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「希死念慮」(死にたい願望)を解説してみた

私はかつて、うつ病を患っていたときがありまして、クリニックの先生に「希死念慮みたいなものは幼い頃から当たり前にあって…」と伝えたところ、「それは今回のうつ病とはまた別モノの、ちがう精神疾患の可能性がある」と言われ、マジ!? となったことがありました。

思い返せば昔から、特に母とは思考回路がほぼ一緒で、「死にたいよね~」「そうだよね~」というのが家庭での会話の当たり前な光景だったので、他の人たちは実はそこまででもないと知った時も驚きました。

ナチュラルな「死にたい願望」を持たない人が聞いたら、きっと意味不明、かまってちゃんのように感じられるのかな? と思い、
ちょっと自分の考えを整理するためにも、書き起こしてみようと思います。

ただ、自殺未遂は1回のみ、リスカや死ぬためのOD歴は皆無なので、もっと苦しい思いをしている人から見るとあまっちょろい、なまぬるいと感じられるかもしれません。
あくまで超個人的な、「私の場合の希死念慮解説」として流し読んでいただければと思います。
とても不謹慎な内容になると思うので、これを読んで怒り出しちゃったり、つらくなっちゃいそうな人は読まないでネ(>_<)

1.体に悪い(かもしれない)ものが気にならない

たとえば、直近のTwitter上でホットな話題の「山崎パン 添加物」の件。
添加物が入っていて体に毒とか、いや毒じゃないとか、定期的に話題になるしろものですが…

まず「死にたいな~」という思いが根底にあるので、「ちょっとずつ蓄積されていって死ねるの!? ラッキーじゃん」という考えが先に頭に思い浮かびます。なので、体に毒なものといわれても、あまり気になりません。

かといって、誰がどう見ても毒でかつ苦しむことがわかっているもの、たとえば青酸カリをごくりなんてのは嫌ですよ。
でも、添加物で少しずつじわり、じわり…と病気になるのなら、まあそれでもいいかなという程度です。

添加物の件と一緒で、今とってもホットな「ワクチン」に関しても、打ったせいで死んでも死ななくてもどちらでもいいし、世の中の大多数が打つならそちらに流れておこうという考えです。

「打ったせいで死んだ人がいる! 自分の体に入れるものは自分で決める!」と声高らかに言っている人は、打たないで社会になじめるのうらやましいなあとか、そんなにも自分の体を大切に思えてうらやましいなあと思います。

2.重病の宣告がそんなにショックじゃない


私はある時健康診断に引っかかりまして、「がんの疑い」でハイレベルな数値を叩き出し再検査になりました。
なんかヤバそうな病気ってことで、その通知を見たときはまさに「ガーーーン」と思いましたが、「これで、自殺することなく病気で自然に早めに死ねるかもしれない」とも思い、そちらの思いのほうが大きくなって自分を支えました。

結局精密検査の結果、よくわかりませんがまだ良性のヤツで、数か月の経過観察になりました。いつ悪性になるかわかったもんじゃありませんが、この病気は特に女性にめちゃくちゃあるあるなようなので、あまり騒がないでおくことにします。

3.他人の自殺は「尊敬」

誰もが知る有名人が自らの命を絶った件が最近何件か続きましたが
その一報を知ったときの感想は「え!? まじ…!?」→「自殺をきれいに成功させたんだ、すごいなあ。うらやましいなあ」。

そして、その芸能人が飛び降り自殺であれば、きっとこのビルのここに何分か座り込んで、大泣きして、いろんな好きだった人に思いを馳せて、嫌いな人にはたくさんの憎しみを向けて、思い切って飛び込んだんだなあ、とか詳細に状況を想像して、恐怖に打ち勝って自殺に踏み込んだその人へ、尊敬の気持ちが大きくなります。

4.自殺は「一世一代の大チャレンジ」

じゃあなぜ死にたい死にたいと思いながらとっとと自殺しないの? かというと、「死にたいけど、痛いのは嫌」だからです。
飛び降り、飛び込み、首つり、オーバードーズ…成功しなければ、待っているのは痛い思いや後遺症です。
希死念慮のある人あるあるだと思うのですが、「自殺の失敗談」をネットや文献でたくさん調べます。すると、どうやら自殺はそんなに簡単に成功するものではないらしいことがわかります。
だから、死にたくても踏み出せない。

「ぐじぐじ死にたいつってんなら戦地に行って戦えよ、無駄死にしてねえでさ!」と言われても、だって、絶対にスパッと死ねるかどうかわからないですから嫌なんです。ただのチキン野郎なんです。

ですから、簡単に安楽死できる制度が整わないかなとか、隕石とか雷がうまいぐあいに直撃してくれないかなとか、みんな、思っていますよね?

希死念慮を抱える人間のなかのひとりの思考は、こんなかんじです。完



ありがとう!ウサギがあなたの靴をなめるよ