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美術館で心をとりもどす。

【連載】あれこれと、あーと  Vol.3

−丸亀平井美術館を知っていますか?

香川県の中心部に位置する宇多津町。鎌倉〜室町時代は四国の海運の要所として栄え、神社仏閣や古街、遍路道が残る歴史ある町だ。

ここに私のルーツともいえる美術館がある。
丸亀平井美術館。1993年に開館し、現代スペインを代表するアーティストによる90年代以降の作品を扱う小さな美術館だ。

アイスの甘い残り香をさがして。

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おや、不時着した宇宙船かな?

私の最も古い記憶の中にある美術館。大好きなのに、遠い昔に置いてきてしまった恋人のような存在。アートの仕事をはじめた今、もう一度この美術館に会いたくなって、今回約20年ぶりに再訪した。小学生以来の逢瀬だった。

ここは、母が仕事で香川に用事がある時、よく連れてきてくれた美術館だ。幼い私はそれが終わるまでここで「お留守番」をする。自分でお金も持っていないし、すぐそばにあるのは小さなコンビニだけ。徒歩圏内で暇を潰せるような場所もなく、日が暮れて母が迎えにくるまでの長い時間をこの場所で過ごした。

当時から誰もいない美術館だった。3フロアある展示室はあっという間に見終わってしまう。展示に見飽きたら、持ってきた本やお絵描き道具を取り出して、休憩スペースで一人で遊んだ。

不思議と「寂しい」という気持ちはなかった。時が止まったような館内は作品たちが生き物のようで、私という生体に作品が呼応しているような感覚に満たされた。包まれるような安心感…後にも先にも、こんなにも自分の精神に馴染む場所はここだけだと思う。

それから20年。大人になった私は、時々息ができなくなるような閉塞感に苛まれるようになり、辛い日々を過ごしていた。自分の精神が鈍くなることへの恐怖。都会の喧騒も、スマホの熱さも、テレビのノイズも、うっとおしいほどにまとわりついてくる。何もかもが息苦しかった。

懐かしいあの美術館に行けば、何かが変わるかもしれない…

まるで、遥か昔に食べ終わったアイスの棒を舐めて、残り香を探すような旅だ。でも向かわずにはいられなかった。

時が息を止めた場所

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ギリェルモ・ペレス・ビリャルタ《貯水槽とサイロ》 (1992)

JR宇多津駅に降りて、真っ先に駅の窓口に向かう。美術館は駅からそう遠くない場所にあるし、徒歩の最短ルートを教えてもらおうと思った。

「あの、丸亀平井美術館へはどう行けば近いですか?」
「え、ひら…い??うちに美術館なんてあったかいね?」

車掌さんは首を傾げる。スマホで美術館のwikiを見せると、車掌さんは「ん、」と目を細めて画面を見た。他の車掌さんも後ろから覗き込む。
「知らんかったなぁ、こんなとこにあったんやねぇ!」
と、みんな心底びっくりしてた。こんなモニュメンタルな美術館がすぐそばにあるのに、町の人にはあまり知られてないようだ。

そういえば美術館側も積極的にPRしている気配がない。公式HPもnot foundで最新情報が掴めなかったし、「やる気のなさ」がそこはかとなく漂っている気がする。それが認知度の低さに拍車をかけているのかもしれない。でもだからこそ、自分だけが知っている穴場な感じがしてちょっと嬉しかった。

そして、宇宙船の中へ。

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惑星にそびえる、墓標のようにも見える

ナビを片手に県道を歩くこと20分。夏の盛り、炎天下の強い日差しとアスファルトの照り返しが容赦なく私を燻った。汗を拭いつつ、もくもくと目的地を目指す。美術館が近づくほどに、思い出を「今」に手繰り寄せている気分になる。早く、会いたい。会いたい。

やっと到着した。けれどすぐに絶句した。美術館入り口が封鎖されているのだ。入り口がロープで囲まれて入れない!
「え、なんで?昨日電話で確認したのに…。もしかして、臨時休館?」
と焦りまくる私。ここまできて…と泣きそうになりつつ美術館に電話したところ、守衛さんと思われる人が対応してくれた。(ここの美術館は、職員や監視員、学芸員がいない。びっくりするくらい人がいないのだ)
「あ、ここね、正面入り口を10年くらい前から閉めちゃってるんだよぉ。裏口から入っておいで〜」
ぬほ〜んとした口調の守衛さんの言葉に思わずがっくり脱力。
「それならせめてinformationとか、誘導サインとか、立ててください…。というか、なぜ、、正面玄関を…」(以降、言葉にならず)

項垂れつつも久しぶりの再会に心が躍る。美術館の外観は相変わらず(というかさらに?)孤高の存在っぽくなっていた。人の気配というか、生き物の痕跡が感じられないからかもしれない。この、ぬーんっとした雰囲気が好きだ。遠めから見ると地球に漂着した宇宙船が少しだけ地面に埋まっているみたいで、すごくユーモラスなのだ。

精神の隅々まで、静けさが染みわたる

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スサーナ・ソラーノ 《パラドックスはここにある》 (1990-91)

中に入ると、感覚がくらっと傾いた。あまりにも20年前と変わらなさすぎて、過去と現在が曖昧になったからかもしれない。しん、と静まりかえったエントランスは熱を孕み、埃っぽい香りがする。やはり人の気配がない。そして、さっそく私のお気に入りの作品がお迎えしてくれた。

スサーナ・ソラーノの「パラドックスはここにある」、アン・ムニュスの「カンヴァーセーション・ピース・マルガメ」だ。

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フアン・ムニュス 《カンヴァーセーション・ピース・マルガメ》(1993)

丸亀平井美術館の好きなところを挙げるとキリがない。けど、ただひとつと言われれば、それは「展示の仕方」だ。絵画や彫刻の作品が適切な場所に適切な方法で展示されている。言葉にすれば簡単だけど、これが難しいのだ。

いい展示は、作品がちゃんと「呼吸」している。展示室の構造や採光、他の作品など様々な条件とうまく共鳴し、作品が伸び伸びしているように感じるのだ。キツキツでもゆるゆるでもない空間の使い方も大切で、本当に上手な展示を見るとドキッとするくらい作品がカッコよく見える。

丸亀平井美術館が居心地良いのは、人がいないからではない。調和と静謐に満ちた空間が、そうさせているのだ。バランスの取れた展示空間は、作品との会話を深めてくれる。時が止まったような展示室で耳を済ませると、作品たちのささやきが聞こえてくるようだ。

美術館は、心の病院。アートは、心のお薬。

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この言葉は、大好きな芸術家、猪熊弦一郎氏によるものです。
冷たい水でコップを満たすかのように、精神の隅々まで静けさが染み渡ってくるのがわかる。ここを訪れるまで、私はギスギスした獣のようだった。そして今やっと、深く呼吸ができるようになり、平穏な心を取り戻したのだ。精神が回復していくのが、わかる。自分の感性が再び研ぎ澄まされて行くのが、わかる。美術館って、本当にすごい。

私にとってこの美術館は魂が還る場所。心の休息所。
この瞬間を、この空間を、しっかりと刻んでおこう。
もしいつか、この美術館が失くなっても、何度でも思い出せるように。

筆者が運営しているWEBギャラリーです。
「アートをもっと、そばに」がコンセプト。
よければ遊びに来てください。
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