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恋愛ソングの歌詞が少し分かるようになってきたという話

僕はよく音楽を聴く。そしてその中でも、歌詞はとても重要な音楽のピースだ。その音楽が伝えたいこと、言いたいこと、その曲に込めた思いを唯一言語化したパーツだからだ。

夢を追う人を応援する歌詞、疲れ切った人に寄り添う歌詞、大きな何かに対するヘイトをぶつけた歌詞、喜怒哀楽いろんな歌詞がある。

その中でも恋愛をつづった歌詞がある。男性、女性視点自分が想う人に向けた歌詞。正直僕は恋愛系の歌詞には、あまり関心を抱かなかった。夢を追いかけたこともあるし、挫折して疲弊しきったこともあるから、そういう元気づけてくれる歌詞には、僕の心はとても共感する。でも恋愛の歌詞には、それがなかった。恋愛というものは、僕にとってあまりにも接点のないものだったからだ。

しかし、ここ最近はそういう恋愛の歌詞にも少しばかり興味を持つようになってきた気がする。知人の結婚式に招待されたこともあり、結婚というのはいいものなのかなぁとぼんやりと感じたのもあるのかもしれない。なんというか、恋愛の歌詞は柔らかくて、やさしくて、温かくて、少し寂しくもある。あの温度感は、他の類の歌詞にはない温度感を感じる。それが心地いい。

例えばUVERworldの美影意志の歌詞は、結ばれた2人が末永い幸せを願う歌詞になっていて、温かくやさしいものを感じる。歌詞の内容も抽象的ではなく、掲げている理想像がとても具体的でリアリティも感じる。

たえまない会話の 次話す言葉がわかったり
すぐにそうやって 増やしたがる記念日も
面倒くさいふりして 実は聞き耳たてて
出来る範囲で 叶えたいと思っているんだ
小さくていいから 家に犬を飼って
子供は欲しいけど 週末はたまに二人で
きっと楽しい事ばかりじゃないけれど
最後二人で笑って眠りにつければいいね

また、同じUVERworldのTHE OVERの歌詞は、「自分はあの人のことを本当に幸せにしてあげられるだろうか?」という不安に押しつぶされそうになりながらも、最後の最後までそばにいようと誓う切なさを匂わす歌詞になっている。

一番幸せ願って 一番哀しませてそうで
自分に自信が無かった できるだけ一人で生きて来た
でも君だけが離せない なぜ君だけが離せない
一人じゃないと 理解してしまった感情を
抑えきれないと 認めた時に
なぜ涙が出たのかは分からないけど
よく見れば 青空も 青一色じゃ無い
その複雑さは 心を映したようだ

2番までは、「自分の伝えている気持ちが間違ってないのか?」「一緒にいない方がいいんじゃないのか?」という不安をつづっているが、ラスサビでは自分が想う人に最後の最後まで寄り添おうとしている。

年をとり日が経って 言葉さえ失って
二人過ごした日々を君が忘れてしまったとしても
変わらず手を握りしめ 変わって行く君を支えて
最後まで心で対話して 守り優しさを与えていくよ
いつまでも君を想うだろう 最後まで想い抜くだろう
一人じゃないと感じさせてみせるよ

少し前なら「いい曲だなぁ~」ぐらいで流していた歌詞も、今になってみれば、その言葉の重さとやさしさ、温度感を感じれるようになってきた。僕自身の心情の変化もあるのかもしれない。

「好き」や「愛してる」という言葉を、色んな角度、色んな伝え方でまっすぐつづっているのが、恋愛の歌詞なんだなと思う。「好き」や「愛してる」という言葉を1曲の中で何度も使う歌詞を別に稚拙だなとも思わない。そういう伝え方だってあるわけだし。稚拙かどうかなんて僕の価値観でしかない。

これは僕の人生経験をもとに言うことなのだが、恋愛をしたことがない人は、恋愛の歌詞を書くのはとても難しいそうだなと思っていた。それは見たことのない風景を描いてくださいと言われているようなもので、感じたこともない、何ならあまり感じたこともない気持ちをつづることは、難しそうだなと思ってしまう。

ただ、その気持ちが想像上のものだったとしても、そういう気持ちを想像することはとても素敵なことだ。経験がなくったって、創造されたものだったとしても、むしろ想像上のものだからこそ素晴らしく感じられるのだと思う。


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