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【しごとの哲学】 天職って

今日もネタ集めに翻弄する日々。
仕事終わりにネタ探しとストック作りと今日の投稿を同時並行しながら、
どうにかこうにかやりくりしている状況。

そもそもの話、仕事でもプライベートでも
少なくともこの地球上に楽な仕事という概念は、万に一つもない
というのが私の中の結論である。

会社員だろうが、経営者だろうが、
コンビニ店員だろうが、警察官だろうが、医者だろうが
大工だろうが、花屋だろうが、作家だろうが
フリーランスだろうが、フリーターだろうが、学生だろうが
肉体労働だろうがデスクワークだろうが
現時点で働いていようがいまいが

みんな何かしら陰でしんどい仕事・作業というものが含まれている。
子供のころ憧れた職業は、そうしたすべての
見えざる陰の苦労あってはじめて成立するものだ。

なので「楽な仕事」を基準に仕事を探そうとすると
結果的にもらえるお金が少なくなるか、お金の割りに見合わない条件か
それに準ずるデメリットが付いてくるのが自然だろう。

じゃあ、そんな苦労と常にセットの仕事という存在において
自分にとっての天職とは何なのだろうか。
という疑問は、すぐに自分の生き方を決められた人を除いて
誰しも1度は考え通る道だろう。

私もたいそうなこと言えた義理ではないが、
天職とは、
仕事における「しんどい部分」に対して
自分の中にある何かしらのエッセンスが加わるかどうかで
判断するしかないだろう。

例えば「農家」の場合、
(毎日畑の管理をし、土の様子を確認し、流通から生産まで暗黙のルールに
縛られながら作物に向き合う)
という話を聞いて
「ああ自分無理っす」と拒否反応がでてしまう人がいるのと同時に
「えーそれ普通じゃね」
「それも野菜育てるための大事なことでしょ」
と平気へっちゃらと考える人だっている。
実はこれ、どちらも正解なのだ。

さらに言えば
「この苦労で大勢の人の食料になるんでしょ。誇りだわ」
なんて、それはそれは人間の鏡のような考え方をする人もいるわけだ。

つまり事実としての「仕事のしんどい部分」に対して
あなたが感じた「思い」を掛け算した結果、

なんとなくいいな

そう感じることが出来たら、天職につなげるきっかけではないだろうか。

冒頭の部分にちょっと戻るが、
私がnoteを続けていられるのはネタ探しやストックづくりも含めて
「面白い」と感じている部分が大きい。
継続する原動力になっているのだ。

ただし、きっかけはあくまできっかけだ。
きっかけのままでは本当の天職にはつながらない。
ちゃんとそのしんどい部分と向き合って初めて天職が確立する。

また、天職はたった1つでも、1つじゃなくてもいいということ。

「私にはこれしかない」と考えるならば、
その仕事に一生懸命取り組んだり探したりをすればいいし、
「前の仕事も天職だと思ったし、今の仕事も天職だ」と考えるなら、
どっちも大切な経験として心の糧にすればいい。

いずれにせよ。
その天職だってしんどいことのひとつやふたつくらいある。

要は「その苦労を受け入れてもいいよ」と思える世界に
勇気をもって飛び込むか、自分で作り出す努力のどちらかを怠らなければ
死ぬまで天職にまったくありつけないということは、なくなると思う。

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