最終列車
がたんっ……
いつの間にかうとうとしていたみたいで、電車の揺れで目を覚ました。歪んだネクタイを締め直す。
懐かしい景色が窓の外を流れていく。
誰もいない。田舎の2車両ワンマン列車。古い音を立てながらゆっくり走る。
今日、僕はこの町を離れる。誰にも伝えていない。
アイスの味で喧嘩したあいつにもしょうもないことでも笑ってくれたあいつにも幼なじみのあいつにも。
そして思いを寄せていた彼女にも。
何も伝えずにこの電車に乗りこんだ。勇気がなかった。
別れを告げたはずのあの町での思い出が胸に浮かんでは消え、消えては浮かび……そんなことが繰り返されて涙が出そうになった。
その時、座席が少し沈む感覚があった。
横を見ると何も知らないはず彼女が座っていた。
「なんで……いるの?」
「…………」
彼女は何も答えなかった。こちらを見てさえくれなかった。
その横顔はあまりにも綺麗でなぜか僕はそれ以上声をかけられなかった。
ただ、いや、目が離せなかったからその横顔を伝った涙を見逃せなかった。
「ごめんね」
なぜか謝った。その涙が僕のせいな気がしたから。
それでも彼女は何も言わず、こっちも見ないで手の甲で涙を拭った。
僕は立ち上がってすすり泣く彼女との隙間を埋めた。
肩がくっつきそうなくらい近くに座った。彼女の膝に置かれた小さなその手を握ろうと自分の手を近づけた。
でもなんだかそれは出来なかった。
「好きだったんだ、君のこと」
それだけのことを言いたい。でも、それだけのことが言えない。勇気が出ない。
耐えられなくなって目線を窓の外に戻した。電車はトンネルに入った。
トンネルを走る轟音の中、僕は何も言わず窓に映るふたりを見つめた。ずっとこのまま、直接君と目を合わさないでお別れしたいと思った。
でも突然、窓に映ったふたりが光に消えた。そこにはまた同じ景色が流れるだけだった。
僕の肩に彼女の肩が当たった。僕は思わず彼女を見た。
止まらなくなっていた彼女の涙を僕は一生忘れないだろう。
僕は彼女を強く抱きしめた。彼女のしゃくり上げる息遣いを感じるほど近く、強く抱きしめた。
「また必ず会いに帰ってくるよ。約束する」
「……待ってる」
こっちを振り向いた彼女の言葉と舞った涙を最後に僕の記憶はない。
次の記憶は夕暮れの知らない駅で車掌さんに起こされたところだった。
あの日から8年が経った。今日彼女が結婚する。
相手は東京のエリート商社マンらしい。彼女が育った思い出のこの町で式を挙げる。
そのために僕は8年ぶりにこの町に帰ってきた。
あの日の出来事は夢だったのか。今になってもまだわからない。
ただ、あの約束だけはいつでも頭の片隅にあった。でも、僕は最後まで守れなかった。
彼女の花嫁姿はきっと綺麗なのだろう。それでもあの日見た涙を流す彼女が僕にとってはいちばん綺麗だ。それは変わらない。
古いスピーカーから流れるアナウンスで電車が止まる。
僕はネクタイをもう一度締め直して、あの日以来のこの町に降り立った。
〈完〉
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