の層を重ねてきた。なんなら立って飛び跳ねるより、座って身体を揺らしている方が音もよく聴ける。ところが、上がらない腕を一所懸命に突き出す人々が後を絶たない。君たちに音楽は聞こえているのか? 少なくとも私には、その腕はともかく、その背中で、視界のステージへのアクセスが遮られている。手なら座っていても挙げられるのに。

いっそ全く壇上の見えない席の方が清々しかったかもしれない。カールした長髪やギターをピッキングする腕がちらちらと見えるのがかえってもどかしい。

2階席である。ここがアリーナだったら、文句はない。しかし、2階席である。チケットも1階のスタンディングと2階の座席は券種が分かれていて好きな方を買えるようになっていたじゃないか。しかも、スタンディングより2階席の方が早々に売り切れ、スタンディングのチケットは直前まで購入可能だった。それはつまり、皆座ってこのステージを楽しみたくて座席券を買い求めたということじゃないのか?

あの方が何かを叫び、客席がドッとなった。しまった、聞いていなかった。なんて言った? このままではいけない。もうなにも考えず立ってしまった方が楽しめるかもしれない。しかし、そんなことをしてしまっては後ろの人々が気の毒だ。負の連鎖はここで断ち切る方がいい。

曲が終わり、次の曲のためにステージではギターを持ち換えたり、水を飲んだりしている、見えないのでわからないが多分そうしている。その間に、そっと後ろを向いてみる。と、立っている! 私の真後ろの人を先頭に、最後尾までずらっと人が立ち上がっていた。最近やっていなかったあの曲のイントロが鳴り、人々は強い風に吹かれた麦畑のように激しく動いた。ステージの方を向き直ると、前方の景色も同じようなフィールズ・オブ・ゴールド。頑なに座って動かない私は、畑に転がる邪魔な石のようだった。

後ろが立っているなら思い悩むことは何もない。私の熱気は坂を転がるように加速していく。立ち上がり、腕を振り上げ、向けられたマイクに向かってラララと叫ぶ。楽しい!

曲間のMCになり、あの方に促されて麦畑が一斉に一段沈む。あちこちで「よいしょ」という声がするのが、爆音で鈍くなった耳にも微かに聞こえる。水を飲みながらふっと隣を見る、と……ああ、忘れていた。君のための席が冷たい。



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