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或る街の断章/グッド・バイ

手を挙げたとたんにタクシーが突っ込んできて、四台がとまった。一台でいいと言うと、誰がいちばん最初にとまったかで争いが起こった。

取っ組み合って漫画のように舞う土埃の合間を縫って這い出た私は、歩道に沿って先へ急いだ。赤信号の下、黄色い機械に埋め込まれた赤いボタンを押す。ずっしり重く、なにか重要なボタンのような錯覚に陥るが、押して数十秒後に信号が赤から青に変わるだけのボタン。数十秒後、街中すべての信号が青になり、無数のクラクションや怒号が響いた。

この街はなにもかもが過剰だ。二メートルはあろうかという高級生食パンのほとんどを紙袋からはみ出した状態で持ち運ぶ人々。それも五人や六人ではない。目につく範囲だけでも四〇人はいた。

買う者が多ければ、廃棄される量もまた多い。この街の食糧問題や環境問題は膨れる餅のように増幅し、この星全体の問題となった。すべては過剰なこの街から始まったことを、私たちはもう忘れている。忘れて、靴下を四足履き、ジャケットを二枚羽織り、クレジットカードを十二枚携えて人々は歩く。

歩道は過剰に広いところと過剰に狭いところしかなく、どちらでもよく事故が起こった。人に劣らぬ数の犬猫が闊歩し、さらにそれを超える数の鳩と烏が離陸と着陸を繰り返した。ゴミ収集の車両は昼夜問わず往来し、街は常に悪臭に覆われていた。しかし、ディストピアと呼ぶには人々は等身大の生活者としての幸福を味わっていて、幸福は過剰にあふれ出すほどであった。そして、ユートピアと呼ぶには、街の機能が破綻しすぎていた。

***

画家は言った。

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」

別の画家は言った。

「我々は後から来て、先へ行くのだ。」

このやりとりは川の両岸から叫ばれ、言い合いに決着をつけるべく川には橋が架けられた。しかし、橋が遂に完成した時、ふたりの画家はもうこの世におらず、それぞれが残した数枚の絵だけが残った。絵はしばらく橋に飾られたが、雨に晒され朽ちて落ちた。ふたりの画家が結局どこへ行ったのか、誰も知らない。

このことは「絵橋町」という地名にその面影を残すのみである。

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ピザの配達に来ただけの男は、エレベーターのない塔のらせん階段を数十分上がり続けていた。脚はガクつき、ピザは冷え始め、目的の階にはまだたどり着かなかった。

男が上がっているのは、日本家屋に不自然に一本だけ突き刺さったゴシック風の尖塔だった。石造りの塔の中は冷気を帯び、上階に行くにつれ空気が薄くなるような錯覚を男に起こした。いまや男は一歩ごとに眩暈を強くし、上がった末に頂上から落下するイメージに苛まれていた。上に行けば行くほど、墜落のイメージは鮮明になっていく。その中では、何者かが男を突き落とそうとしていた。ふたりはもみ合い同時に墜落するが、男が地面に激突し臓物を周囲に散らすまでに、もうひとりの姿は消えてしまう。

だんだん、相手の姿が鮮明になってくる。時代遅れな黒いマントに身を包んだ長身の男で、口元からは尖った歯がのぞく。ぺったりと後ろに撫でつけられた髪が面長の顔面を際立たせている。が、いまだ顔の印象ははっきりしない。どこかで会ったことがあるような気がした。誰かをつきとめるには、ピザを届けるには、男は上がり続けねばならない。

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新興の墓地には整然と平たい石が並んでいた。ビルの隙間から日が差し込む街の一等地は、死者たちのために整備され、あてがわれたのだった。

墓石のサイズは皆平等に小さく、平たい土地ながら、同じ土地にタワーマンションを建てた場合の居住者と同じ数だけの死者が眠っている。

遠目からは他と変わらぬ墓石のように見える一画に並んだのは太陽光パネルで、周辺の家庭やオフィスに電力を提供していた。

死者をあたたかく迎え、あたたかな光を生む土地として墓地は街の住民たちにアピールされ、街で死んだ者は皆この墓に入った。生きているときは一切光に当たらず、死んで初めて日光のあたたかさを知る者もあったという。

墓地ができてから、娯楽としての散歩を知った者もいる。いまや墓地は街の人々に欠かせない場所である。

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梅の花が咲いた。

立ち入り禁止の屋上で咲いたので、管理人以外が気づくことはなかった。

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街から出るとき女は、もう戻ってくることはないだろうと思った。

十年後、女が戻って来た時、彼女の精神は傷つき荒んでいたが、街の様子は変わっていなかった。街は、彼女が出ていったことを責めも嘆きもしなかった。その代わりに、歓迎もしなかった。

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外の空気を取り入れることにメリットはなかったので、その窓は最初から開かないように設けられた。そのせいで女は、窓の向こうで毒薬を飲む恋人を救えなかった。

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街の人々は皆忙しく、挨拶をしても返ってこない。

「さようなら」だけは例外で、誰かが「さようなら」と言うとすれ違う者は次々に「さようなら」と返し、輪唱のように声が広がった。最期のあいさつくらい、反応してやらないと街を去っても去りきれないだろうという気遣いが生んだ文化である。

祖父にもらったばかりのニット帽を風にさらわれた少女は、空を見上げて言った。

「さようなら」

見知らぬ老人が曲がった腰から生えた首をゆっくり少女と同じ方に向ける。

「さようなら」


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