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沈むクリエイティブ

4年に1度しかない2/29。毎日の自転から出たわずかなズレを合わせる日。
太陽や地球だって正確に出来ないわけで、人間だって例外ではない。しかし、そのズレを見つけたのはズレてる人間なわけで、とうとうよくわからなくなってくる。

日常にはいくつものズレが生じてる、そんな気がする時が多々あると思う。親と意見が合わない、友達と感覚が違う、甘いものってみんなが好きだと思ってた、とかとか。悪いように聞こえたかもしれないが、合っていることがそもそも正しいとは限らない。自分が歩いてきた道を振り返ってみると、ズレていたことばっかりだ。中でも異常にズレていたと感じるのは、18歳前後からのモラトリアム期なのではないだろうか。

私は22歳で大学生になり、モラトリアムの沼からは片足くらい出していた時、同級生の大学1年生たちは絶賛モラトリアムの沼にどっぷり浸かっていた。


ある子は

「夜になったら消えてなくなりそうになる。孤独に耐えられないんだ」

またある子は、

「酔えば嫌なこと全部忘れられる。だけどお酒を飲んだら、嫌いだった母親と自分の行動が重なるのが辛い。」

そんでまたある子は、

「もうどうすればいいかわかんない。どうしていろんな人が別々のことをしたらいいって言うの」とかとか。

それぞれ人生があって、敏感な人は自分だけのズレに気付いちゃって、他人から見たら必要以上に負の感情に支配されちゃう。ただ、その負の感情にはとても大きな力があると私は思っている。

正でも負でもその感情になった自分がいるってことは、心が動いたってこと。赤ちゃんの幼いときは毎日が新しい経験ばかりで心が動きっぱなしだけど、歳をとるにつれて新しいことより安定を求める様になる。それと同時に心も動きにくくなる。だけどモラトリアム期のいろんなズレから生まれた感情は、考えるきっかけになる。心地悪いところから抜け出すことを考えるきっかけになる。

負の感情から生まれる力は、もっと心地良くなるための正の感情が生まれる。心が動いたって事実がとても貴重なことだ。もしかしたらみんなは経験してない感覚になっているかもしれない。到達したことのない深いところまで沈んでいるのかもしれない。そのズレが新しい発想、救いになる考え方、まだ見ぬ希望になる日だってあるのかもしれない。

私自身、負の感情があるときが最も頭が冴えていると感じる。沈んだ時こそ新しい発想が生まれてくるものだ。あの時のあの子たちはとてもクリエイティブだった。訳のわからない言葉も平気で並べて、私にわかってもらいたいのか、ただ自分の身体の中にいると気持ち悪くて吐き出したいのか、何も考えてないのか、全く読めなかった。それは良いことで、少なくとも悪いことじゃなくて、私の元に届いた時にはしっかりと爪痕を残し今でもふわっと思い出す。あんなこと言ってたなぁと糧にする時だってある。心が動いている。心が動いた。


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