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日常

ガタンッ……

うつらうつらしていると地面が大きく揺れて隣の人と肩がぶつかった。

「……すいません」

顔も見上げずに小さく頭を下げた僕は指を引っ掛けていた吊革を握り直した。

AM8:17。大学へ向かう僕を運ぶ電車は大きなカーブを曲がってトンネルに向かって勢いを上げた。

ファン!

警笛を高らかに鳴らし、衝撃音とともにトンネルへと突入した。

さっきまで街並みが流れていた車窓が真っ暗になり、そこには就活に疲れた男子大学生の顔が浮かび上がった。

「……おっさん」

そのやつれ顔は目も当てられないものだった。

合った目を逸らすように僕は車内を見渡した。

そこに押し込められた人々は背格好や年齢、性別こそ違えど皆揃って手元の文明の利器に傾注していた。

その目は青白い光を映すだけで何も見えていないかのような色をしていた。

大学生活は思っていたより派手じゃなかったけど思っていたよりしんどくもなかった。

ただ、いつも同じような時間に起きて授業に出て課題をやって長期休みになって。休みが終わればまた……

そんな繰り返しになんの違和感も覚えなかったし、悪いとも思って来なかった。昨日と同じ枠からはみ出さないことが幸せだと思っていたから。

ただ、就活が始まって皆で同じような黒いリクルートスーツを来て同じような志望動機で同じような面接を繰り返して連れが何人か内定もらっても僕はまだ貰えなくて。

それでいいのかなって考えているうちに周りがどんどん内定を貰って、焦っていろんなことやってみるけどもう手遅れで。

そんな不安を抱えたラッシュアワーの電車でその不安の具現化というか、末路というか、屍というか。

そんなものを見てしまった僕の本能が「逃げろ!」と訴えてきた。

『次は、……。お降りのお客様は……』

減速して横向きに重力がかかる人の森の中、僕は体を捻って扉に近づいた。

空気圧が抜ける音ともに人の森の間伐が始まった。僕が睨んでた扉は開かなかった。

「反対かよ……」

その呟きを最後に僕はまた人の森に飲み込まれ、僕らを乗せた電車は決められたレールの上を転がり始めた。

窮屈さに息が詰まりそうになりながらまた人の森を縫って扉に向かう。

僕が行きたかったのはいい大学でも大企業でも何でもなかった。行きたい場所なんてなかったんだ。

僕はただ、抜け出したかったんだ。途中下車する自由すらないこの

日常から。

〈完〉

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