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意識が変わると成果が変わる

仕事をする上で自身の意識がどこに向いているか。その人の意識次第で同じ仕事でも成果は変わる、という話

早朝のコンビニ。

出社前に度々立ち寄るコンビニでいくつかの商品をとり、清算を済ませようとレジに向かった。早朝のコンビニは深夜勤務のアルバイトの方が夜通し働き、もうすぐ勤務明けというタイミングのせいか、けだるくローテンションな対応のアルバイトの方が多い中、その日のアルバイトの男性は活気のある声で「いらっしゃいませ」とテキパキとレジ業務を行ってくれた。

商品を受け取った私に「ありがとうございました。いってらっしゃいませ」とこれまた爽やかに送り出してくれた声も気分のいいもので、思わず振り返った私は彼の顔を確認してしまった。

新しく入った新人さんかと勘違いしていたのだが、その方は以前からそのコンビニの深夜スタッフとして働いている方だと確信した。

彼の中でどんな心境の変化があったかはわからない。たかがコンビニの業務と思うかもしれないが、今日の私は彼の接客に気持ちを良くした。おそらく明日以降も彼の接客を期待するし、彼がレジに立っていたら少しばかりラッキーと思うだろう。

大げさかもしれないが付近でコンビニに立ち寄る機会があれば選択肢の中で彼のいるコンビニを選ぶだろうし、事実、ほんの一瞬の出来事だったとはいえ、こうしてnoteに記している時点で1日中印象に残っているのだ。

私は以前もこの様な出来事があったことを思いだした。

約1年ほど前、車で会社付近を走っていたところ、道路工事に出くわしたのだ。年末に集中しがちな道路工事に師走の忙しさも相まって少々苛立っていた私の目に飛び込んできたのは、全力で車を誘導し、車を通す際に深々とお辞儀をする交通誘導員の青年であった。

1日に何度も繰り返される単調なルーティンに、並みの誘導員であればテンションも下がり、人によってはイライラと誘導灯を振るのが普通かと思うが、その青年は冬の寒さに鼻を赤くしながらもキビキビと車を誘導し深々と頭を下げる仕事ぶりであった。

その時期、近隣周辺の道路工事の度に彼の姿を目にしていた。1年経った今でも鮮明にその姿をおぼえているのは職業に貴賎なし、という言葉を体現している仕事の向き合い方にいたく感動したからである。

自分が置かれた環境で役割りを全うするということは言葉にするよりもむずかしい。不平不満が先行し、意識が自分の恵まれない環境にばかり向いているうちは対象者に価値を提供することなどできないだろう。

同じ仕事でも時給や月給という報酬以上の仕事は死んでもしたくない、という考えの人間と、報酬以前に自分にできることに取り組んでいる人間とで受け取る側の印象が変わるのは自明のこと。

同じ内容の仕事かもしれないが、また頼みたい、この人の成長を見たいと思わせる期待値が高くなるのは常に意識が相手に向いている人間である。

そんな当たり前のようで中々むずかしいことを実践しているコンビニの店員さんに朝からいい刺激をいただいた。

その人の成果は成果が約束される前の段階で構築されていく。日々の営み無しに価値は育まれない

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