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地味で地道な作業にどこまでコミットできるか

成果を求めるうえで、地味で地道な作業を積み上げていけるか。ひとっ飛びに目的地にたどり着けることは本質的にはない、という話

昨日の投稿で「粛々」というテーマで記事を書いたが、スマホをチェックしていた際に、たまたま飛んできたショート動画で思わずうなる内容を語っていた人物の意見に激しく同意してしまったのである。

その人物とは2018年に多臓器不全で41歳の若さで亡くなった総合格闘家の山本KID徳郁である。その動画では自身のトレーニング哲学を指導しながら語っていたのが、私は彼の絶頂期の活躍を熱狂して見ていた側なので、その華やかな活躍の裏でこんな哲学をもとに日々トレーニングを文字通り「粛々」とこなしていたのかと思うと、あらためて成果をものにした人の裏の努力を垣間見たような気がして鳥肌が立ったのである。

強くなりたいと考えると、どうしてウェイトトレーニングなどの激しいトレーニングにばかりに時間を割いてしまいがち。そうしたトレーニングの補助的役割としてストレッチなどの柔軟体操をするのが一般的だが、実はそのストレッチが一番重要なのだという。

彼曰く、腕や拳は付属品、パンチは肩甲骨から繰り出すことで真の威力を発揮するというのだ。であるからして、肩甲骨周りの柔軟性が重要で、腕とは肩甲骨から生えている、というのだ。ストレッチによる体の柔軟性を強化することでケガのしにくい体を作り上げ、体全体を使って技を繰り出すことで効率よくパンチやキックの威力を相手に与えることができるのだという。

そして「俺の教えることはホント地味。その地味な作業を地道に取り組めるかがポイント」とも語っていた。

おそらく、一流のアスリートは方法は違えど皆、このような独自の哲学もと厳しいトレーニングに明け暮れ、長い道のりを経て成果を手にするものだと思うが、その活躍を目にする私たちは華々しい成果をや活躍している一部の切り取られた場面しか見ることはないのだろう。彼の激しいファイトスタイルの裏にこの様な地味で地道なトレーニングを想像して試合を観戦しているのは身内の人間や関係者、マニアなファンやスポーツ記者などの裏側を知る一部の者だけで、大多数の観戦者はスターの表面のいいところだけを見ては熱狂しているに過ぎない。

私は仕事に対しても同じことが言えると思うのだ。一見、大きな案件を成約したとか、年商が何億にのぼったとか、それらの成果は表面的な部分でしかない。ごくまれに様々な幸運がかさなり、実力に反して身に余るような成果を手にすることもあるだろうが、その場合、往々にしてその成果を維持することはない。なぜなら実力ではないからだ。

本当に欲しいのは実力による成果であって、その根拠は地味で地道な努力という根拠があってはじめて成立するものだと思うのだ。そして日々の積み重ねにより蓄えた実力はそのプロセスが根拠のある自信を与えてくれるということもあり、簡単には崩れない。

一流アスリートと一般人とでは才能や環境も違うとは思うが、考え方は同じである。

どこまで地味で地道な作業を「粛々」と行えるか、その裏付けを確認できただけでも救われたような気がして、気持ちにあらためてスイッチが入った故人と同じ年齢の私である。

突き詰めていくと大概地味な作業が重要であることに気がつく。その作業を地道に取り組めるかが成果の分かれ目となる

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