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尊敬する人は誰?

今日一日頭から離れなかった言葉。
道に迷った時
尊敬する人だったら、こんな時はどうするかを考える

特に人生の道に迷っている訳ではないけれど、自分が尊敬する人っていったい誰だろうと、解決策の鍵になる部分で悩んでしまった(笑)

好きな人はいっぱい名前が上がってくるけど、尊敬する人となると思いつかない。
子どもの頃は単純にマザー・テレサとか、ヘレン・ケラーとか、偉人たちの伝記を読んで凄い人たちだ!!と感動していました。
私もマザー・テレサのように慈愛に満ちた人になりたいとか、ヘレン・ケラーの様に努力を重ねて成功してみたいとか思っていた。
今では尊敬するほど身近な存在ではなく、遠い神様の領域にいる人たちのように思える。
あんな風にはなれないよなぁ~と(笑)

「尊敬する人は両親です」と答える人も多いと思うけど、私の感覚ではちょっと違う^^;
私にとって両親は尊敬する人というよりは、人間味溢れる人生の先人(先輩)という感じ。
尊敬より身近な存在で、愛すべき存在になっている。
それは私も年を取ったということなんでしょうね。

最近とても憧れる人間像がある。
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』

この有名な詩にはモデルがいたといわれています。
花巻市に住んでいたクリスチャンの斎藤宗次郎という人物。
宮沢賢治はこの斎藤宗次郎と懇意にしていて、影響を受けていたといわれています。
斎藤宗次郎は、当時迫害を受けていたクリスチャンであったが為に、娘を亡くしてしまいます。9歳だった彼の娘は学校でいじめにあい、お腹を蹴られて死んでしまうのです。
それでも貧困に苦しむ人や病人に食べ物を分け与えたり、悩みのある人の話を聞いたりと親身になって尽くしていました。
その姿は『雨ニモマケズ』の詩の中の人物そのもの。

『サウイフモノニ ワタシハナリタイ』

宮沢賢治がそう思ったように、私もそういう人に憧れと尊敬の気持ちでいっぱいになります。
なかなか険しい道のりで、どうやったら聖人の域に達することができるのか?
ただ、こういう人物でありたいと願いながら、理想を持って生きていく。
なりたい理想像と、かけ離れた現実とのギャップが大きすぎて「やっぱり無理」と白旗上げる場面も多々あるだろうけど、理想は常に掲げていたい。

道に迷った時
尊敬する人だったら、こんな時はどうするかを考える

偽善者と言われても、意識高いヤツと煙たがられても、密かに憧れる人物像なのです。

(原文)「雨ニモマケズ」 宮澤賢治
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジヨウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ ナリタイ


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