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あの日僕は咄嗟に嘘をついた

パシャッ……

僕は何も無い青空をフェンダー越しに覗いた。

僕はいつからか、景色だけをカメラに収めるようになっていた。その写真は枚数だけが溜まっても画角は何ひとつ変わっていない。

その理由はわかっていた。写したい「被写体」が無くなってしまったからだ。

僕がファインダーを覗くようになったのは大学1年生の夏休み前。大学の中庭のベンチに腰掛ける彼女を思わずスマホのカメラに収めたあの日だった。

カシャッ……

「え?」

「あ、ごめんなさい。すぐ消します」

「ううん。どうして撮ったの?」

首を振った彼女が怒っているのかと思って恐る恐る答えた。

「君が、綺麗だったから。その、思わず……ごめんなさい」

「ふふ。そんな風にまっすぐ褒められると照れるよ」

「ごめんなさい」

「謝らないで。それからその写真、消さないでね」

そう言って彼女は立ち上がって歩いていった。

僕のスマホに残った写真は少しブレていた。

それから数日後。また同じベンチで彼女と会った。

彼女は僕が撮った写真を見て「下手くそだね」と笑った。僕も恥ずかしくなって一緒に笑った。

それから僕は何枚も彼女をカメラに収めた。気づけば僕のカメラはスマホから少し安い、でも大学生にとっては少し背伸びをした一眼レフカメラに変わっていた。

好きだった。ファインダー越しで僕に微笑みかけてくれる彼女のことが。

同じ講義を取って広い講義室の後ろで現像した写真を並べてふたりのお気に入りを探したり、その写真をコルクボードに貼り付けたりした。

日に日に腕を上げる僕の写真は彼女はいつも褒めてくれた。僕と彼女は想い合ってたし、それは僕の勘違いなんかでは決してなかった。

ただ、僕はその想いを口にすることはなかった。

できなかった、わけではなかったと思う。臆病なだけと言われれば言い返せないが、それでも僕は言わなかった。

それは彼女には高校時代からの彼氏がいたからだ。彼女も僕とふたりで会ってることは内緒にしているようだったから僕もそれ以上踏み込むことはしなかった。

しかし、そんな僕の想いに気づいているのかどうなのか。彼女はある日こんなことを口にした。

「撮って欲しい世界があるの」

その言葉がわからない僕に彼女は1枚の写真を見せてきた。

そこに写ってたのは京都の夕日ヶ浦海岸だった。

もちろん日帰りで行けるような場所ではない。まさかと思って顔をあげた僕に彼女は笑いかけた。

「一緒に行こ?もちろん泊まりで」

僕はすぐには返事が出来なかった。でも、きっと彼女は勇気を出して誘ってくれたのだと思うと断ることも出来なかった。

結局、試験期間が終わった春休み。僕と彼女は京都にいた。その夜の宿で僕たちは一線を超えてしまった。

帰ってきてからしばらく会わなかったのだが、ある日。僕は彼女に呼び出された。そこにいたのは彼女とその彼氏だった。

「お前か。一緒に京都に行ったの」

僕は驚いて彼女の方を見た。彼女は俯いたまま、目を合わせてくれなかった。それを見て僕の肩の力は何故か抜けた。

「えぇ。行きました」

「彼氏がいるの、知ってたよな?」

「知らなかった、って言ったら嘘になりますね」

「ふざけんなよ!お前が誘ったのか?!2人で何した!」

僕は彼の必死さに少したじろいだ。

「何した、って言われても写真を撮りに行っただけです。夕日ヶ浦海岸ってとこまで」

「写真を撮りに行っただけなわけねぇだろうが!」

「なんでそう決めつけるんです?」

「2人で旅行に行ったってことは、お前にその気があったってことだろ!違うか?」

僕はその剣幕から目を逸らさないように足に力を込めて小さく息を吸った。しかし、咄嗟に口をついたのは本音ではなかった。

「その気なんてありませんでしたよ。だから彼女のこと、大切にしてやってください」

そう言って僕は踵を返した。彼女に一瞥をくれることもなく。

その夜、僕は泣いた。何かを吐き出すようにえずきながら一晩中泣いた。

あの日から僕と彼女が会うことは二度となかった。僕の手元にはカメラだけが残った。

あの日の嘘が時折、僕の心に滲んだ。

あの日の嘘さえ飲み込んでいれば今も彼女を写していたかもしれない。そう思うと僕はまた忘れようとファインダーを覗き続けた。

それから10年が経った。

現実からファインダー越しの世界へと逃げ続けた僕は小さなギャラリーで個展を開けるほどの腕前になっていた。

その日も東京の隅っこで『被写体の居ない世界』という写真展をやっていた。

少しずつではあるが、いつも来てくれる人が増えてきてその人たちと話しているとなんだか暖かい気持ちになれた。

だから僕は今日も見に来てくれた人たちと自分の写真を眺めていた。

すると、後ろから声をかけられた。

「あの、撮って欲しい世界があるんです」

〈完〉

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