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子供の成長の過程を表現する絵本『もりのなか』

文&絵:マリー・ホール・エッツ
訳:まさき るりこ
出版社:福音館書店


<あらすじ>
ラッパをもって森に散歩にでかけた男の子は、ライオン、ゾウ、クマと、いろいろな動物たちに出会います。男の子はラッパをふきながら、みんなと行列をつくって森をお散歩。そして森の中で、かくれんぼをはじめますが、男の子が鬼をしているうちに、動物たちは姿を消していました。かわりに現れたのは、お父さん。「またこんどまでまっていてくれるよ」、お父さんはそういうと男の子を肩車にのせて、おうちに帰っていきました。

福音館書店 公式HPより


物語は主人公の「ぼく」が森に散歩に出掛け、出会った動物たちと行列をつくって行進する。途中でおやつを食べたり遊んだり。
最後にかくれんぼをしているとお父さんが迎えに来て家に帰るという、特に事件がある訳でもなく、至って地味なストーリーです。
絵も白黒のクレパスで描かれていて、幻想的というよりちょっと怖さも感じます。

一読しただけでは「どこが面白んだろう?」と首をかしげてしまうような絵本なのですが、読み聞かせの時、子どもたちは静かに集中してこの絵本を楽しんでいるようでした。

「ぼく」は森の中で自由に遊びます。
まるで自分の空想世界を王様のように「ぼく」主導で、百獣の王ライオンだって「ぼく」の後ろに従い行列に続きます。
大きな象や熊たちも身支度を整え整列して歩きますが、最後に登場するウサギだけ「ぼく」の後ろではなく隣に並んで黙ってついて歩きました。

「ぼく」はウサギに向かって
「こわがらなくって いいんだよ」
「きたけりゃ、ぼくと ならんで くれば いいよ」と誘います。
いたわる様な優しさで、明らかにウサギだけ特別扱いです。

このウサギの存在の謎が、最後にシンボリックに父親が登場したことで紐解かれていきました。
父親は社会性を象徴しています。
森の中(想像の世界)で遊んでいた「ぼく」を、迎えに来たのが母性を象徴する母親ではなく、父親だったからです。

私の子どもたちも幼稚園へ通っていた頃は、一人でごっこ遊びを良くしていました。
一人何役もこなして、もちろん自分が主人公のヒーローです。
ソフビ人形を何体も使いこなして、最後は正義が勝つストーリーです。
ところが幼稚園も年長になり、祖父母からランドセルをプレゼントされたり、文房具を揃えたりしているうち、徐々に心がざわついてきます。
見知らぬ社会への旅立ちです。嬉しい反面不安もいっぱい。
小学生になったら勉強しなくちゃいけない。
友だちできるかな?
先生は怖いかな?
朝起きたら自分で身支度をしなくちゃいけません。
絵本の中ではライオンが自分で髪をとかし、象たちはセーターや靴を自分で身に着けています。そして行儀よく一列に並んで歩くのです。
「ぼく」は森の中(想像の世界)で動物たちを使って予行練習をしていたのかも知れません。

ちゃんとできるかな?

この不安いっぱいの心細い「ぼく」の心を、絵本の中では物言わぬウサギで表現しているのではなかと考えました。
不安な気持ち(ウサギ)は遊んでいる「ぼく」と並んで寄り添って歩きます。
このままずっと自由に遊んでいたいけど、きっといつまでも続かないよね?
かくれんぼして遊ぶ「ぼく」の足元で、ウサギはだまって座っています。

そこへお父さんが登場し「いったい だれと はなしてたんだい?」と優しく問いかけます。 
お父さんは大きくて堂々としていて、憧れの存在です。
強く逞しいお父さんにいざなわれ、ようやく踏ん切りがつきました。
今までかくれんぼしていた動物たちだって「きっと、またこんどまで まっててくれるよ」と、いつでもここに来て自由に遊べることを教えてくれたのです。
いつの間にか不安気なウサギもいなくなっていました。
お父さんの肩車で家路につく「ぼく」には、いつの間にか迷いや不安も消えているようです。

ここまで絵本『もりのなか』の考察をしてきましたが、私は随分と無粋なことをしたのかもしれません。
この絵本は1963年に初版され、半世紀以上も世界各国の書店で売られ続けています。
それだけの名作絵本なのですから、その時々の子どもたちの感性の中に、そっと存在し続けているはず。
絵本の事は次第に忘れてしまっても、『もりのなか』で追体験した感覚は細胞のひとつひとつに刻まれていると思うのです。


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